第29話 オークションと下水王

 モントローズ家のメイドであり、異界人の世話係を任されているアンナの今日の役割は、掲示板の布をめくる係である。

 ステージでは、向かって右側に進行役のシュガーが立っている。あいだに巨大な島の地図を挟んで、ステージの左側にアンナがめくる値段を提示する布のついた掲示板がある。

 目の前の3〜400の客席は既に埋まっていて、後方には立ち見の参加者もいる。さらに、2階の貴賓席には着飾った参加者の姿も見えた。

 シュガーが語るオークションのルール説明に、観客は時折笑いが混ざりながらも真剣な眼差しを向けている。

 落札者が付けたい名前とその理由を発表せねばならないと聞かされた時から、会場は少しだけソワソワし始めた。何の縁も無い土地に、お金を払ってまで付けたい名前がある。皆がその理由を聞きたいのも良くわかる。


「この様に布をめくりますと数字が現れます」


 アンナが1800000という数字の一部をめくって1790000にすると、おおっという響めきが起きた。皆の視線が自分に向けられている事に気付いて、アンナの頬は熱くなった。

 数字をめくる枚数とスピードはアンナに任されている。反応が悪そうならばっさりと大きくめくっても良いし、席を立って様子を伺う人が出たならちょっとずつめくった方が盛り上がる。シュガーは全てにおいて、細かく決めすぎないほうが良いと考えている。


「じゃぁテッツオ、何か一言いいかな」


 そう言われた主催者のテッツオは、審査員席から立ち上がり、振り返ってちょこんと頭を下げた。


「お集まりいただきありがとうございます。あー、ひとことだけ言います。

 今日集まったお金は、教育と医療に使います。建物は既に準備しているので、主に人材と消耗品です。

 なので、知り合いにここで働きたいという人がいたら紹介してください。よろしくお願いします」


 最初の頃から比べると、だいぶ堂々と話す様になったテッツオを見て、アンナは嬉しくなった。

 早速1枚めくる。1780000。


 すると1人の太った男がするりと前に進み出てきた。耳の下でバッサリと切り揃えられた髪は鮮やかな黄緑色で、白い肌や派手な服装と合わさって浮世離れしている。ステージに上がると「もう取っちゃっていいかな」とアンナに聞いてきた。男の声はやけに落ち着いていて、妖しさがより増した。


「下水王だ」


 そんなウェルのつぶやきが舞台上まで聞こえてきたので、男はウェルに微笑みを返した。

 地図を眺める男は、中央広場と橋がつながる予定の両方の大門の紙、合計3枚を何気なく破り取ってシュガーに渡した。


「立派な建物の完成おめでとうございます。ユールゴーデンのエバン•パセリといいます」


 くるりと客席を見渡した男はそう語りだした。


「ご存じかの方もいると思いますが、ワタクシは【ユールゴーデンの下水王】と呼ばれています。

 家庭から出る排水をスライムを使って浄化し、そのスライムから肥料を作って農家に卸す。そんな商売をしています」


 審査員席のロナルド•ガーフィールドが静かに微笑んでお辞儀をした。

『お久しぶり』なのか、『お名前は以前から聞いております』なのか、アンナにはその表情の意味がわからない。

 下水王エバン•パセリは静かに話し続ける。


「ワタクシは若い頃【スライムの有効利用】という、一部の宗教家から見れば罰当たりな研究をしていました」


【魔法詞】が宗教と繋がっている事から、この世界の学門は歴史や宗教、そして魔法そのものの研究が幅を利かせている。

 さらに魔物の研究など、相当に肩身が狭かっただろうとアンナは同情する。


「現在、皆さんがよく知る『死んだスライムを畑に撒くと作物が育つ』という常識は、当時一部の農民にしか知られていませんでした。

 仮説を立てて検証しようにも、ダンジョンの外で生きたスライムを見つけるのは無理がある。当然、その研究は一向に進みませんでした。

 当然のようにワタクシは王立の研究機関に居場所がなくなり、その後中央を追われました」


 理由の説明ってこんなにしっかりする物なの?という疑問がアンナの頭に浮かぶ。


「そんなワタクシが研究を続けられたのは、資金援助をしていただいた先代のマルク•ユールゴーデン侯爵と、モントローズから密かに伝わったスライムを使った下水処理システムのおかげです」


 客席から自然に拍手が起こる。それが収まるまで、エバン•パセリはゆっくりと周りを見回して、存在に気付いたのか貴賓席の両岸の侯爵にぴょこりと会釈した。

 異界人のナオミ様が漏らした、下水道で巨大化するスライムの御伽話に着想を得た浄化システムは、モントローズからカンバーランドだけでなく大陸全土に広まった。しかし、スライムも魔物である。汚水処理する過程で増え続けるスライムの処理は別の問題として人々の頭を悩ませていたという。

 スライムの検体不足に悩んでいたエバン•パセリが、その後にスライムを肥料化する技術を発明した事は自然な流れだったのかもしれない。各国の汚水を処理し、食糧事情も改善した彼は、いつのまにか【下水王】と呼ばれていた。


「ですから、セントラスの皆さんにはワタクシの様な非主流の研究者たちに救いの手を差し伸べてほしいと思っています」


 それを聞いた審査員たちはゆっくりと頷いている。


「で、名前は何と名付けるんですか?」


 審査員席のテッツオが口を挟んだので


「西が【自由門】で、東が【規律門】、真ん中の広場が【ともだち広場】でお願いします」


 付ける名前にはそこまで意味がないのかもしれない。

 進行役のシュガーが咳払いして問いかける。


「最後に確認します。5340000ポンドル、支払えますか?」


 ユールゴーデンの人だからポンドルなのか、嘘を見破ることが出来るシュガーが一番訊きたかった質問だ。


「はい、もちろん払えます」


【下水王】エバンがそう言うと、シュガーがちょっとだけ微笑んで


「では、審査をお願いします」


 と審査員に顔を向けた。差し出された手の親指は畳まれたままだ。この親指が立っている時は、支払い能力に嘘があるとテッツオたちに知らせるための隠しサインである。

 投じられた審査の玉は全員合格の赤玉で、嬉しそうに舞台を降りた【下水王】はロナルドと握手した後、固く抱擁した。 


「これからあとはつまらない時間が進みそうですが、このままで大丈夫」


 エバンが審査員たちにそう言うと、柔らかい紙に包まれて束になった金貨と数枚の白金貨をアイテムバッグから取り出して、舞台横の出納係に渡した。出納係は目を見開いて周りを見まわした後、数人の警護役と共に舞台裏へ走って行った。

 それを見送った後、エバン•パセリも共を連れて建物をあとにした。


 エバン•パセリの予言通り、彼の演説が今日のハイライトだった。

 次に高値を付けたギルド前の広場の名前は、【下水王】の落札金額の三分の一程度の金額だったし、一番最後に落札された通用門は銀貨50枚ほどだった。

 大抵の落札者は合格となったが、恋人にプロポーズする為に命名権を買おうとする男が現れた時には「その分高価な指輪を買ってあげなさい」とユーリが言って、ひとり却下された。


 会が終わった後も、落札者を囲んで輪ができている。彼らには今まで歩んできた人生があって、名前を付けたい理由があった。

 名付けの理由に共感した見知らぬ人が、落札者の手に幾らかの硬貨を握らせる場面も見受けられる。


「やって良かったよな」


 そう言うシュガーも、引いていく客席を眺めている。

 名前がついて、少しずつ街が出来て行く。


 

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