第5話 【シセロ島】と名付けられた経緯

(この章にある大きさや長さ等の単位は、こちらの読者に分かりやすい様に変換して書いてあります)




 カンバーランドとブルーニュスの国境線となる大河、アプラス川にその岩山が現れたのは今から52年前、マルメ暦1746年の5月の事である。

 当日を含め、それまでの1週間程は大小の地震が数多く起こっていた。念の為だろうか、当時のモントローズ侯爵の命令で鉱山への入山が禁止されていたという記録もある。


 5月7日、正午を少し過ぎたあたりで、大河から轟音が轟いた。辺りはもうもうと白い湯気が立ち、坑夫でも嗅いだことの無いガスの匂いがそこらじゅうに漂っていた。


 だが、モントローズの街の人々は、突如現れた大きな岩山の存在に最初は気づかなかった。何故なら、彼らの足元に大量の水が流れ込んで来たからである。(後述するが、当時の周辺にはブラッドリザードは生息しておらず、現在の様な川沿いの土手は無かった)

 この水は突如隆起した岩山によって押し出された川の水だと思われるが、雨の少ない季節で川の水位が低かったせいか、この津波による犠牲者は出なかった。


 その後、付近の漁師が湯気が晴れた川に巨大な岩山が現れているのを見つけた。

 両岸のモントローズ、ユールゴーデンの双方からすぐさま調査の舟が出る。当然、水上でちょっとした言い争いは起こったが、ひとまず領有権は棚上げし、岩山の隆起した原因や、この場所の危険性について調査が行われる事になった。


 その日は岩山自体まだ熱を持っていて、匂いも漂っていた為、周辺を回り広さを測り、川岸から岩山の高さを測った。

 お互いの宗教や教育によって普段は交流のない両国である。二隻の舟は、争う様に互いの測量と操船の技術を見せつけあった様である。


 翌日、モントローズ騎士団の副団長マービン•シセロを隊長とする上陸隊が組織される。編成は隊長の他、地質学に明るい冒険者と鉱山所属の学者、警備担当の剣士と魔術師、上陸船の操舵手であった。同時期に上陸したユールゴーデンの調査チームも同様の人数である。


 岩山の直径は約100メートル、最高地点は20メートルほどの低さではあるが、地表面は黒くゴツゴツとしていて、非常に歩きにくかった。


 さて、彼らは何を探していたのか?

 それは言わずもがな【ダンジョン】である。


 この世界において、人々に好奇心と奇跡と恵みを与え続ける存在、ダンジョンについてはもはや語らずとも良いだろう。

 カンバーランドにおいても、ダンジョンが現れた事によって多大な利益を得た街があれば、攻略後に廃れた街もある。

 そしてダンジョンは、原則的に発見した側に所有権が与えられるのである。


 両岸の隊の調査は三日間にわたって行われた。しかし互いにとって、幸いな事になのか不幸にもなのか、この岩山からダンジョンは発見されなかった。


 あらかた調査が終わった三日目の午後、両岸の二つの調査隊は、島の上流側の岸に近い開けた場所で会談を開いた。

 この時に、ダンジョンが見つからなかった事、特殊な鉱物が見つからなかった事、領有権については今後継続して協議していく事をそれぞれで確認した。(この時はただの岩山であり、中州ができた現在ほどの価値はなかった)


 友好的に進んだ会談の最後に、ユールゴーデンの名産の赤ワインが開けられ簡易テーブルに軽食が並べられた。

 お互いが話した事のない対岸の国の人との会話するチャンスである。

 おまけにモントローズ側には身体の大きなドアーフがいたし、ユールゴーデン側には銀狼の獣人がいた。彼らは互いの地域では珍しい存在であったのである。


 昼間の宴会である。テンションが上がった参加者は、酒が進み歌い踊り、そして荒れた。

 皿やグラスが割れてちょっとしたキズを負う者がいた。力比べと称して相撲(のようなもの)を取る者もいた。互いに笑い合い、幸せな時間を過ごした。


 異変に気付いたのは舟番をしていた操舵手たちである。

 揺れる舟底に伝わるゴツゴツという音。横を過ぎていく何十というトカゲの群れ。

 二人の操舵手は緊急用のホイッスルを吹き鳴らし、隊へ危険を知らせる。二人はそれぞれの船の陸と結ぶロープを断ち切り、逃げる準備を始めた。

 異変に気付いた隊員たちは混乱した。見晴らしが良く逃げ場の無い岩場を無数の大トカゲがゆっくりと登って来る。ある者は腰を抜かし、ある者は体の大きな者の陰に隠れた。


「バカなっ!この辺でブラッドリザードなんて…今まで見た事なんてないぞっ!」


 ユールゴーデンの博識な冒険者があのトカゲが何なのかを教えてくれる。

 ブラッドリザードとは全長が2〜3メートルまで成長する大型のトカゲである。普段は岩についた苔や水草を食べる大人しい動物だが、血の匂いを嗅ぐと突如凶暴になる。

 共食いも厭わず、満腹になるまで暴れ回ることもあり、そのせいか一度に産卵する卵の数が多い。

 他の爬虫類と同じく、成長するほどに表皮が硬くなる。


 慌てふためく隊員たちを尻目に、モントローズの調査隊長、マービン•シセロは落ち着いて指示を出し始めた。


「全員、装備を脱ぎ、身を軽くせよ!

 擦り傷や切り傷がある者には治癒魔法やポーションを使い、完全に治療してくれ」


 身体の大きさに似合った大きな声だった。

 意図を理解したのかユールゴーデンの銀狼の隊長が武器を置き鎧を脱ぎ始める。


「出来れば未来のある若い者から順にお願いしたい。さぁみんな、武器も置いていくぞ」


 頷くシセロは先程以上の大声で


「舟番よ!島から離れそれぞれの岸までの中間にて待機してくれ!」


 その声は、大量の大トカゲが進む音にかき消されることなく2人の舟番に届いた様だ。


 シセロは軽装のドアーフを軽々と持ち上げると、


「目を硬く閉じよ。そして頭の上で腕を伸ばして……。

 神に祈れ」


 シセロがそう言うと、遠く緩やかに流れる大河へ若いドアーフを思い切り投げた。

【力強さ】という魔法詞を持つシセロは、一人また一人とそれぞれの船が待つ水面へと放り投げていく。


「この岩の名をシセロ岩と名付けて良いか?」


 古い友人との今生の別れの如く固い握手を交わすユールゴーデンの銀髪の隊長を


「まるで俺が死ぬみたいじゃないか」


 と笑いながら、遠慮なく放り投げた。

 一番距離が出た。


「私もあの様に投げるのか?」


 調査隊唯一の女性、警護役の魔術師がシセロに問うた。

 岩山に残るのは彼女とシセロの二人だけである。大トカゲはひしめき合いながら近づいて来る。大量のトカゲが不規則に波打って見えた。


「はい、お嬢様を放り投げるなど大変失礼かと思われますが、何卒よろしくお願いします」


 かしこまったシセロが周囲の打ち捨てられた武器をかき集めながら頭を下げた。

 彼女の名前はユマ•モントローズ、モントローズ家の長女である。身分を隠す事を条件に調査隊に参加していたが、もう対岸の住民はいない。


「私を助けた後、マービンお前はどうする?」


 ユマは声を震わせて問いかけるが、マービン•シセロは自分を落ち着かせる為に深呼吸を繰り返して返事をする事はなかった。


「ブラッドリザードの特徴は……」


 ユマが口を開く。


「ひとつ、血の匂いを嗅ぐと凶暴化し見境をなくす。ひとつ、共食いでもなんでも満腹になると落ち着きを取り戻す」


 ユマの真剣な声にシセロは手を止めた。


「あなたが怪我を負ったなら、すぐさま傷を消しましょう。

 あなたが返り血を浴びたなら、洗浄魔法をかけ続けましょう。

 マービン、私を背負いなさい。ありったけの武器を投げ、共食いする彼らのあいだを走り抜けるのです」


 過剰な集中状態にある場合、体内の魔力が湯気の様に目に見える事があるが、この時のマービン•シセロも不適な笑みを浮かべ黄金色の湯気を出していた。


 ユマが背中によじ登ると、シセロはユールゴーデンの隊長の長剣を放り投げる。

 勢い良く4匹のトカゲを貫通した後、2匹を串刺しにしたまま地面に突き刺さった。流れ落ちる身内の血液に大トカゲの渦が出来る。


 それを繰り返し、渦の間を駆け抜けた。渦に入り損ねたトカゲを自らの剣で切り倒すたび、ユマが返り血を洗浄していく。


 しかし、大岩の水際まで走り着いたところで、シセロは重大な事に気付いた。


 重い鎧を付けたままだと泳げない。


 悪態をつきながらひとつひとつ防具を外しては迫りくる群れへと投げつける。だが、水際の二人を囲むトカゲの輪はジリジリと狭まっていた。


「マービン、少し寒いが風邪をひかないようにしろよ」


 そう言ってユマが左拳を胸に当て、大きく息を吸っていく。シセロは目を見開いて驚きを隠せない。何故なら彼女の父、モントローズ侯爵から、彼女は【優しさ】の魔法詞を持つ治癒魔法使い、と聞かされていたからである。


「私の魔法詞は【寒さ】使い所の少ない攻撃魔法なので人前で使ってはならないと父から言われていたのだが……」


 周りのトカゲたちの動きが目に見えて鈍ってきている。こちらも寒さでガタガタと奥歯を鳴らしながら両脚の脛当てを外せずにいるシセロの前に、ユマがしゃがみ込んで外した。


「私を舟まで投げたら温度は戻る。そうしたら川に飛び込め。まるで温泉の暖かさだぞ」


 昔からこんな奴だった。とマービン•シセロはユマを睨んだ。

 物語のヒロインを気取りたがり、周りに迷惑をかけ続ける。

 最初からこの力を使えば、皆の武器や防具を捨てる事もなく、川に飛び込む事も無かったではないか?


 味方の舟の近くへ投げ飛ばされるユマは楽しげに歓声をあげ、シセロに手を振った。


 怒りに任せたマービン•シセロはそのまま川を泳ぎ始め、舟の横を過ぎても、自領の岸まで止まらずに泳いだ。


 ここまでが岩の発見とブラッドリザードとの邂逅の一部始終である。

 


 その後、岩の下流には徐々に中州が広がっていき、農地や貿易港として使いたい両岸による小競り合いが繰り返される。


 中州までの距離が近いモントローズと、元々の川岸が大きな中州であるユールゴーデン、それぞれの領主は互いが仕える王家の指示と教会の教えにより、話し合いによる解決は許されなかった。

 その上、武力で決着しようにも、トカゲの介入によって先延ばしにされる。

 こう着状態は未だに続いている。


 これが通称シセロ島の略歴である。


 現在のシセロ島の長さは岩山も含めて約1.2kmほどで、幅は最大で約300mの菱形をしている。岩山以外の島の高さは、水面から5mほどで、大雨が降っても沈まない場所には低い広葉樹が生えている。


 普段はブラッドリザードの姿が見えないため、やはり岩山のどこかにダンジョンがあるのではないかと噂する人は多いが、その真相はまだ解明されていない。



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