4. 人魚


 “長年禁足地とされていたメロウの谷へ、足を踏み入れる許可が下りた。

 深刻な魔力不足に陥っていたことが功を奏したようだ。

 書記として、この旅へ同行できる事となった。

 これで念願のあの谷へ行ける。これからの旅路が楽しみだ。


 メロウの谷は不思議な土地だった。

 結果的に言うと、私達はこの研究を中断した。

 詳細は以下に記す。


 メロウの谷に満ちる神聖な魔力の発生源を突き止めようとした我々は、谷の奥に人が住む町を発見した。

 まさか、この谷に人が住んでいるとは思っていなかった。


 我々は、彼等をメロウの民と呼ぶことにした。 

 メロウの民達は、実に興味深い魔力を宿していた。

 その存在は、人間というよりも妖精や精霊に近いように感じる。


 我々は、メロウの民も調査することにした。

 

 メロウの民は、白髪に青い瞳の浮世離れした美しい容姿をしていた。

 そんな白髪の民の中に、黒髪の子が産まれたそうだ。


 災いを呼ぶ黒鳥の子だと、民達は彼を恐れた。

 白鳥の中に、黒鳥が紛れ込んだのだと。


 黒い髪に白い瞳、少年の目つきはいつも暗かった。

 それもそのはずだ。

 あまりにも異質の存在。

 民達の彼に対する扱いは、非常に不愉快なものだった。

 

 しかし、彼には双子の兄がいた。

 柔らかい白髪に青い瞳。

 メロウの民だと、1目で分かる見た目だ。


 活発だが穏やかな性格の彼は、皆に愛されていた。

 そして、いつも黒髪の彼の隣にいた。


 黒鳥の子に対する扱いは酷いものだったが、我々の事は歓迎してくれた。

 驚く事に、我々と同じ髪と瞳を持つメロウの民が居たのだ。

 彼等によると、どうやら青い瞳の民達は色を知らないらしく、識別できる色は白、灰、黒の3色だけなのだとか。


 季節が2度巡った頃、悲劇が起きる。

 平和なこの谷に、大量の魔力反応が現れた。

 その正体は、禍々しい魔力を持つ生命体だった。

 

 額に青く光る石を持った、悪魔と呼ぶのに相応しい異形、黒い狼のような姿をしていた。


 森から出てきた悪魔は、メロウの民を喰らった。

 少しも残さずに喰らった。


 しかし、不思議な事に我らと青い瞳を持たない民の事を喰わなかった。

 メロウの民がもつ青い瞳の魔力を狙う、というのが我々の推測だ。


 全てを食らいつくした悪魔は、湖の元へ迷いなく向かい、湖の中へ自ら入っていくとそのまま消滅したのだ。

 まるで、そうする事が予め決まっていたかのように。

 悪魔は、湖に融けていった。


 我々の頭によぎったのは黒髪の彼、黒鳥の子。

 黒鳥の子が悪魔となったのではないかと考えた。

 しかし、この仮説はすぐに覆される事になる。


 白い髪の少年を見つけたのだ。

 黒鳥の子の片割れである彼だ。

 彼は、なにか巨大な黒い布を被って、森の中で震えていた。

 黒髪の彼の名前を呼びながら怯えている様子は、非常に痛ましかった。


 落ち着いた彼に話を聞くと、悪魔に襲われた自分を庇って黒髪の彼が亡くなったらしい。

 自分は彼のために生まれたのに彼を守れなかったのだと、悔やんでいた。

 

 そして彼に話を聞いているうちに、メロウの民の全容が少しだけ見えてきた。


 メロウの民は、湖に住む人魚の妖精から産まれた存在らしいのだ。

 なぜ、人魚の妖精が生命を産む程の魔力をもつに至ったのかは、後に記す。


 彼は語った。

 湖に悪い魔力が溜まった時、黒鳥の子が生まれる。

 そして、自分と黒鳥の子はずっと前から同じ魂をもって生まれ直しているのだと。

 

 ある時は片方が悪魔に殺され、ある時は2人とも悪魔に殺された。それを何万年もの間繰り返しているのだという。


 この谷のためだけに儚く散る運命なのだ。

 また、運命に抗えなかった。

 彼はそう言った。


 しかし、その事を知っていたのなら、彼は黒鳥の子を失う事が無かったのでは?彼に問う。


 彼は言った。

 悪魔に遭遇すると記憶が蘇るのだ。

 今まで少しずつ集めた情報が蘇るのは、悪魔に出会った時だけなのだと。

 それから、黒鳥の子に記憶が蘇った事は今まで1度もなかった、と。


 前述した、妖精に生命を産むほどの魔力がある事について。

 (この話はにわかに信じ難いのだが)

 町長だけが受け継ぐとされる神殿に、答えが記された書物が納められていた。

 一体、誰がいつどのように作成したのか、全く書かれていない書物だ。

 非常に古い言葉で書かれている書物で、彼も今まで読むことが出来なかったと言っていた。


 複雑な魔法陣が何重にもかけられた紙の束を解き、我々は生涯を捧げて読み解いた。


 驚く事に、悲劇の始まりは神代の時代にまで遡った。

 書物の束に記されていた題はこうだ。


《メロウとあの子を救う為に》


 (以下は、我々が読み解いた内容である)

 

 天界の天使は、湖に住む美しい人魚の妖精「メロウ」に恋をした。


 天界からこの地へ訪れる度、天使はメロウに話しかけ、色々な物を捧げた。

 おいしい物、美しい物、楽しい話、面白い話。


 ある日、恋する天使は罪を犯す。

 魔物に唆され、天界に住む父である神の私物を、メロウに捧げたのだ。

 

 神はこれを許したが、ほかの天使達は許さなかった。

 罰として、天使は天界に閉じ込められた。


 メロウに会えない苦しさを嘆いた天使は、自らの意思で堕天した。

 天界を出てすっかり弱った堕天使は、この地で長い時を生きる事が出来なかった。


 天使は、最期に願った。

 湖の元で、メロウの傍で眠りたいと。


 一方で、長い時を孤独に生きていたメロウは、自分の元に訪れる天使に惹かれていた。

 天使が自分のせいで堕天したと知った時、自らを責めるあまり、天使が弱っている事に気付けなかった。

 

 自分の住む湖で永遠の眠りにつきたいと願う天使に、取り返しのつかないことをしたと酷く後悔する。

 もっと素直になっていれば、彼ともっと長い時を過ごせたかもしれないのにと。


 天使が永い眠りに着いたあと、メロウは泣き続けた。

 やがてメロウの涙は、青い結晶となり強い魔力を帯びるようになる。

 それは、悲しみであり、悔しさであり、彼を堕天するに至らせた天使達と魔物への憎しみ、そして自戒であった。


 妖精の涙は、堕天使が融けた湖と合わさっ、て魔力の塊となった。

 やがて、妖精の涙は生命の種になる。


 湖は新たな命を産んだ。

 それは、主に妖精や精霊だった。


 ある時、この神聖な地に、水の上位精霊であるウンディーネが住みついた。

 生命の種から召喚されたウンディーネは、白い髪と青い瞳をもつ精霊だった。

 生命の種から生まれた命は等しく、妖精の涙を宿していた。


 精霊が住み着くこの地の魔力は、より神聖なものになっていた。

 その魔力に惹かれたのは、妖精や精霊だけでは無い。

 

 時に人は、森の妖精を捕まえた。

 森から離れた妖精達は、人の国に厄災をもたらした。

 ある国では毎日のように雨が降り、ある国では日照りが続いた。


 だが、妖精に気に入られた人間がいた。

 魔法は使えないが、春の女神に祝福された人間だった。

 

 魔法による戦乱で人の世が混沌に陥り、祖国が滅んで逃げて来たのだと言う。

 その者達は、祖国を奪った魔法に憎しみを抱くと同時に、憧れ続けた気持ちを素直に受け入れていた。


 妖精達の綺麗な魔法を目にした彼等は、心から憧憬の念を抱く。

 そんな彼等を、妖精達は歓迎した。


 特に、美しい人の姿をしていたウンディーネは、この中の人間と恋に落ちた。

 そして、長い時をかけてこの谷にメロウの民が誕生したのだ。

 妖精の涙を宿した精霊を祖にもつ彼らもまた、妖精の涙を宿していた。


 メロウの民が誕生するまで、実に1万年の月日が流れていた。


 妖精の涙は、元々森に住む魔物にも影響を与えていた。

 天使を唆した魔物達だ。

 

 湖の魔力に引き寄せられて集まってきた魔物達は、神聖な魔力によって消滅していた。

 しかし、魔物が出す悪い魔力の残滓が、魔素となり生命の種に少しづつ溜まった。


 魔素が生命の種から孵化すると、恐ろしい悪魔が生まれた。悪魔は、妖精の涙を求めて彷徨った。


 全てを喰らった悪魔が消滅すると、森の瘴気は完全に消えた。

 そして、また新たな生命が湖から生まれてくるのだ。


 精霊が再び召喚され、妖精や魔獣が生まれる。

 再び魔物が集まって、悪魔が生まれる。

 

 この土地独自の生態系循環が形成されていた。


 悪魔に喰われるために、生命の種から生まれてくる彼等を、メロウは憂いていた。

 そして、この憂いこそが悲劇の始まりだったのだ。

 

 湖の底に眠る堕天使は、最期にメロウへ加護を与えた。

 『湖よ。未来永劫、メロウの憂いを晴らせ』


 生命の種から生まれてしまった穢らわしい悪魔が、我が子のような生き物達を喰らい尽くす光景を、ただ眺めているだけの数千年を過ごした。

 

 しかし、メロウは悪魔の消滅を願う事が出来なかった。

 悪魔が消滅すると、この谷の生態系も消滅するからだ。


 天界に足を踏み入れた人間が消滅するのと同じように、溜まりすぎた神聖な魔力は、精霊や妖精も浄化する。


 そして、神聖な魔力に浄化された生命は、輪廻転生の輪から外れることになる。

 そうなると、メロウは堕天使が眠るこの湖に居られなくなってしまう。


 悪魔が谷の生命を喰らう事で、この地は妖精が住める環境になっていたのだ。

 

 メロウは、悪魔に食われる生命を憂いながらも、自らの魂がこの地で巡り続ける事を願っていた。

 この矛盾した願いから生まれたのが、魔素を分解する黒い髪を持つ生命だった。

 この生命は、メロウの民の中に約2000年周期で生まれた。


 黒鳥の子(書物には黒の子と記されていたが、便宜上黒鳥の子と記す)が、妖精の湖に自らを捧げると、生命の種に代わり魔素をその身に吸い込む。

 魔素が完全に消滅するまで、その髪は分解を続けて悪魔の発生を防いだのだ。

 

 同時に、魔素を取り込む事でしか生きれない黒鳥の子が骸となり湖に溶ける時、湖の神聖な魔力がその魂を守るために消費された。


 黒鳥の子は、メロウの願いを堕天使が叶えた存在なのだ。

 

 はじめてこの光景を見た。

 それは、あまりにも泡沫夢幻な夜だった。

 

 黒鳥の子が生まれて沈んでを繰り返し、数千年が経った頃、再びメロウは憂いた。


 黒鳥の子を本能的に嫌悪する民達から、黒鳥の子は酷い扱いを受けていた。


 黒鳥の子にとって、生まれた日から最期の日まで続く悪夢だった。

 最期は、民達に騙されて湖の元へやって来るのだ。

 きっと優しい世界に行けるのだと、不確かな希望を抱いて。


 誰も信用せず、それでも人を想い想われたいと願う黒鳥の子は、まるでメロウに恋をした哀れな堕天使のようだった。


 そんな黒鳥の子が、少しでも穏やかな日々を過ごせるようにとメロウは願った。

 そして、黒鳥の子の傍には、黒鳥の子にとって唯一と言えるような存在が生まれるようになったのだ。


 黒鳥の子を守って欲しいというメロウの願いから、その子は嘘が見える能力をもって生まれた。

 

 そして、この2人は複雑に絡んだ使命を持って、輪廻転生の輪を永遠に繰り返す事になる。


 それから、民の嘘が通用しなくなり、黒鳥の子が自ら湖に身を捧げなくなった。

 これは、メロウの憂いを晴らすことになったが、同時に悪魔の発生を許すことに繋がってしまった。

 

 結局、この谷の生命が悪魔に喰われていく状況に逆戻りした事で、メロウは心を閉ざし湖の底から出てこなくなった。

 自分の願いが、新たな悲劇を産みだしているのだと思うと、恐ろしくなったのだ。


 永遠に続くこの悪夢から、メロウとあの子を救いたい。


 (記録はここで途絶えている)


 これを我々と共に読んだ白鳥の子は、湖に行ってメロウに願った。

 

 来世では黒鳥の子を守りたい。

 しかし、今のままではまた繰り返すだけだ。

 自分に彼とメロウを助けるだけの力を授けてくれと。

 

 その願いを聞いたメロウは、白鳥の子に新たな力を授けた。

 白鳥の子が与えられた力は2つ。

 

 <生命に魔力を付与する力>

 <魔力が永遠に増え続ける祝福>

 

 メロウは力を与えたあと、彼にこう告げた。

 

『白い花弁が散る頃、貴方は魔力に溺れて共に散るでしょう。花が咲いたら滅ぼしなさい。花が咲いたら与えなさい』


 我々はこの事を踏まえ、この神話の信憑性が非常に高いのではないかと判断した。

 だとしたら、世界各国に残る神話や伝承に説得力が増す。

 これは非常に大きな発見をした。


 しかし、谷の魔力は再現不可能なものだったため、我々の研究には生かせないようだ。

 また、研究対象だったメロウの民が滅んだため、この研究を中断せざるを得なかった。

 しかし、我々はこの地に留まりメロウの谷を見守る事にする。

 

 理由はいくつかあるのだが、1番は白鳥の子が居たからだ。

 妖精に与えられた能力の事も気になったのだが、その人柄に皆が惹かれ、守りたいと思った事が大きな理由だ。

 きっと2000年後にまた繰り返す悪夢から、あの子達を守ってあげたい。

 

 彼は不思議な子だ。

 皆が、彼の為になにかしてあげたくなってしまう。


 そして、私達は家族になったのだ。

 調査隊と生き残った民、そして白鳥の子、大きな家族だ。


 彼は、<魔力が増え続ける祝福>で体に溜まり続ける魔力を持て余しているようだった。

 放出するために、木箱に強力な魔法陣を施したり、魔法を習得したりしていた。


 それでも足りず、彼の魔力が溢れて彼の周囲に様々な植物が現れるようになった。

 季節に関わらず咲き乱れる色とりどりの植物は、この世のものとは思えない程美しかった。

 だが、その光景とは裏腹に、彼の体は魔力に侵され衰えていった。


 これは人間にも見られる病なのだが、体に溜まった余分な魔力は魔毒と呼ばれ、段々とその体を蝕む。

 完全な人間であれば、溜まった魔力が臓器の機能を停止させ、行き場をなくした魔力が持ち主の肉体を動かしアンデッドと化してしまう。


 しかし、彼の場合はそうではなかった。

 6回季節が回った頃、彼は空中に霧散したのだ。

 白く美しい花弁となって。

 我が子のように愛した彼との別れを、皆で惜しんだ。


 長い年月が過ぎていた。

 我々は、この谷でまた繰り返される悲劇のために、出来る事をしようと決意した。

 いずれあの子達が救われる日まで、この谷を見守り続けようと。

 

 私は息子にこの手記の複製と、彼が私達に願った事を託す。

 そして、これから生まれてくるであろう魔力を持たないメロウの民に、この事を継承させ続けると誓う。

 

 きっと長い年月をかけて、この祈りが届く筈だと信じている。”

 

 

 

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