こんな学校 あったんかい


 そんな高校3年の10月頃、『衆議院速記者そっきしゃ養成所』という学校の生徒募集を知る。

 修業年限2年で受験資格は19歳まで(実際には多くの公務員試験同様、誕生年月日で切られる)。


 名前から分かるように、衆議院の速記士を養成するための学習機関で、文部省(現・文部科学省)の管轄ではないので、この学校に進学したとしても、学歴的には高卒である。一応就職時には便宜上「短大卒程度」として扱われることもあった。


 こんな言い方も嫌らしいのだが、私が進学したかった理由は、「とにかく家を出たかった」ことと、「何でもいいから勉強できることを勉強してみたかった」からであって、学歴が欲しかったわけではない。

 といっても、当時抱いていた本音をすこーんと都合よく忘れているだけで、やはり大卒や短大卒として普通に扱われた方が面倒が少ないだろう――くらいにはきっと考えていたと思う。結局とどのつまり、私はそういう人間だからだ。


 パンフレットを取り寄せてみると、授業内容や昨年までの試験の倍率などが書かれていた。

 15人程度の採用数に対して100~150人といった志願者が集まるようだ。

 結構厳しい競争率ではあるが、試してみる価値はありそうだと思い、願書を提出した。


 1987年3月9日、1次試験のために東京農業大学のキャンパスへと赴いた。養成所から最も近いところにあった大学である。

 ちなみに同日行われた参議院養成所の試験会場は学習院大学だったそうだが、参議院の校舎は世田谷のかなり川崎寄りのところにあった。些細なことではあるが、試験会場の下見ついでに衆議院の校舎の場所も確認できたので、単純に衆議院にしてよかったなと思った。


 衆議院と参議院のどちらを受験するか、実は迷っていたのだが、決め手になったのは、「将来もし日本が一院制になったとき、残るのは衆議院の方だろう」という家族の一言だった。


 試験科目は国語・英語・政治経済だが、いずれも問題内容は平易で、ごく普通に大学受験を意識して勉強した人には楽勝だったと思われる。


 ただし、「適性試験」として行われたものがかなり独特だった。


 「ケンコセイカツトテンワ」というタイトルのついた文章。全て片仮名で、しかも句読点は全くなく、濁点、拗音、促音も清音として処理されている。それを「漢字仮名交じりにせよ」というミッションだった。


 「ケンコセイカツトテンワ→言語生活と電話」ということは、問題文を読んでいると、何となく見えてくる。

 あとは仮定し、すり合わせ、確定する――を繰り返すだけだ。問題文自体があまり難度が高くないこともあり、意外とすんなり解けた(**下記注)。

 これに何の意味があるかといえば、この作業こそが、速記符号を日本語の文章に直す「反訳」と呼ばれる作業の考え方なのだ。


 問題自体はそう難しくなかったが、競争率10倍程度だったこともあり、合格できた手応えなど全くない。

 「とりあえず、バイト探すか…」と思いながら家に帰った。


 新幹線なら1時間強の距離だったが、みじめったらしい気持ちを抱えたまま、各駅停車を乗り継いで、5時間近くかけて帰った。



**

この翌年に行われた試験では、「竹下登首相 所信表明演説」(1987年11月27日)の一部がそのまま採用されたようです。


ちなみにこの冒頭文だけを「設問」にすると、こうなります。


ワタクシハサキノコツカイニオイナイカクソウリタイシンニシメイサレコクセイヲニナウコトトナリマシタナイカイノシヨウセイカキヒシイナカコクミンノミナサマノキタイトシンライニコタエルヘクセンリヨクヲツクシテコクセイノスイコウニアタツテマイリマスヨロシクコシエンノホトオネカイモウシアケマス」


模範解答

「私は、さきの国会において、内閣総理大臣に指名され、国政を担うことになりました。内外の情勢が厳しい中、国民の皆様の期待と信頼にこたえるべく、全力を尽くして国政の遂行に当たってまいります。よろしく御支援のほどをお願い申し上げます。」


国会会議録「第111回国会 衆議院 本会議 第1号 昭和62年11月27日」からの引き写しです。

上記は「国会会議録用字例」に準拠しているので、人によって読点の打ち方や表記に差が出ますが、大意が合っていれば大きな減点にはならなかったのでは…と推測されます。何しろ受験生は、また用字例も支給されていない状態だったので、「高校生にしちゃ上出来」のクオリティーで十分だったのではと(知らんけど)。

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