第八楽章♬ 「音楽は人を救わない」


ふぅーっ


襟をととのえ、目を瞑り深呼吸をする


目を開け、バイオリンを構え演奏の体制に入る


ネーシャの心の傷を癒すため、そして勇気を持ってほしいため、優しいメロディーだが熱も感じさせる曲にしよう


そう考え俺は演奏を始める


暖かい、そして包み込むような旋律がこの空間、そしてネーシャに響きわたる


ネーシャは口を腕で覆いながら、静かに、悲しい目で湖を見つめている、そしてその瞳には湖から反射した月の光がキラキラと輝いている


そんな瞳を見ながら、俺とネーシャについて考える


演奏家の父がいて、その人がきっかけで音楽を始めたこと


その人がバイオリンをくれたこと


その人の別れ際の言葉が胸に深く残っていること


俺も昔の頃は「あの演奏家の息子」としか見られていなかった、俺も同じような状況を経験しているからこそネーシャの苦しみと悲しみはよくわかる


現代と異世界、年齢、性別、生まれた環境、何もかもが違うのに、何もかもが同じ、そんなよくわからない運命的なものを感じる


だからこそ俺は共感できるし、余計に助けたくなってしまう


そんな想いを胸に秘め演奏を続ける


さっきまで湖を見ていたネーシャはまた顔を腕にうずめて、顔も見えなくなっていた


そんなネーシャに俺は演奏しながら声をかける


「一緒に演奏しよう」


「……」


ネーシャは何も言わないながらも、腕から目を覗かせる


「俺はネーシャの演奏が聴きたい」


純粋な目で、まっすぐと、よくネーシャ目を見て言った


「……分かったわ、そんなに聴きたいなら聴かせてあげる」


ネーシャは背負っているピンクのケースからバイオリンを取り出し、構える


……っ! 雰囲気がガラッと変わった、さっきまでのネーシャの面影はどこにもなく、透き通っていて深い目でバイオリンだけを見つめて、思わず引き込まれそうになる


構え方も素人のそれではなく、長年努力してきたことが伝わり、その姿に驚いて演奏を止めてしまいそうになる


「ネーシャのタイミングで入ってきてくれ」


俺がそう言うとネーシャは、迷いなく最善といえるタイミングで入ってきた


「これはすごいな……」


声を出さないわけにはいかないほど彼女の演奏は素晴らしかった、まだ子供であり、完璧とまではいかないが、既にほとんどの演奏家を凌駕するほどの演奏だった


俺の音色は熱が入っていて、力強く情熱的なのに対し、ネーシャの音はどこか静かで、優雅で、奥深い音色をしていた


俺たちの音は混ざり合い、一つになって暗闇震わせる


初めて一緒に演奏したとは思えないほどに息が合っていて、まるでお互いのことを全てわかっているような、そんな演奏を重ねていく


風は感じない


心臓の鼓動も感じない


何も見えていない


何も匂わない


体の感覚がない


時間が止まったようだった


そう錯覚するほどに……いや、本当に時間が止まっているのかもしれないな


それほどこの空間はバイオリンの二色で染まりきって、二人もバイオリンに染まりきっている


楽しい、率直にそう感じた


俺は今までで本当に様々な人とデュエット、重奏や合奏をしてきたが、ここまでの一体感は初めてだ、この空間に取り込まれてそのまま消えてしまいそうだ


……! 俺は何かを感じて隣を見る


ネーシャは……涙を流している……


彼女が何か言ったわけじゃない……だが、どんな考えで、どんな感情なのかはしっかりと俺の心に響いてくる


「感動」「楽しさ」「悲しみ」「喜び」「辛さ」「嫉妬」「  」


本当に様々な感情で今演奏していることがわかる、そして俺の感情や想いもここに混ざりあい、ぐちゃぐちゃになっていく


多分ネーシャ自身はなぜ泣いているか分かっていない、そして俺自身も…


なぜ泣いているのかわからない


さっきから涙が止まらないんだ、なんでだろうな……


二人で泣きながら、ただ音楽に浸って、溺れて、



この時間が一生続けばいい、心からそう感じる



もう何もいらない



ただこの瞬間を生きてる



二人を生きてる



音楽に生きてる



今を生きてる



生きてる



……


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