第1章

1.正しい方向へ。





「天ヶ瀬先生、こっち手伝ってもらっていいですか?」

「分かりました!」



 スピード着任により担当科目もない俺に、できる仕事は多くない。

 したがって、この数日の自分がやっていることと言えば先輩教師のみなさんから請け負う雑用だった。とはいえ、これらも『生徒のため』に繋がる部分が大きい。だから一切手を抜くことはないし、常に全力投球で挑んでいた。


「はっはっは! 今日も関心ですね、礼音先生!」

「ありがとうございます、早乙女先生」


 そうしていると、自分に好感を持ってくださる先生もいる。

 いま声をかけてくれた男性教師――早乙女剛先生も、その一人だった。筋骨隆々とした見るからに体育教師な彼は、俺の背中をパシンと叩くと大声で笑う。

 思いのほか痛みが強いが、これもスキンシップの範疇だろう。

 俺は苦笑しつつ、頬を掻いた。すると、


「ところで、毎日こんな仕事ばかりでは飽きるだろう!」


 ふと早乙女先生は、そう言って腕を組む。

 そして、こう続けるのだ。


「そこで礼音先生に提案なんだが、一緒に青春の汗を流しませんか?」

「青春の汗、ですか?」

「えぇ、そうです」


 こちらが首を傾げると、彼は言う。


「先生にはぜひ、私が担当するバレー部の副顧問になっていただきたい!」――と。







 そんなこんなで、その日の放課後。



「それでは、突然だがみんなに新しい副顧問の先生を紹介するぞ!」

「あ、天ヶ瀬礼音です! よろしく!」


 ジャージに着替えて、俺は体育館で声を張り上げていた。

 こちらを円形に取り囲む生徒たちの視線を受けると、いつにない緊張感を覚えてしまう。そもそも俺にはバレーの経験がない。また体育会系のノリというのも詳しくはなく、少しばかりの気後れがあった。


『よろしくお願いします!』


 だが部員たちは気にした様子もなく、こちらの挨拶に応えてくれる。ほぼ全員が声を揃えて、頭を下げていた。

 そこでふと、部員の中に見知った顔があることに気付く。


「あれ、東雲さん?」

「新しい副顧問というのは、天ヶ瀬先生だったのですね」


 散っていく彼女たちを見送りつつ、声をかけると東雲さんは冷静な口調で答えた。

 教室で見ることのない体操着姿の東雲さんは、肘と膝に黒色のサポーターを装着している。また眼鏡ではなくコンタクトにしているようで、印象もずいぶん違った。

 しかしながら、態度については彼女に相違ない。

 それがまた違和感を大きくするのだが、指摘するのも失礼な気がした。


「今日から、よろしくお願いいたします」

「あ、あぁ……球拾いくらいしか、できないけどね」

「いえ、ありがたいです。それでは、私はアップをしてきます」


 などと考えつつ、そんなやり取りをしていると彼女は一礼して部員たちのもとへと向かう。呆然と立ち尽くしていると、声をかけてきたのは早乙女先生だ。


「プレーを見ると、もっと驚くぞ」

「そうなんですか? ……っとと!」


 彼は笑いながらそう言うと、スポーツ飲料の入ったボトルを放ってくる。慌てて受け取りながら訊き返すと、このように続けた。


「いつもは冷静なんだが、得点を決めた時に誰よりも声を出すのが東雲だ。内なる闘争心というか、生まれ育った境遇が関係しているのかもしれないな」

「生きてきた境遇……?」

「あぁ、まだ知らなかったのか」


 首を傾げると、早乙女先生は少しだけ考えてから話し始める。


「いや……東雲は、少しばかり特殊な境遇でな。日本国内の紛争地域で捨てられて、ここに入学するまでは傭兵として活動していたんだ」

「傭兵、ですか」

「いまの情勢なら、傭兵自体は珍しくないんだがな。問題は東雲がどこからやってきたのか、本人でさえ知らないということだ」

「……………………」


 ただ分かっているのは、傭兵団に拾われ戦闘要員として育てられたことだけ。もとより才覚に満ちていたこともあってか、順応は異様に早かったらしい。

 早乙女先生の話に、俺は黙ることしかできなかった。


 あまり感情を表に出さない彼女にあった事実に、思わず眉をひそめる。実の両親から見放され、戦いの道具として扱われて育った東雲涼子という少女。

 俺は言いようのない怒りや、憤りを抱くしかできなかった。

 もちろん、その対象は――。


「どうして、子供がそんな目に遭わなければいけないんだ」


 ――この世界、あるいは彼女を見放し利用する『大人』に対して。

 異能者といえども、彼女が子供であることに変わりなどない。いかなる理由があったとしても、子供は守られるべきなのだ。

 俺のそんな感情を察してか、早乙女先生は肩に手を置いてくる。


「礼音先生。アンタは先日、あの柴咲に言い返していた。その苛立ちは教育者としては真っ当だし、正しいものだ。だけど、それに囚われちゃいけない」

「それは、そうですけど……」

「怒りや憤りは、正しい形で正しい方向に向けなきゃならない。漠然としたものにぶつけてるだけじゃ、八つ当たりと変わらないさ」

「…………たしかに」


 彼の言葉に、ほんの少しだけ冷静さを取り戻した。

 それでもまだ僅かに残った火に対して、先輩教師はこう告げる。


「だから、考えるんだ。冷静にしっかりと考えて、自分が何に怒っているのか、憤っているのかを見つけるんだ」

「…………」


 その通りだった。

 この感情はきっと、間違いではない。

 だったら自分のすべきことは、いったいなんなのか。


「……ありがとうございます。早乙女先生」

「なに、気にするな。こんな学園で教師をやってたら、そういった場面に幾度となく出くわすだけだ。ただ、そのたびに――」


 俺が感謝の言葉を述べると、早乙女先生は一度言葉を切ってから。



「バレーと同じさ。全員が同じ方向を見て、そのために自分のできる行動するのが大切なんだ、って思わされるだけだからな」



 アップを終えた部員たちを見ながら、そう口にするのだった。


「そう、ですね」


 俺はその表現に納得する。

 誰かがミスをしても、誰かがそれをカバーして。

 全員で同じ相手を越えるために、努力を重ねていくのだ。


「俺はまだ全然、未熟ってことですね」

「当たり前だ。二十三歳の子供には、何も分からねぇよ」

「ははは、たしかに。……でも、いつまでも子供ではいられませんからね」

「……だな。それも、間違いねぇよ」


 そう考えて俺が言うと、先輩は静かに笑うのだった。







「――っと。あとは、こっちを洗って終わりだな」



 バレー部の練習が終わり、俺は使用したボトルなどを洗っていた。

 基本的に職員室での雑用の延長だが、不思議と苦には感じられない。きっとこれも、生徒のためだからと思えるからだ。

 それに何より、今日は早乙女先生に大きな恩を受けた。

 だったら少しでもいいから、そのお返しがしたい、というものである。


「あ……先生、こんなところにいたのですね」

「ん、東雲さん?」


 そうしていると、俺を探していたらしい東雲さんが現れた。


「すみません。何から何までお手伝いしていただいて……」

「大丈夫、気にしないで。これでも副顧問なんだからさ」

「……いえ、そういうわけにも」


 どうやら、片づけをしている自分を手伝いにきたらしい。

 まだ洗っていない最後のボトルに手を伸ばすので、制して先に拾い上げる。すると彼女は、アテを失った手を宙でさまよわせた。しばらくそのまま申し訳なさそうにしていたが、俺がボトルの洗浄を始めると諦めたらしい。


「……ありがとう、ございます」


 小さく感謝を口にした。

 俺は彼女の言葉を聞いてから、ふと自分も言い逃していたことを思い出す。そのため一度、作業を中断して伝えることにした。


「東雲さんも、マナのことありがとう」

「……え?」


 それというのも、幼馴染みのことについて。



「東雲さんが、転入してきたマナの面倒を見てくれたんだよな。アイツって、昔から変なところで人見知りだったからさ」



 先日、マナの手助けをしたのが東雲さん、というのを聞いて疑問を感じていた。

 二人の性格は語弊を怖れなければ、正反対といっていい。接点も少ないし、いくら同室だといっても親友となるには歩み寄りが必要だったはずだ。

 だけど、その謎も早乙女先生から聞いた話で解けた。

 きっと東雲さんは、過去の自分とマナを重ねて考えて――。



「助けてくれて、本当に――」

「そんなのじゃありません! 私は……!!」

「……え?」



 だが、重ねて感謝を伝えようとしたら。

 東雲さんはいきなり、珍しくも声を張り上げたのだった。驚いて見てみると、そこにあったのは今にも泣きだしそうな少女の表情。拳を握り締めて震わし、唇を噛んで、なにかを押し殺しているように感じられた。


「東雲さん……?」


 俺はそんな東雲さんに虚を突かれ、ただ名を呼ぶことしかできない。

 少しすると、彼女も自分の発言に気付いたのか動揺を見せた。


「す、すみません……私は、寮に戻ります……!」

「え、あ……!」



 そして、慌てた様子で行ってしまう。

 俺はただ呆然と立ち尽くし、



「いったい、どうしたんだ……?」



 そう呟くことしか、できなかった。



 

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