「オザケン」というスベり芸、そしてホイッスルの上手な吹き方

幸野樫/吉田瑞季

「オザケン」というスベり芸、そしてホイッスルの上手な吹き方

 小沢健二の東名阪ホールツアー「Monochromatique」の名古屋公演に参加してきた。

 仲間内でチケットを申し込みまくり、東京在住者が大半だったのでNHKホールよ当たれ、とみんなで祈っていたのだが、全員名古屋が当たった。

 名古屋……(旅費、ホテル代、スケジュール……) と正直みんなで伏し目がちになりつつ参加した。

 しかし、これが思いの外の幸運で、名古屋は全公演の初日だったのだが、このツアーは初日にネタバレなしで参加することにめちゃくちゃ意味があるネタが仕込まれており、いやーよかったねってことで旅費の件などは忘れることにした。


 さて、セトリや内容についてはもっと最強に詳しい人たちがたくさん書いてくださっているので、わたしはここでは「オザケンというスベり芸」について、初生小沢健二を体験したこのタイミングで書いておくことにする。

 注意してほしいのは、わたしの小沢健二に対する感情は若干拗れており、手放しで絶賛するような話にはならないので、無理っぽかったらブラウザバックでお願いします、ということだ。


 さて、先に書いたように、この文章の趣旨は「小沢健二とは、オザケンというスベり芸である」ということである。

 「Monochromatique」の曲間に挟まれる朗読とMCの間みたいなやつ、正直バッキバキにスベってたし、意図してもいるだろうけどスケベ関係の感性がマジでオジサンだねってなった。


 別にいいんです。芸術家はスベってなんぼだから。わたしは結婚直前にシンセ一式買って母にぶちぎれられたテクノカットの父をもつ生粋のYMOキッズで、子守唄はSOLID STATE SURVIVORだったが、教授こと坂本龍一もやはり生前バッキバキにスベっていたし、それを見るたびにスベってんなーと思っていた。

 音楽以外のことは基本何してもスベる、共感性羞恥の源、それが坂本龍一だった。


 だから音楽家が、シンガーが、スベるってのはもう勲章みたいなものだと思ってほしい。コンサートなんて全力のスベりを見にみんな来てるんデショ、くらいにわたしは思っている。


 そうは言っても小沢健二のスベりっぷりときたら、これは当代随一である。

 この前なんて東大駒場の900番講堂で講義(講義?)なんてやっちゃって。

 これはわたしが小沢健二に対して拗れている要因の一つなのだが、わたしは小沢と同じく東大の文学部を出ている。

 だから、彼のインテリっぽいもって回った詩的表現とか、あるいは「駒場」という土地について、心の奥の方で、共通参照地点みたいなものを共有している(と思っている。ところで、彼は本郷の話はしない。好きじゃないのか、あまり通っていなかったのか)


 最近の小沢健二の曲に「駒場図書館」(これは公共図書館ではなく大学図書館である)や、そこから渋谷原宿方面に移動する描写が出てくると、もう明確にルートや景色が浮かんでくる。

 もちろん小沢とわたしの在学期間には30年近くの差があり、駒場キャンパスも図書館を含めてかなりの建物が建て変わった。

 しかし、グラウンド横の裏口を抜けて山手通りを横断し、神泉松濤エリアの金持ちの住宅街のあたりを通って渋谷に向かって文字通り谷を降りていく、あの身体的な運動感覚が、確かに歌の中から立ち上がってくる。


 その郷愁を共有するとき、わたしはオザケンと一緒にスベっている。スベらされている。

 高学歴のオッサンオバサンが大学時代を思い出してアレコレ喋ったうえ、それを何百人もの人間に聞かせようだなんて、スベりの極みである。飲み会なら30分経ったところで多めの飲み代を置いて帰った方がいいケース。

 だいたいこうやって長々とこういう文章を書いている段階で、もうわたしもスベっているのだ。巻き込まれスベりである。しかも自分から巻き込まれに行っている。

 端的に言うと、まあ、ちょっとした同族嫌悪に近い。でも気がつくとまた小沢健二の曲を聴き一緒にスベっている。


 一方で、おめーは全く東京のボンボンだなオイ、と思うことも多々ある。

 今回の新曲に大阪をテーマにしたものがあったが、仕事で阪神間地域に数年住んだ人間としては、関西人は妖精さんではなく地に足のついた生活者だということを忘れるなよ、と言いたくなる頭お花畑っぷりでちょっといただけなかった。

 大阪旅行に子どもと行って楽しかったのはわかったが、大阪、ひいては近畿地方の人々のもつ歴史や土地の記憶についての屈託をもうちょっと考えてほしい。

 あとオザケンのメンタリティーでは関西に住んであのぶつかり稽古的コミュニケーションに晒されると3日でK.Oだと思う。

 関西人を舐めるなよ。


 だいたい、小沢は出てきた瞬間から頭の上のウサ耳をなびかせており、こんなんが成立するのはウサミミ仮面さま(from アニメ版マイメロディ)かラーメンズ小林のバニーボーイくらいである。

 ラーメンズ小林賢太郎と小沢健二はかねてからキャラが被っているとわたしの中で話題になっており、ついに小沢健二もバニーボーイの店ラビリン下高井戸店に入店する運びとなったわけだ。

 きっと人気ナンバー11くらいにはなれるだろう。

 密かに小沢健二と小林賢太郎がいつかコラボレーションしないかなと期待しているが、めちゃくちゃ我が強くて人見知りどうしなのでハチャメチャになると思う。それも含めて見たい。


 また、別の新曲では完全に料理研究家の土井善晴先生が降臨しており、「生活をやっていく」の姿勢がかなり先鋭化していると感じた。

 小沢は多くの表現者と同様、ずっとその政治性をチラ見せしつつ、変遷させて来たわけだが、今回のコンサートからは、「大きな世界を変えるためにはとにかく自分の生活をやっていくしかなく、生活こそ最小単位の政治だ」という姿勢が強く見えたと思う。

 わたしも生活をやっていくことには賛成だが、こういう考え方は時として自分から遠くそしてあまりにも巨大な悪に対しての諦念を含んでしまうから、そこには危うさを感じた。

 目の前の生活に丁寧に向き合うことはもちろん大切だ。家族や友人、なにより自分の健康な人生のために。

 しかし、あまりにも小さな善を追求しすぎると、それは結果として大きな社会の歪みや悪から目を背けることにもつながる。

 そこのところは最近QUEEN + アダム・ランバートの東京ドーム公演で、画面にでかく終末時計を映して「悲しき世界」を歌う、マジで躊躇なく激強の思想を見せてくるブライアン・メイを見たところなので、比較のせいでちょっと厳し目の意見になっている気もするけれど。


 最後に、ホイッスルの上手な吹き方をお伝えしたい。わたしは打楽器をやっていたことがあり、そしてなぜかホイッスル及びサンバホイッスルは打楽器パートが担当することが多いので、吹き方のコツを知っているからだ。

 まず、「タンギング」は必須だ。むかしリコーダーの授業で習ったと思うが、笛の吹き口に舌をつけて、トゥッと素早く舌を離しながら吹くと、音の頭にきれいなアタックが出来て、強くていい音が出る。とくにホイッスルは中の玉がいい感じに転がることでホイッスルらしい音が出るので、このタンギングで中の玉をしっかり動かす勢いの息を吹き込むべし。

 また、なんとは言わないが例のホイッスルはそもそもそこまで大きな音が出ない仕様になっている。だから、大きな音を出したいからと言って息を吹き込みすぎると酸欠になってしまう。

 自分の高まりをアピールしたいなら、「ピーーーーー!」と長く吹くより、「ピ!!!ピ!!!ピ!!!」みたいな感じで短く端切れのいい音を繰り返すほうがいいかもしれない。曲のリズムやフレーズに合わせるのも楽しくてオススメ。

 吹き口のところを歯でガチッと噛んで固定して吹けばフリーハンドになりクラップやハンドウェーブなどと両立できるというワザもある。


 さて、持ち帰ったホイッスルだが、なるべく早めに水で中まで洗った上で、しっかり乾燥させることをおすすめする。

 吹きまくったホイッスルの中身はあなたの吐息の中の湿気で湿りまくっており、そしてホイッスルの中にはコルク製の球体が入っている。そして口の中には無数の細菌が住んでいる。この意味がおわかりだろう。

 当然ながら洗ったあとも中のコルク玉は乾きにくい。すぐにしまわずに乾燥させないと何かが生えてくるぞ。


 以上が、「モノクロマティック」に参加して感じた小沢健二の「スベり芸」及びホイッスルの上手な吹き方である。


 90年代生まれの人間が「90年代の夏みたいだね」とか言われても正直虫取りや市民プールの思い出が浮かぶのだが、不思議とネオンカラーとミラーボールに彩られたダンスフロアでほんとうはそこまで楽しくもないのになんとなく体を揺らしている所在なさげな青年のことをよく知っている気がしているのも、また「ほんとう」のことだ。

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