第1章 1-2
私の仕事はまだ夜も明けきらない、暗いうちから始まる。
まずは、水桶に水を運び、自分の分は竈で火にかけ、冷えたところで水筒に移しておく。
飲み水は湧かした方がいいのだが、人の分までそんな手間をかける義理はない。
先日の花瓶騒動で、義母の部屋の掃除はしなくてよくなった。叩かれたけど、仕事が減ってラッキーだ。
その後は、台に置かれた今日分の野菜を洗い、出された洗濯物を川まで洗いに行く。
その頃には日も昇り、お腹がすいてくる。
昨日残しておいた芋をかじりながら、川への道を歩く。
背負ったカゴは重く、肩に紐が食い込むが、これもいつものことだ。
(洗濯を済ませたら、師匠のところに行かなくちゃ!)
洗濯機もどきの存在を家の人間は知らないので、短縮できた時間を上手く使って師匠の家に出入りしている。
勿論、師匠のことも知らない。
あれから洗濯機もどきだけでなく、脱水機もどきも作ってもらった。原理は洗濯機と変わらないが、脱水機は外がカゴ状になっているため、攪拌すると、その遠心力で水気が吹き飛ぶ様になっている。
川へ付くと、木の根元に穴を開け、蓋をして隠してあるそれらを取り出して、洗濯を始める。
水だけで洗うのは心許ないが、今日、師匠の家で作る物が成功すれば、きっと売れるし、生活にも役立つはずだ。
石鹸。
ずっと欲しかったが、師匠が乗り気ではなかったし、私も材料を買うお金がなかった。
石鹸には油が必要だが、動物性の物は匂いがきつい。植物性の油が欲しかったが、この国で簡単に手に入るのは椿の種かひまわりの種ぐらいしか思いつかず、購入を諦めていた。
今回、師匠が重い腰を上げたのは、前回二人で作った衣掛け、所謂ハンガーが思った以上に好評で、その製造工程を商家に売ったお金が手に入ったからだ。それも大金・・・
で、その案を出した私にもお金を分けようとしたが、お金をもらっても保管場所に困るし、もし見つかりでもしたら・・・考えるだけでも恐ろしい。だからお金の代わりに材料をお願いした。
今日は師匠の姪の鈴(りん)明(めい)も来るらしいので、それも楽しみだった。
鈴明(リンメイ)は私より1つ年下の15歳の少女で、師匠の様子を見にちょくちょくやってくる。
嫁ももらわず、一人でいる叔父が心配なのか、発明を手伝うのが楽しいのか、顔を合わすうちに私とも仲良くなり、今は唯一の友達だ。
洗濯を干し場に並べ終わると、また洗濯機一式を隠して、来た道を戻る。
途中で道を変えて、師匠の元へ。
「師匠、お待たせ!」
扉を開けながら声をかけると、買った材料を並べていた師匠が振向く・・・と同時に吹き出した。
「お前、その顔・・・はははは・・・またやられたのか」
私の顔を指さしながら、腹を抱えている。
「そんなに笑わなくても・・・そうです!またやられたんです!」
赤く腫れた頬を更に膨らまして答える。
「おま・・・お前、大丈夫か?」
「笑いながらそう言われても、全く心配しているようには聞こえないんですけど!」
師匠の笑い声に、鈴明(リンメイ)が家から飛び出してきた。
「桜綾(オウリン)、来たのね・・・ってその顔!またやられたの?」
師匠とは違って、眉を下げて心配そうに近寄ってきて、私の頬にそっと触る。
「痛くない?大丈夫?」
「うん。もう平気。」
「どうせまた難癖着けられたんでしょ?やり返せれば良いのに!」
プリプリ怒りながら、笑い転げている師匠にけりを入れて、家の中へ入ったかと思うと、水で濡らした手巾を持ってきてくれた。
「桜綾(オウリン)も女の子なんだから、顔に傷でも残ったらどうするの?早くこれで冷やして。」
そう言って私に手渡してくれた。鈴明(リンメイ)の優しさが胸に染みる。
師匠とは大違いだ。
「で、師匠。もう始められる?私もあんまり時間ないし。」
少し怒った口調で聞くと、
「はぁはぁ・・・作り始めるのはちょっと待ってくれ。珍しい客がくる。先に材料の確認を済ましてくれるか?」
息を整えながらそう言うと、家の中へ入っていった。
珍しい客って・・・客が来ることの方が珍しいのでは?と思いつつも、師匠が並べた材料を一つずつ確認していく。
時期的に椿の種で作ることになった。その他には香りの材料となる香や薬草、木を燃やした炭から出る灰汁。勿論、椿の実は大量にある。
今日は椿の実を綺麗に洗って干すだけになりそうだ。
カゴに入っている椿の実を何個か手に取ってみる。割れ目が入っている物もあるが、まだ殻が割れてない物も多い。
どれくらい干したら良いだろ・・・
実とにらめっこしながら、考えていると、戸が軋んで開く音がした。
「憂炎(ユウエン)、邪魔するよ。」
そう言って入ってきたのは、目を疑うほど美形の男性とやたらと姿勢の良い女性。
男性の方は色白で均衡の取れた顔立ち、質の良い衣、楼綾よりも顔一つ分以上高い身長。
それに、焦げ茶に見えるが光が当たると、綺麗な緋色に見える髪。
それだけでこの人物の素性が分かる特徴。
この国で、臙脂の髪を持つ者は朱家(しゅけ)の領主以外いないことは、誰でも知っている。
朱家はこの国の南を守る貴族で、その領主は朱雀の力を宿し、炎を操る力を持つという。
朱(しゅ)有(ゆう)の地を統治し、この国を外敵から守っている。
地位で言えば、皇帝の次の位を保持し、他の東西北の領主と共にその地位はこの国が滅びるまで、揺らぐことはない。
そんな雲の上の存在が目の前に現れたことが信じられず、狼狽して手にしていた実を放り投げた。
そして、慌てて膝と頭をつき、土下座の姿勢を取る。
その姿を見た朱家の領主様は、ぶっと吹き出し、顔を背けて笑いを堪えていた。
「申し訳ございません。し・・・師匠をすぐに呼んで参ります!」
立ち上がろうとしたその時、師匠が家の中からひょっこりと顔を出し、
「あぁ宇航(ユーハン)、やっときたのかって、桜綾(オウリン)、なんて恰好しているんだ?お前、今日は俺を笑わせにきたのか?」
そう言ってまた笑う。
最悪だ・・・・この顔でしかも土下座って・・・混乱したとはいえ、恥ずかしい。
ん?今、宇航(ユーハン)って師匠呼ばなかった?
もう一度、男性の顔をみて、師匠の顔を見る。
「しっ師匠!宇航(ユーハン)って・・・えっえっどういうこと?なんで朱家の領主様を師匠なんかが呼び捨てなの?」
私の頭はまた混乱した。
師匠は貴族でもないし、ただの発明好きなおっさんだし、身なりだって・・・・
いやいや、いまはそんなことより!
「落ち着け!宇航(ユーハン)とは友達なんだよ。だから珍しいお客さんが来ると言っておいただろう。」
「友達って、師匠の方が何倍も歳でしょ!しかも発明くらいしか出来ないのに、どこで知り合うの!?」
「桜綾(オウリン)・・・ひどすぎるぞ。これでも俺は34歳なんだから・・・倍も違わない・・・」
「いや、そこじゃなくて!」
私と師匠のやりとりに、笑いが堪えられなくなった宇航(ユーハン)は、隠す事を止め腹を抱えて笑い始めた。
こんなに笑われるのは、今日2度目だ・・・
「あはははっ・・・2人とも、落ち着いて。確かに私は領主だけど、本当に君の師匠とは友達なんだ。憂炎(ユウエン)の発明が面白くてね。私が幼い頃から、憂炎(ユウエン)とは交流がある。忙しくて最近はあまり顔を出せなかったのだけどね。」
笑いすぎて涙が出たのか、目元を拭いながら師匠の言葉に補足を入れる。
「取りあえず、立ったら?その姿勢だと膝が痛いだろう?」
そう言われて、やっと自分が跪いた状態だったことに気がついた。
慌てて立ち上がり、膝の砂を払うのを見計らって、
「君が桜綾(オウリン)だね?初めまして。今日は君に会いたくて来たのだ。たまたま都に行く用事もあったからね。」
「私に・・・ですか?」
「そう、君に。憂炎(ユウエン)から君の案で作った洗濯機とやらを見せられてね。こんな物を考える人がどんな人なのかと思っていたら、私と歳もあまり変わらない女性だと聞いて驚いたよ。その後に憂炎(ユウエン)が脱水機なる物まで送りつけてきたものだから、どうしても君に会いたくなって、今日、念願が叶ったとわけだ。君の案はすばらしいよ!これまでも色々な発明の案を見てきたけれど、まさか、あんなものが作られるとは・・・」
あ・・・・この人も師匠と同類な類いの人だ・・・・・
このまま放っておいたら、永遠と話し続けるはずだろう・・・
「あの、あの、領主様、取りあえず中へお入りください。戸口では、人目もございますので。」
言葉を止めるのは失礼かと思いながらも、これ以上話を聞いていては、私の時間がなくなってしまう。
「ああ、そうだね。ついついこの話になると・・・ね」
そう言ってようやく中に入り、庭の机に腰を下ろす。
今のやりとりの間に、気の利く鈴明(リンメイ)はお茶を入れていたらしく、宇航(ユーハン)が席に着くと同時にお茶が運ばれてきた。
「ところで、今日は新しい物を試作すると聞いて聞いたのだけれど、もう出来たのかい?」
「いえ、まだでございます。今回の品は少し時間がかかるかと。まずはこの実を洗って、干す作業から始めますが、私の都合で、今日はその作業のみで終わる事になると思います。完成品をお見せできれば良かったのですが・・・」
「これは・・・椿の実か?これを洗ってどうする?」
篭の中の大量の椿の実から一粒取り出すと、それを日にかざして眺めている。
説明していると洗う時間もなくなりそうなのだけど・・・・・
そんな私の気持ちを察したのか、宇航(ユーハン)は同行していた女性に手招きすると、
「夏月(カゲツ)、これを洗うのを手伝ってやれ。ついでに鈴明にも手伝ってもらうと良い。」
「承知いたしました。」
夏月(カゲツ)と呼ばれた女性は、家の中に鈴明(リンメイ)を呼びに去って行った。
領主よりも少し年上にも見えるが、一つに結んだ髪も艶やかで、かなりの美人。腰に刀を差しているので、護衛も兼ねているのだろうが、彼女一人だけを連れてきたという事は、腕も確かなのだろう。
「これで話す時間はできたかい?」
去って行く夏月(カゲツ)さんの後を視線で追っていた私に、宇航(ユーハン)が問いかける。
「あっはい。綺麗に洗えれば、問題はございませんので・・・」
「その口調、疲れないかい?普通に話してくれた方が、私も色々聞きやすいのだが?」
「しかし、目上の方に普段の口調では・・・・」
「私が良いと言っている。なんなら命令しても良いが?」
湯飲みの縁を指でなぞりながら、こちらを睨む。
う・・・綺麗な顔で睨まれると怖さが増す。
「いえいえ、普通に話します。はい、普通に・・」
今度はクスクス笑いながら、私に領主様の前の席に座るように促す。
仕方なく、その席に腰をかけるが、なんとも居心地が悪い。
「で、さっきの質問の続きだけど、洗ってどうする?」
「洗った後、数日天日で乾かします。椿の実が綺麗に割れた所で中の種を取り出し、皮をむいて炒ります。それからすり潰して煮て、浮いた物を絹の布に移し、力を入れて抑えながら濾します。その後は煮詰めて、純粋な椿油を作ります。」
「そんなに工程が要るのかい?沢山作るには、無理がありそうだが・・・?」
「個人で量産するのは難しいでしょう。完成品が出来れば、その工程を商家へ売り、その利益を多少いただければ良いかと。金額は師匠が交渉するでしょうし。」
個人で作るには時間も予算もかかりすぎるが、商家がそれを作るなら、それなりの人手が集まるだろうし、量産することは可能だろう。
「その椿で作った油はどうする?」
「油だけでも使用可能ですよ。髪に塗れば艶が出ますし、少し加工すれば化粧品にもなります。それに、今回作る石鹸は、椿の油でなくても、ひまわりの種からの油でも良いんです。」
「色々使える・・・と。ともかくその後はどういう工程で石鹸とやらのなるのだ?」
「油を作ったら、そこに木を燃やして出来た灰の灰汁を混ぜながら、一定の温度でかき混ぜます。ある程度、固まってきたらそこに香りを付けます。香や薬草、花で試して見るつもりですが・・・それから型に流して1日暖かい場所に保管し、型から外せば、出来上がりです。」
一気に説明して喉が渇いたので、目の前にあったお茶を飲み干した。
「それで・・・それは何の役に立つのかな?」
これだけ説明させておいて、根本的なことを今聞くのかと唖然とする。
師匠にはちゃんと説明しておいたはずだが・・・・
「洗濯に使えば、汚れが落ちやすくなります。顔や体を洗うときにも使えます。肌を綺麗にすることで、皮膚病などを遠ざけ、肌に油分を含ませることで、肌の状態を良く出来ます。早く言えば万能汚れ落しです。」
「さっきから不思議に思っている事があるのだが・・・・、君は作る方法や効能をどうやって思いついた?後、時々使う言葉に、聞き慣れない言葉があるのだが・・・まず温度とは何だ?」
そう言われて、ハッとした。
この知識は前世の物。ここには温度という概念はないし、これは絶対に話さない方がいい。話したところで、信じられる話ではないが、知られてはいけない。
「温度は私が勝手に言っている言葉なので・・・熱さの度合いことです。知識は・・・色々です。普段の経験とか?」
ニッと笑顔を作ってごまかしてみる。苦しすぎる言い訳だ。
領主様は私の顔を怪訝そうに見つめているが、これ以上話す気がないと察知したのか、
「まぁよい。そのうち分かるだろう。」
と、不敵な笑みを浮かべる。眩しい。この笑みに何人もの女性がやられたことだろう。
「完成したら、領主様にもお送りします。完成できれば・・・ですが。」
「宇航(ユーハン)。私は宇航(ユーハン)だよ。桜綾(オウリン)。」
?????????
突然名乗られて、何が言いたいのか分からないし、さっきも名前は聞いた。
「領主様じゃなくて、宇航(ユーハン)。そう呼ばれる方が嬉しい。仲間になった気がする。」
無理無理無理。
雲の上の人に会って話すだけでも、恐れ多いのに名前で呼ぶなんて・・・絶対無理!
必死にかぶりを振る私を見ながら、またも笑顔を浮かべる。
「君は面白いね。それもこれから慣れていけばいいか。」
これからって・・・頻繁に会うわけでもないし、会った所で名前を呼ぶなんてあり得ない。
「君達・・・俺を忘れてやしないか?ここにいるんだけどな?」
すっかり忘れ去られた師匠は、少しふてくされている。
「視界にも入らなかったんだから、仕方ないでしょ。大体、師匠が・・・・」
「はいはい、俺みたいなおじさんと話すより、美男子と話す方が楽しいだろうさ。」
子供か!
「すまないね、憂炎(ユウエン)。桜綾(オウリン)の話が興味深かったから、かまうのを忘れてしまっていたよ。」
「俺も発明する仲間なんですけどね。っとそれより、桜綾(オウリン)、時間はまだ良いのか?そろそろやばいだろ?」
私も説明に夢中で時間を忘れていた。
「いけない!戻らなくちゃ!師匠、領主様、帰ります!ああ、実は洗ったら綺麗に並べて干してね!それから・・・・」
「分かってるから、早く帰れ。また叱られるぞ。」
師匠は頬を差しながら、顔をしかめる。
「また近いうちに。」
領主様はそう言って、手を振る。
私は一礼して、その場を後にした。
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