第4話 ミランダの魔法教室

「胸の下あたり、鳩尾に意識を集中して」


 魔法講師ミランダがテッツオに声を掛ける。

 今、テッツオたち3人は屋敷のバルコニーにて間隔を空けて胡座をかいて座っている。魔法の基礎を学んでいるのだ。

 シュガーは、まるでスポーツジムのヨガ教室だと笑った。

 しかし11月の野外である。時折肌寒い風が吹いたが、日当りは良く暖かかった。


 ミランダ•ローガンはモントローズ領の南隣を治めるアーガイル領の出身である。

 アーガイル伯爵の遠縁だった彼女が、20年前にナオミが召喚された際、王都で専属のメイドとして雇われた。

 元々素質があったのか、ナオミに付き合って魔法を学ぶうちに彼女自身が魔法の才能に気付いていった。

 そして、ナオミがモントローズへ嫁いできたのに付き従ってきて、さらに当地で結婚し一男二女を産んだ。

 これがミランダ•ローガンのこれまでの半生である。


 彼女は王都に滞在した当時は数多くの貴族からスカウトを受けていたほど魔法に明るく、この地に招かれた3人に魔法を教えるには適任ともいえる。


「そうしたらそこだけ温度が違ってくるのがわかる?」


 テッツオの身体の内側にモヤモヤとした何かが形を変えながら回転している。

 テッツオは、ぬるま湯が入ったブヨブヨの水風船を思い浮かべた。


「そう、塊を大きくするイメージで」


 テッツオは塊が大きくなって身体いっぱいに広がっていくのを感じている。ユーリとシュガーからも「むー」とか「うげえ」とかの声が聞こえてきた。


「全ての魔法の基本は、身体の中で練られた魔力にある。魔力は多くの人にとって魔法を使う為の燃料になり、あるいは抑止力となる」


 シュガーの様な受動的な魔法を持つタイプの人間にとって、意識してスイッチを切る為には、この魔力を練るという行為は大変重要らしい。


「あー、味が無えぇ」


 シュガーの感嘆の声に嬉しさが滲み出ている。


「今夜から飯食う時も喋っていいぞ」


 と言うと、シュガーはそのままバルコニーの石畳に寝転んだ。


「さて、残りの二人には……」


 そう言うとミランダは木の枝を取り出してきた。


「もしやそれは…」


 例のハリウッド映画を思い出したのだろう、ユーリがいつも以上の大声で前に乗り出してきた。


「えっ、ただの木の枝だけど……」


 ミランダがガッカリする二人に枝を配りながら「二人にやってもらう事は…」と話し始めた。


「身体の中で練り上げた魔力を、木の枝に流し込みながら【特技】を唱えてみて」


 テッツオは右手に持った木の枝に魔力を流し込むイメージをする。木の枝が少し暖かくなっている気がした。


「伸ばす」


 何とも味気ない。カタカナの格好良い呪文ならいいのにと思いながらテッツオがつぶやくと、木の枝が少しずつ伸びる。

 タイムラプス動画の様にゆっくりと枝が伸びていくので、横で見ていたユーリが


「遅っ」


 とボヤいた。

 枝が伸びてやがて1メートルを超えたぐらいのところで、持ち手に近い部分の枝がポキリと折れた。重さに耐えられなかった様だ。


「興味深いね」


 とミランダが腕を組んでいる。


「今のでいくつかわかった事があるけれど…」


 ミランダの視線にユーリが


「遅い」


 と端的に答えた。

 テッツオ自身、槍や剣を伸ばしてモンスターを串刺しにしたら格好いいだろうなぁと妄想していたので少し期待外れだったのだ。


「あとは太さが変わってない」


 ユーリの指摘にミランダが嬉しそうに頷く。


「折れた枝が伸びたままなのも気になるな」


 寝転がったままのシュガーも負けじと口を挟む。


「私はね、枝が何故折れたかに注目して欲しいわけ」


 ミランダの思わせぶりな問いかけに


「折れた理由って根元が重さに耐えられなくなっただけでしょ?」


 ユーリが言った一言に「あっそうか」とシュガーが体を起こした。


「【伸ばす】って特技によって伸びた部分に重さが発生するのかって事か」


「そう、魔法の継続時間は人によって違うから一言では言えないけれど、例えば、希少金属を長く伸ばして売り払ったら大金が手に入るわね。

 まぁ、時間が経ったら元に戻るんだろうけど」


 ミランダが残念そうに呟いた。


「いやぁ…実は元に戻らなくする方法、持ってるんです…」


 そうテッツオが言うと、ミランダが目を大きく開いて動きを止めた。


「【伸ばす】と【縮める】の他に、【定着】と【元に戻す】っていう特技があります」


 と、テッツオが言うや否や


「それずるじゃん、反則じゃん、大金持ちじゃん!」


 大人の癖に駄々を捏ねるミランダを見て、シュガーとユーリが笑みを浮かべている。


「【魔法詞】の儀式の時、神官に心の中を空にしなさいって言われたでしょ?でもね、噂によると【魔法詞】は儀式の時に考えている事に引っ張られるらしいんだわ。

 ねぇ、あの時何考えてた?」


 ミランダの鋭い問いかけにテッツオは後退りした。

 あの儀式の時、テッツオが自己紹介した後にユーリが突然声を掛けてきた。知り合いを見つけてはしゃぐ彼女の薄い布の下で揺れる胸を見て、テッツオは不覚にも下半身を大きくしてしまった。そして、そのまま儀式に臨んだのである。


 そんなことだから、神官が心を無にしてと言ったのを聞いていなかったし、儀式中は【縮め】【元に戻れ】と願いながら、戻ったら戻ったで、そのままキープとただ願ったのだった。


 冷や汗をかきながら、テッツオは「すみません、忘れました」と誤魔化した。


「どうりで」とユーリが口を挟んだので、テッツオは少しドキリとする。


「私、あの時慣れない自分の胸の重さが気になって気になってしょうがなかったのよね」


 と言ってユーリが笑ったのでテッツオは胸を撫で下ろす。ユーリ自身の儀式の事を言った様だ。


「そう。だから儀式を受ける年齢は、あまり雑念が入らなくて、かと言って気が散らない程度の12歳が選ばれているらしいって話だし……」


 ミランダの口ぶりには、【魔法詞】を含めた神官や教会への不信感が滲み出ている。


「どこの世界でも、宗教家は保守的で進歩の邪魔をするからな」


 シュガーの発言に皆がヒヤリとした。


「こうやってよくわからん特技の可能性を探るなんて事は、よく思わないんだろうなぁ」


 シュガーの言葉に、テッツオは王都で見た神官や王族たちを思い出した。


「来年、ウチの子供も儀式なんだよね。それにアラン様のところの双子ちゃんも」


 ミランダはそう言うと、館の上の階を見上げた。

 昨晩の歓迎晩餐会にて、3人はアラン侯爵とナオミに男女の双子の子供たちを紹介された。名前はジョーとメルという。たぶん、ミランダが見上げた先に彼らの部屋があるのだろう。


「というか、私たちも子ども作れるんだね」


 ユーリが突然そんな事を言ってきたので、テッツオは咳き込んでしまった。ユーリは、ちがう受け取り方をされた事に気づいて慌てて付け足す。


「ほら……私たちって誰かが作った人造人間なんでしょ?なのに子どもを産めるの不思議だなぁって事だからね」


 その慌て様にテッツオは笑ったが、ミランダとシュガーは渋い顔をしている。


「あまり聞かせたい話ではないが、最初は子どもを作る為の器だったという噂がある」


 というミランダの声に、テッツオは意識のない患者を妊娠させる医者の物語を思い出して、眉をひそめた。


「産む機械って訳ですか」


 シュガーは腕を組んで難しい顔をしている。



「無駄話はこの辺にして、さっきの続きをしましょう」


 そう言って、ミランダがユーリの方を向く。

 ユーリが真面目な顔をして手に持つ枝をギュッと握り直して「重くなる」と呟いた。


「わぁ、重くなった!」


 枝を持つユーリが騒いだが、枝を渡されたテッツオには違いがわからない。


「手を離れたら戻るのかもしれないな」


 などとシュガーが茶化すので


「【特技】がレベルアップしたら効果の範囲が広がるなんて事は、色んな【特技】でありがちだから、気にすることはないよ」


 ミランダがユーリの肩に手を置いて慰めた。


「じゃぁ、ちょっと試していいですか」


 テッツオはさっき渡された枝を持ちながら腹ばいになった。


「伸ばす」


 途中で折れないようにするためなのか、地を這うように枝が伸びていく。そして細い木の枝は、2メートルくらいになって止まった。


「これが限界かも…」


 と、呟いたテッツオがユーリの方に顔だけ向けて


「ゆっちゃん、これ軽くして」


 不意に幼い頃のあだ名を呼ばれて顔を赤くしたユーリが、伸び切った枝に駆け寄って握る。


「軽くなる」


 ユーリの特技のおかげか徐々に木の枝が温かくなるのを感じて、テッツオは「定着」と重ねて唱えた。

 ユーリが恐る恐る手を離した。そしてテッツオが枝を持ち上げる。


「かるっ!」


 重さで折れないから、軽くなったのは一目瞭然なのだが、テッツオは一切しなりのない長い枝を皆に回していった。


「【定着】は他人の特技にも効果があるのか。ますますズルいなぁ」


 長い枝を振り回すミランダが羨ましそうにそうボヤいた。


「この際だから、疑問を解決していこう」


 そう言ってシュガーが立ち上がる。「疑問?」って聞き直すユーリに向かってまた話を付け足していく。

 疑問点をいちいち立ち止まって解決するタイプの人間は、前の社会じゃウザがられただろう。

 だけど、こんな風にわからない事をわからないと訊けるというのはこの世界では頼もしい。

 海外旅行で頼りにされそうだなぁと、テッツオは彼を眺めている。


「例えば液体はどうなるか?液体を伸ばせたとして伸びた後の状態は?粉末は伸ばせるのか?

 あるいは、ひとつの物の先端だけ部分的に伸ばすことは出来るのか?とかな」


 シュガーは一気に捲し立てた。


「【重さ】もだぞ。

 コップに水を入れた状態で軽くしたら、中の水まで軽くなるのか?

 あと一番重要なのは、軽くするにしても、ゼロよりも軽くする事は可能なのか?ということだな」


「ごめん、ちょっとわからない」


 ユーリが大袈裟に頭を傾げる。


「氷水の氷は、水より重いから水に浮いているだろう?

 でも、氷は空気よりも重いからコップのふちより浮き上がらない」


 ユーリはシュガーの説明を食い入るように聞いている。


「だから、自分の身体を軽くし続けて、空気より軽く出来たら?」


「浮かぶ!」


 ユーリが食い気味に答える。空を自由に飛び回る様を想像したのかテンションが高い。

 だが、シュガーは首を振る。


「いや、俺たちは靴も含んだら1キロ近い服を着ているんだ。

 もし、ゼロよりも軽く出来ないとしたら、空を飛ぶのは相当面倒くさいぞ」


 それを聞いたユーリは、さっそくギュッと目を閉じて気持ちを集中させた。

 セミロングの髪がふわりと浮き上がるのを見て、テッツオたちはどよめいた。


「あぁ、やっぱりダメだぁ、飛べない」


 しばらく試して疲れたユーリがしゃがみ込んだ。


「面倒くさいだろうけど、身につけてる物をひとつひとつ軽くしていくしかないな」


 シュガーのアドバイスを聞いたユーリは、今度は靴と靴下を脱いで裸足になった。

 意地でも空を飛びたくてあくせく動くユーリを見ていると、テッツオは微笑ましくなった。


「よし、再チャレンジ」


 そう言ってまた目を閉じて集中に入る。


 今度は身につけてる物から軽くしているのだろう。ブラウスの襟や袖から軽くなっていくのがわかる。

 そして……重さをなくしたスカートも大きく捲り上がって、スカートで隠されていた場所があらわになった。

 ミランダが奇声を発してユーリのスカートを元に戻す。それまでの数秒間の風景を、テッツオは心に刻み込むのだった。


 そして、その時ユーリは少しだけ浮いていた。

 

 



 

 

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