第1章 召喚と帰郷
第1話 望まれない召喚とおっさんみたいな少年
哲夫はウサギの数を数えていた。
大きな建物の壁一面を占める巨大なステンドグラス。そこに合計19羽のウサギの冒険譚が描かれている。
巨大な蛇に縄を掛けるウサギや、竜巻に飛ばされないように木にしがみつくウサギなどがコミカルに描かれているけど、ステンドグラスなので、なんだか神秘的だ。
「鳥獣戯画みてえだな」
と隣の赤毛の美少年がおっさんみたいに呟いた。
そういえば、昨日の日本史の授業で、担当の田沼が【鳥獣戯画の作者の謎】についてダラダラと脱線していたっけ…。
ガタリと音がして、また一人後ろの大扉から誰かが連れてこられた。
多分哲夫と同じ設定の人なのだろう。見た目は美男美女で、中身はたぶん日本人。
ここに集められた人々は皆、スーパー銭湯の作務衣を着せられた外国人モデルの様であった。
昨晩、異世界転生物のマンガを読んだせいだろうか。哲夫にとって、こんなにリアルな夢は初めてである。
裸足の足裏に感じる高級そうな赤い絨毯の柔らかさ。
鎧姿の衛兵が歩く時に鳴る金属音。
照明だろうか、少し焦げ臭い匂いも漂っている。
哲夫たちが集められている広間の両側には階段2、3段ぶん高い場所があり、薄暗いその場所には様々な種族の人影が見える。
エルフとか、獣人とか、ドアーフとか、それぞれの種族の長が、哲夫たちが異世界から呼び出される様を見届けに来たという設定なのだろう。
また一人、大扉から人が入って来る。
さっきと違ってエスコート役の衛兵もそのまま扉の前に控えているから、今のが最後の一人なのだろうか。
18人のフランス人形みたいに整った顔をした男女が、皆これが夢なのか現実なのかと、戸惑いの表情を見せていた。
「王様が来るぞ」
哲夫の隣の赤毛の少年がつぶやく。
よくありがちな展開なので、いかにもといった感じの白い立派な髭の王様が本当に現れたのを見て、哲夫は吹き出しそうになった。
音も立てずに中央に歩いてきた王様が正面中央の空席に腰を下ろした。玉座は座面が絨毯と同じ渋い赤色で、金色の縁取りの装飾があり、尚且つ背もたれが高い。ステンドグラスを背にしているせいか、王様の表情が影になってよく見えない。
右サイドに並んでる貴族の、一番王様側に一人が、哲夫たちの右前に出てきた。哲夫は全校集会の教頭先生みたいだなと、またニヤけそうになった。
「ようこそカンバーランドへ。そしておめでとう、ここが皆さんが望んだ【異世界】です」
教頭(じゃないけど)の言葉に哲夫は混乱した。
確かに昨日の夜、異世界っていいなぁなどと思ったけれど…。
教頭の話は続く。
「2年後この国には建国以来最大の危機が訪れる…という預言が出ています。
幸いにも、我が国には特殊な能力を持った異界人を招き入れる技術があります。
最上級の魔鉱石を元に創られた身体に、異界から魂を呼び寄せて入れる。異世界で暮らしたいと望む者を招き入れる、という伝説の魔術によって迎えられたのが、あなた方なのです。
これから2年間、この王都において何不自由ない生活を送っていただきます。その後、なんらかの災厄の際には、ぜひとも皆さんの…」
「トイレ行きたいんですけど」
教頭の発言を遮る様に、ひょいと手を挙げて発言したのは先程の赤毛の少年である。
「ちょっとくらい我慢できないのですか?」
教頭のムッとした表情でつぶやいたけれど、少年は眉間に皺を寄せて反論を始めた。
「だいたいさ、最初の前提から間違ってるんだよ。【異世界】に行きたいと思う奴は、それっぽいアニメを観たか、漫画か小説を読んだ奴だけだ。
本気であっちの世界に未練の無い奴は、死にたいと思ったとしても、異世界に行きたいなんて考える余裕は無えよ」
突然の正論に静まり返る玉座の間。
「俺みたいに、コンビニのバックヤードで返本予定の漫画雑誌読んでた様な奴が、なんで転生しなきゃなんねェんだよ。
ワン〇ースの続きは読めなくなるんだよな。ハン〇ー✖️ハン〇ーの連載再開も見れないのか?推しの地下アイドルがひょんな事からAVデビューしたら、お前らは責任取れるのか?」
哲夫はアレの連載再開はどうだろうなと苦笑いしながら熱弁を聴いている。周りの貴族の皆さんにはコンビニや地下アイドルなんて言葉の意味が通じるのだろうか。
いつまでも続く赤毛の少年の突拍子もない熱弁のせいで、哲夫たちはこれが夢ではなく、本当に【異世界転生】しているってことを感じ始めた。
「つまり、アンタらが言わなきゃいけない言葉は、『ようこそ』とか『おめでとう』ではなくて『ごめんなさい』なんじゃないの?」
彼は一息で語り終えて王様をじっと見つめている。
教頭は言葉を詰まらせていた。王様も少し目を逸らした様に見えた。
少年はなおも続ける。
「だから、まずトイレに行かせてくれよ」
彼はそう言うと、一拍置いてとんでもない一言を続けた。
「確かめたいんだよ、今の自分のチ〇コのデカさを!」
その言葉の力強さに周りがどよめいた。王様は呆れ顔で天井を見上げ、教頭は目を見開いて、顔を真っ赤にしている。
少年は周りを見回して
「お前らだって気になるんだろ?チ〇コとか胸の大きさだけじゃない。自分の顔を鏡で確かめてみたいって気持ちは、別に恥ずかしい事じゃないと思うぞ」
などと言うもんだから、周りの何人かの女が自分の胸にそっと手を当てていた。
少しだけ静かな時間が流れた。
「確かに。君たちには本当に申し訳ない事をした」
王様がそう言うと、ゆっくりと立ち上がり、哲夫たちに深々と頭を下げた。それにあわせて周りの貴族たちも頭を下げる。
ステンドグラスから差す光線がこの場面をより神々しく感じさせた。
が、哲夫はそれどころじゃなかった。
明らかに女性陣の様子がおかしいのである。
猫背気味になったり、不自然に腕を組んだり、二の腕を両手で摩ったりしている。
哲夫は閃いた。
ひょっとして、彼女たちはノーブラなのではあるまいか?
王様の話は続く。
「呼び寄せられたのは元々の皆さんの魂の一部だ。心配しないで欲しい。元々の皆さんは元の世界で今までと同じ様に生きている…」
王様の話は哲夫の耳に入ってこない。
このゆったりとした服の下で、動くたび上下する彼女たちの豊かな胸を妄想する。
「…ですから、この石と魔法の国、カンバーランドで第二の人生を過ごしてほしい…」
これから2年、ともに過ごすであろう仲間たちに悪い印象を与えるのはマズいと、哲夫は必死に自制に努めてようとする。だが、妄想が止まらない。
上下するたびにこのゴワゴワした生地に擦られたのなら、もしかして服の上からでもわかるほどに硬く主張し始めるのではなかろうか?
「…ここは王都、国境からは遠く離れているし、モンスターの出現もない…」
やばい、哲夫は現実に引き戻される。主張が激しいのは、ノーパンの自分も同じではないか。
このままテントでも張って、さらに我慢汁でシミでもつけたとしたら(この時は布が暗い色で助かった)これからの集団生活はどうなるのであろうか?
哲夫は深く息をする。
まだ目覚めの時ではない。と心の中で下腹部に言って聞かせる。
もう一度深呼吸して、注意を逸すため、王様とステンドグラスの風景を見上げた。
更にもう一度深呼吸した。
哲夫は自らのモンスターの封印が解かれるのを防いだ。
「では、一旦休憩にして、皆さんがどんな姿かたちなのか確認していただきましょうか」
王様がそう言って微笑んだ。
「ちょっと待って!」
そう言ったのは、集団の女性のうちの一人だった。ストレートな長い金髪で、色が白く青い瞳の長身の女性だ。
例に漏れず、背中を丸めて体の前で腕を組んでいる。
「どうせこれからスキル判定の儀式みたいな事するんでしょ?それなら、このまま続けましょう!」
正面左側に大事そうに置かれた水晶玉を指差しながら彼女が言った。その主張に女性陣が頷く。
逆に休憩時間にジロジロ見られる視線は嫌なんだろうな、と哲夫は赤毛の少年を見た。
哲夫と視線を合わせた彼は、訳あり気なニヤリとした顔を見せた。
「よくお分かりですね」
驚いた表情した後、教頭(ではないけれど)は笑顔で続ける。
「我が国では12歳以上の国民の全てに、【魔法詞】というものが与えられます。これは、神から与えられた奇跡です。
そこにある水晶には、それぞれの人が持つ魔法を現す一つの言葉が浮かび上がります。
例えば【強さ】という言葉であれば、その人は戦士として成功を収めるでしょう。
あるいは【寒さ】であれば氷雪系の魔法を自由に使えるようになる、そういった感じです」
簡単に言うと【魔法詞】は、形容詞や形容動詞を名詞化したものであるという。言葉自体は曖昧な物ではあるけれど、出てくる頻度の高いメジャーな言葉はそれが何を表すか既に解明されているらしい。
「ではひとりずつ、前に出て」
と教頭が哲夫の隣の男性に手を差し出した。
金色の短髪で青い瞳、ガッチリとした体型の男が前に出ると、一度振り返った。
「〇〇大学の商学部の3回生です。秋野宏太と言います。宜しくお願いします」
また勢いよく正面を向き、いつのまにか中央に移動させられていた水晶に手をかざす。
哲夫は、大学名を言いたかったんだろうなぁと、いきなり自己紹介を始めた彼の背中を眺めている。
いっぱい勉強して入った名門大学の名前は、こちらで通用するのだろうか?
そのまま2、3分して、水晶の中が少し揺らいだ様に見えた。
教頭が一度咳払いをして読み上げる。
「この方の【魔法詞】は【熱さ】です。炎熱系の魔法や剣技を得意とします」
周りの貴族たちから感嘆が漏れて、それに気づいて金髪が爽やかに微笑んだ。
陽キャはどんな世界でも逞しく生きていけるんだろうな、と哲夫は感心した。
「では、次の方」
と教頭が哲夫を指差す。
一息ついて足を進めると、哲夫と目が合った教頭がニコリとした。これはお前も自己紹介しろって事か?
哲夫は渋々みんなの方に振り返って口を開く。
「永倉哲夫です。〇〇市の高校2年生です。宜しくお願いします」
と挨拶した。声の感じが前と変わらない事に哲夫はちょっとだけ安心した。
「てっちゃん?」
そう言って一人のブラウンの髪をした美少女が前に出て来た。
「私、ゆうり。黒谷悠里、ほら、小学校まで一緒だったでしょ?」
黒谷悠里、明るい性格で、運動神経が良くて、よく喋る。こんな風に空気を読まずに会話に入って来る様な、ちょっとだけガサツな女の子だったっけ。
確かに、幼馴染の悠里の面影が残っている様な気もするけれど、喜んで跳ねるたびに揺れる暴力的な彼女の胸の方に、哲夫の気持ちが持っていかれた。
コホンという教頭の咳払いに気付いて、哲夫は早足で水晶へ向かう。ひんやりとした水晶に手を添えたところで、教頭から目を閉じるように言われた。
しかし、元の世界で悠里の胸の大きさってどうだったっけ。哲夫は、目を閉じる直前に見た悠里の揺れる胸の事を思い出してみる。哲夫のイヤらしい視線に気付いて、柄にもなく恥ずかしがってたりしてくれないかな、などと妄想が捗る。
また勃って来そうになったので、哲夫はもう一度深呼吸した。
出ました、という言葉が聞こえて哲夫は目を開けた。
「あなたの【魔法詞】は【長さ】です」
教頭の声に外野から落胆のため息が漏れる。さっきの【熱さ】の時とは大違いだ。
「【長さ】って珍しいんですか?」
という哲夫の問いに、教頭は首を振る。
「初めて見ました。おそらくですが、生活魔法の一種が使える様になるものと思われます」
と、そっけなく返した。
哲夫はホッとした。
生活魔法ってことは、前線で戦わなくて済むという事だ。
異世界モノにありがちな、物語の大きな渦に巻き込まれるなんて事もなく、この世界のどこかで【長さ】を駆使した職業に就いて、のんびりと生活するのだ。
悠里が控えめに手を振ってくる。彼女と家庭を持って、質素な生活をするというのもいいかもしれない。
「ちょっと、これは酷くないか?」
また赤毛の少年のイチャモンである。
「いちいち結果が出るたびに、『あぁ』とか『おぉ…』とか言う周りのギャラリーのことだよ」
少年が周りをゆっくりと見回す。
「なぁ、反応でその能力が当たりかハズレか分かっちまうってのは、この後を考えたらまずくないか?
ココには、格付けや階級分けされて謙虚に振る舞える人格者しかいないのか?
ついでに言えば、この中の誰かが、情報を持ってどっかの国に亡命する可能性はゼロなのか?」
彼の再びの正論に、周りは声を失っている。
「【長さ】のコイツだって、ものすごい可能性を持ってるかもしれないのに、ヘソを曲げちまったらどうするつもりだ?」
貴族達がざわついた。
「異界人のヘソには関節がついているのか?」
という誰かの呟きが哲夫の耳に入って来て、思わず吹き出してしまった。
その隙をついて教頭が
「では、隣の控の間に一旦移りましょう」と慌てて移動を促す。
ぞろぞろと動き出す集団のそばで、少年は熱弁をやめない。
「だいたいさぁ、女性陣が寒そうにしてるのに、何で羽織る物とか持って来ないんだよ。お前らの騎士道は見てくれだけかよ」
移動しながらも、女性陣の何人かがこっそりと拍手をする。
「そもそも、この部屋に連れて来られてからだいぶ時間があったのだから、人を連れて来る度にソイツの【魔法詞】を鑑定すればこんなに…」
文句を垂れる赤毛の少年を残し、哲夫たちは別室へ移った。
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