第七話 心からの叫び、涙の理由

下を向きながら走るネーシャを、バイオリンを持ちながら追いかけ始める。


ネーシャとはさっき会ったばかりだし、彼女のことはなにも知らないどころか、おそらく一方的に嫌われてまでいる。


だが、ここで何もせずにいるのは俺の魂に反するんだ。


俺の父さんは、泣いている子供がいればその場でバイオリンを演奏して喜ばせたし、困っているおばあさんがいれば絶対に手を指し伸ばし一緒に問題を解決した。


そんな父さんを見てきて、そして自分自身も父さんの優しさを受けてきたからこそ、俺も憧れて同じことをしてきたし、それが当たり前になり、困っている人や泣いている人を見逃せない性格になった。


だから……俺の目の前で「感動」以外の涙は流させない。


「ネーシャ! 待ってくれ!」


ネーシャはこちらも振り返らずに、一心不乱といった様子で走り続ける。


ダッダッダッダッ


「どうしたんだ!」


ダッダッダッダッ


10分ほど走り、森の中にある広い湖がある場所にきたところでようやく追いついた。


湖が背景になり、月明りだけが差し込み、水面に反射している。


「ネーシャ!」


俺が腕を掴んで引き留めると、頬に涙が伝っているネーシャがバッと腕を振り払ってこう言ってきた。


「あんたなんかに私の気持ちはわからないわよ!!」


「っ……!」


「才能も、信頼も、家族も、何もかもに恵まれてるあんたには!」


ネーシャが心からの叫んでいる姿を見て、今までとても辛く、悲しかったんだなと察した。


今までの悲しみを吐き出すようにネーシャは叫び続ける。


「私だって毎日毎日練習して頑張ってるのに、なんであんただけがみんなから称賛されて、人を感動させられるのよ! そう、私には才能がないんだよ! それで、お父さんもいなくなった! 私にはもう何も残ってない!」


「なのにあんたはぽっと出のくせに、村のみんなからすぐ信頼されて、その上あんな感動的なコンサートまでして!」


……


「うぅ、私だって……。」


ネーシャは湖の方に膝を立てて座り込み、腕の中に顔をうずめてしまった。


……俺は何も言えなかった、今のネーシャにかける言葉が何一つ見つからなかったが、必死に言葉を絞り出そうとする。


それから何秒経ったか分からないが、体感では一分ほど経ったあと、震えてはいるが少し落ち着いたような声で湖を見ながらネーシャが話し始める。


「……10年前、私が7歳の時お父さんはいなくなったわ。」


……俺は自分が心底情けなかった、泣いている女の子一人にすら声をかけられなくて、その上彼女から話し出させるなんて。


ネーシャは続きを話す。


「私のお父さんは『お前にはやれることがある、生きろ。』と言って、何十年も使ったであろう、相棒と呼べるようなバイオリンを私に渡し、理由も言わずにすぐこの村から姿を消したわ。


音楽の楽しさを教えてくれたお父さん、いつも優しかったお父さん、カッコいいスーツを着て人々を感動させていたお父さん……


そんなお父さんがいなくなってから、私の胸はぽっかりと穴が空いた感じだった。


その時から、心の穴を埋めるように毎日バイオリンの練習に打ち込んだけど、お父さんのように上手くは弾けないし、村の人の私を見る目も『バイオリンが弾ける子』からたいして変わらなかった。


バイオリンに打ち込んだ理由はもう一つあって、それはバイオリンで世界的に有名になれば、お父さんに会えると思ったの。


お父さんは村から私を置いていなくなっただけで、死んだわけじゃない、今もこの世界のどこかで音楽をしてるに違いない。だから、お父さんの耳に私がすごい演奏家になったってことが届いて、私の演奏を聴きにきてくれたら会えるって、そう信じて。


……でも、10年経った今でも村のみんなからの目も変わらなかったし、世界一的に有名どころか人の一人も感動させられなかった。もう、無理なのよ、私には才能がない、それが現実なの、私にやれることなんてなかったのよ……。」


…………俺には、ネーシャの計り知れない悲しみは理解できない。


ここで的確な判断をできる冷静さも、適切な行動を考える頭もない。


運動もコミュニケーションも昔から苦手だ。


そして、さっきはネーシャに声をかけられなかった。


俺はどうしようもない人間だ。


……でも、俺にはバイオリンがある、この演奏は誰でもできるわけじゃない、俺だけができるんだ。

逆に言えばこれしかできないかもしれない、だけどそれが彼女のためになるのなら、彼女の救いとなるのなら、俺は俺のやれることを全力でやろう。


俺はネーシャの隣にゆっくり座り、バイオリンを構えた……

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