第32話 偉い人の机に積まれた事務仕事の正体

「アッチの世界で見てきた物語でさぁ、偉い人が書類仕事に追われるシーンがあるわけよ」


 シュガーは自分の名前を繰り返し書いている。


「それで、なんでそんな書類があるのか不思議でしようがなかったんだ」


 集会場の2階のちょっとした事務所でシュガーは書く手を止めずにボヤいている。

 窓の外には屋台の売り手の声がして、窓を閉めているのにスパイスの香りが漂ってくる。


「で、俺は今、とても単純な書類仕事をしているわけだ」


 シュガーが今、取り組んでいる仕事は【輸出証明】に署名を入れる事である。切り離しができるやや厚みのある紙を束ねた【輸出証明帳】は、セントラスの商人に記入を義務付けられている。


 モントローズとユールゴーデンは、自領の商人の保護の為に、対岸からの輸入品に関税をかけたいという思いがあった。反対にシュガーは両岸からの商品を関税無しで輸入する事が自国の成長に繋がると考えていた。

 相反する両者の話し合いの結果、『セントラスからの輸出品に税金をかける』という折衷案に決まった。

 その具体的な方法が、【輸出証明】である。島外に商品を持ち出す場合、仕入れた店から【輸出証明】を出してもらわなければならない。そこには、購入した店の名前と金額、そしてシュガーの署名が入ったもののみが有効となる決まりだ。こうする事により、島の商人を経由しなければ商品を移動させられなくなったのだ。


 記入された【輸出証明】を島の船着き場にいる役人に見せ、金額の20%をその場で支払うのである。人気なのはモントローズの鉱物、ユールゴーデンの酒や農産物、そしてダンジョンから産出する素材とその加工品である。それらの商品は、関税を支払っても購入したい品であった。

 それにつられて関税のかからない輸入も好調で、島の南端にある船着き場には毎日のように両岸から商品が持ち込まれ、船着き場周辺には自然と生鮮食品の店舗や屋台が並ぶようになった。


「署名というのは本人以外の誰かに任せる訳にはいきませんから、もう諦めてください」


 アンナは、繰り返すぼやきに我慢できなくなって、そうシュガーに釘を刺した。

 しかし、島を中継した貿易がここまで栄えるとは思ってもいなかった。これまでの生活が、いかに見えない不自由を強いられてきたのか、アンナは最近何度も実感できた。


 しばらく無言で仕事をしていると階段を昇ってくる足音が聞こえて、2人は仕事の手を止めた。ふらりとやって来たのは、冒険者ギルド長のフランツ•フォレストだった。


「アンナさん、絵が上手い人知らないか?」


 そう尋ねるフランツは相当に顔が広い。が、アンナはそれとは違う人脈を持っていて、たまにこうやって困りごとを抱えた人が来る。

 アンナは少し考えて


「それなら、石工のタクト君が上手いですよ。以前、テーブルの対面にちびっ子を座らせて、逆さまにドラゴンの絵を描いているのを見た事があります」


 昨年の大晦日、夜遅くグズるレミ•フレールンの息子たちに、さらりと絵を描く彼の絵に、子供だけではなく周りの大人たちも感嘆の声をあげていた。


「いやぁ、12層目で奇妙な魔物が見つかってね。それを見た冒険者がどんな生き物なのか説明するのだが、なんとも要領を得なくてね」


 フランツはアンナが持ってきた熱いお茶をゆっくりと口にする。未知の魔物は両岸のギルドに報告する決まりらしい。


「では、彼をダンジョンに連れて行くんですか?」


 アンナはタクトの小柄な身体を思い出して心配する。


「いやぁ、見た人間から話を聞いてそれを絵にするだけだよ」


 というフランツの説明にアンナは胸を撫で下ろす。


「そういえば、【自由門】の植物とか馬の彫刻もキレイだもんな」


 そう言いながらシュガーが窓の外の大きな門に視線を向ける。彼の父親が頭領として作った【自由門】の柱の部分だ。遺伝なのか、あるいはタクトが細工に加わったのかはわからない。


「よし、俺が紹介してやる。いっしょに探しに行こう」


 シュガーが席から立ち上がった。


「いや、まだまだ仕事があるでしょう!」


 アンナが机の上の帳面を指差してシュガーに追いすがる。


「アンナ、『明日、楽するために今日の仕事をする』のだよ」


 シュガーはそう言って、フランツと歩き出した。


「まだ、外は寒いです」


 アンナはシュガーの上着を持ち、2人を追いかけた。



 2月の末の風が上流から吹いてきて、川面を滑らかに進む船が少しだけ揺れた。アンナは今、シュガーとフランツに連れられてモントローズに向かう船の上にいる。

 川を隔てて1000ガラも離れていないのに、久しく故郷に戻っていない。その事にアンナは改めて気付いた。アンナには実家や親戚の家があるわけではないので、これだけセントラスの街が出来上がったならこれも当然ともいえる。


 その後、3人はモントローズの一番北にある船着き場で船を降りた。船着き場の周辺には、島へ運び込む予定の荷物が置いてあって、アンナたちが降りた船に人足たちが荷物を積み込んでいく。


「荷物を積んだ船は重いから、風魔法はほとんど使わず川の流れによって運ばれる仕組みだよ。だから島への荷物を乗せた船は北の船着き場から出るし、島からの荷物は南で受け取るようだ」


 と、フランツが得意げに語ると


「なら、関税を両岸で徴収する事もできたじゃないか!」


 と、シュガーが天を仰いだ。

 関税の処理をセントラスでする事になった要因は『両岸に船着き場が複数あるから』という事だった。面倒を引き受けた結果、島が利益を得られたのだ。それを面倒臭がる異界人たちの欲の無さを、アンナは改めて確認できた。



「あそこです」


 アンナが指さしたのは船着き場のすぐ下流側の土手で、作業員たちが何やら仕事をしている。


「お、ベストセラー作家の先生、お疲れ様です」


 ユーリがこちらを見つけてシュガーに手を振った。異界人からすると、冊子に自分の名前を書き続ける行為をする人をベストセラー作家というらしい。

 土手に並べられているのは、巨大な楕円形の石製の輪で、島と両岸を繋ぐ橋の土台の一部分である。


「てっちゃん、タクトは何処にいる?」


 シュガーが、作業員たちに囲まれて談笑するテッツオに声をかけた。

 すぐ近くにいたのか、テッツオに背中を押されてタクトが現れる。

 タクトは【硬さ】の魔法詞を持つモントローズの少年だ。同じ【硬さ】の魔法詞を持つユールゴーデンのミアはモントローズに入れない決まりだから、こちらで作業する場合にはこの少年が呼ばれる事が多い。


「僕に何かご用ですか?」


 というタクト少年に、フランツが要件を説明する。横で聞いていたユーリが


「似顔絵捜査官みたいだねー」


 と、タクトの髪をくしゃくしゃにした。

 タクトは嬉しそうに嫌がった。

 フランツとの軽い打ち合わせを終えたタクトに


「ついでになんだけど、印鑑作ってくれない?」


 シュガーがそう言ってポケットから紙を取り出した。紙には見本のデザインが書いてあって、印鑑の素材になる石のカケラも準備してある。

 アンナはオークションの参加券に、モントローズ家の物置にあった古い印鑑を割印として使った事がある。しかし、この地方には印鑑を押す文化自体が無くて、印鑑自体が珍しい。


「お、漢字?」


 覗き込んだユーリがそう声をあげた。書いてある文字はシュガーたちが元いた世界の文字で【砂糖】と書いてあるらしい。


「意味がわからなくても、こちらの人が偽造しにくい文字がいいだろ?」


 シュガーが付け加える。

 なるほど、シュガーは【輸出証明】に押す印鑑を作ろうとしているのだ。印鑑をシュガーたちで保管できれば、署名などいらないし、ましてやシュガーが押す必要もない。


「今、道具もあるんで、ちょちょいと作りましょうか?」


 絵を描く事が趣味のタクトは、最近は版画も始めたらしい。

 細かい設計図が広げられたテーブルの上を片付けて、鞄から彫刻刀を何本か取り出して並べた。

 受け取った石に下書きもせずに平刀の刃を入れていく。指先がぼんやりし光っているから、魔法によって石を柔らかくしているのだろう。


「無詠唱なんだ」


 眺めていたフランツから感心の声が漏れる。毎日、建設現場で魔法をかけ続けたのだ。レベルアップしない方がおかしい。

 赤子の手のひら程度の大きさだからだろうか、すいすいと【砂糖】の文字を浮き彫りして印鑑を完成させた。

 最後に魔法で石を硬くする。


「テッツオ【固定】お願いします」


 テッツオが、出来上がった硬い状態に【固定】をかける。

 タクトと目を合わせて頷き合ったシュガーは、完成した印鑑に持ち込んだインクを塗って試し押しをした。

 近くにいた作業員たちも興味深そうに覗き込んでいる。印鑑が紙から離れる音がして、押された印が出てきた。

 周囲からどよめきが起こる。わずか数分で彫られたとは思えないほどの仕上がりだった。


 だが、印鑑をよく知る異界人たちは困った様に首を傾げる。


「鏡文字だね……」


 出来上がったものを笑っちゃいけないという思いからだろう。ユーリの声は少し震えている。

 あちらの世界の文字を知らないタクトが、見本の通りに彫ったのだ。押された印は左右が逆転して当然なのである。


 みんな堪えきれずに吹き出して、


「しょうがない、このまま使うか」


 とシュガーが頭を掻いた。

 


 


 


 

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