第24話 鉄姫と思い込み

 目の前に座るこの鍛治職人はいったい何歳なのだろう。鍛治職人ジルとシュガーの会話を聞きながら、アンナはそんなことを考えている。

 眉間に刻まれた深い縦皺と赤くささくれてカサついた両手は、長年の苦労を思わせる。反対に、顎ヒゲの薄さや腕の毛の細さは若者の様にも見える。

 首にはイヤーカフと呼ばれる余計な音を遮る魔道具を掛けている。普段は音を遮って仕事をしているのかもしれない。


「こちらがオークションの参加券です。

 ここにジルさんの名前を入れますね。一緒にここに住む方がいらっしゃったら、追加でチケットを渡しますので、明後日までに我々に知らせてください」


 アンナがそう言うと、切り取り線の付いた冊子から、スタンプを押した参加券を切って渡した。券には通し番号が振ってあって、わざわざ目の前でスタンプを押すのが偽造防止になるそうだ。


「ユールゴーデンの工房から1人助手を迎える予定ですが、しばらく私だけで作業するつもりです」


 彼の声を聞くシュガーの顔は穏やかで、アンナは参加券の冊子の控えに小さく丸をつけた。問題なしの印である。


「ちょっとだけ質問があります」


 ジルはそう言って背筋を伸ばした。


「シュガーさんは、元の世界に戻れるなら戻りますか?」


 濃いブラウンの瞳がシュガーを見つめている。


「戻る気はないかな」


 とシュガーが返す。


「じゃあ、テッツオさんたちはどうでしょう?」


 ジルは今日は別行動のテッツオについて聞いてきた。アンナが見る限り、彼ら3人が真面目な話をしているのを聞いた事がない。たぶん、あちらに帰りたいかどうかは、話題に上がるのを避けている。

 言葉に詰まるシュガーに


「僕は心配なんです。テッツオさんがこの世界からいなくなった時、彼がかけた【定着】の魔法が無かった事になりやしないか」


【定着】という規格外の魔法のせいで、疑心暗鬼になるのもしょうがない。実際にその後にどうなるのかは誰も知らないのだ。

 シュガーが大きく頷くと、思いついた様に席を立った。


「せっかくだ。【鉄姫】も交えて話そう。引越しの挨拶はまだなんでしょ?」


 シュガーが出入り口に歩き出す。【鉄姫】とはここの隣に住むキャロの事だ。モントローズ出身の鍛治職人で、彼女の評判は国内外に広まっている。

 シュガーは、一度思い立ったら相手の都合などお構いなしで動き出す。アンナは困り顔のジルに、どうしようもないですと首を振って、シュガーの後に続いた。




「なるほど、それについてはアタシも思う事があるの」


 キャロの工房の裏庭、水路のすぐ横にちょっとしたテーブルがある。そこで一行は、ジルが持ってきた手土産のクッキーを囲んでお茶を飲んでいる。


「ねぇジル、鍛治屋にとって一番大事な事は何?」


 そう言うキャロの筋肉質な首と腕には汗が光っている。アンナは両岸の職人と話す事が多いのだが、モントローズの職人の方がタメ口になりやすい。


「使い手が死なない事だ」


 ジルがそう答える。眉間に皺がよっているせいか、キャロを見る彼の視線が強い。タメ口で返すところにも強い意思が感じられて、アンナは思わずシュガーの顔を見た。思った通り、ジルの決意の味は美味だった様だ。


「その通り。テッツオの能力を使えば稀少な素材は稀少ではなくなる。ミスリルもアダマンタイトも、単なる只の素材になる」


 簡単に増やし続けて街一つを作ったのを見届けたアンナは、感覚が麻痺したのかもしれない。


「もし、この島がどこかと戦争になり、序盤でテッツオがやられたとする。直後、街の防壁はなくなり、兵士たちの武器も消える。さらには身につけた防具が突如重くなる」


「それだ!頭の中でずっと引っかかってたのがそれ」


 ジルの声が大きくなる。


「だから、武器の素材にテッツオ素材を使うのをやめたいんだろ?」


 シュガーがそう言ってお茶を口に含んだ。


「談合とか、暗黙の了解とか好きじゃないんだけど、この辺はきちんと決められて良かった。防具屋さんにもちゃんと言わなきゃいけないな」


 シュガーがそう言うと、キャロとジルが互いに頷き合った。

 ただ、異界人たちはまだまだ建設をやめないだろう。


「俺も昔、魔法に詳しい人間と時間制限について話した事があってね。その人が言うには、大抵の魔法は人間の願望の現れだから【定着】も【定着】のまんまなんじゃないかと思う。

 だけど素材を増やすのは近所の鉱山の為になんないからやっぱりやめようかな」


 魔法の無い世界から来たシュガーが、昔魔法について話した事がある?アンナの頭に疑問が浮かんだ。


「シュガー、初めて会った時に思い込みはいけないって言ったじゃない」


 キャロが頬を膨らませる。


「ドアーフの鍛治屋は酒さえ持って行けば無理な依頼を引き受けてくれるとか、出戻りの女は誰でも抱けるとか。ついでに言うとキャロはキャロルやキャロラインの略ではないからね」


 そう言ってキャロは大きくため息をついた。

 彼女の父は優秀な鍛治職人だったが、酒に釣られて無理な依頼を受け続けたために、家族は貧しい子供時代を過ごした。兄弟子を婿に迎えたが、すぐにその夫も飲み屋の女と蒸発した。

 彼女は酒と酔っ払いを恨んでいる。

 ジルが苦笑いを浮かべている。


「ジル、彼女面白い人だろ?」


 シュガーが明るい声で尋ねる。

 何故そんな事を聞くのか疑問顔のジルは、すでに眉間の皺が消えていて、視線も別人の様に穏やかだ。


「ユールゴーデンの同業者とは仲良くしちゃいけない。離婚歴のある女性は女として見られない。これも立派な思い込みだからな」


 シュガーがイケメンスマイルをキャロに向ける。


「ついでに、ジルの様な受動的な【魔法詞】はスイッチをオフにする技術があるからね。生まれ持った【魔法詞】は防ぎようが無い、も立派な思い込み」


 図星を突かれたジルは呆気に取られている。周囲の音を遮るイヤーカフ、眉間に深く刻まれた皺、耳から聞こえる音に過敏に反応するシュガーと同じタイプの【魔法詞】そのものでは無いか。


 その後、アンナに鳩尾で魔法を練る魔法の基本を教えられ、更にシュガーからは耳にフィルターを作る方法を教えられた。

 キャロもそれをじっと見ている。


「なんかさ、ウチの親から【眉間王子】には絶対負けんなとか言われてたけど、バカらしくなってきたわ」


 そうぼやくキャロも、鳩尾に魔力を貯めている。彼女の魔法詞は何なのだろう。


「ねぇ、裏庭の仕切り取っ払わない?」


 キャロの提案に二つ返事でOKするジルに


「競合同士の談合とか暗黙の了解とか、絶対ダメだからね」


 とシュガーが再び念を押した。


 


 


 

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