【後編】コントロールの話
他人の考えや気持ちとか、釣ろうとしたお魚がどう動くとか、そもそも自分が魚釣りの準備をしている活動圏内を泳いでいるかとか、そういうのって到底「コントロール」なんか出来るわけがないんすよね。
もし人の感情や行動をコントロール可能とか思ってる人がいるのなら、それは傲慢に感じるし、あるいは詐術や話法なんかで「動かす」のが容易い、という人だとしても、それって経験上モラハラ気質の傾向がありそうだし深く関わりたくありません。
それはそれとして魚釣りの話の続きで、まあ納得いかない時もあるはず。
「〇年も釣りを趣味に生きてきたのに!」「この場所にくるまで多大な時間と労力をかけて準備や調査を重ねたのに!」「釣り具にだってお金をかけたのに!」
でも、目当ての「この魚」を一匹も釣ることができなかった。
まあ辛いよなと思う。筆者、実を言うと「魚釣り」未経験の分際で長々と書いておりましたが「思うような結果が出ない」に端を発する失意や落胆には共感できるつもりです。
*
「しょうがないでしょ、魚釣りってそういうものなんだから」
こういう風に割り切るしかないんすよね。それもまた難しいけれど。分かるけど。
その上で「そういうもの」ではない楽しさを探してみるのも好き。
答えがなかったり正確性の高い手順に乏しいのが嫌な時、数学が良いかもしれない。
数字は美しい、ナンクロとかも。不確定要素の少なさや「裏切らない」感じが良い。
特定のゲーム、環境や人権キャラ・ハンドスキル・動きなんかが確立された娯楽も良い。ガチャは運の要素あるし人権キャラという表現あまり好きではないものの、それはさて置きとして。練度を高めることで手応えを感じたり視野が広がるのも魅力。
料理も素晴らしい。ゲーム以上に「先人の知恵」を頼れるから、ほぼ「失敗」がない。慣れないうちは掲げられたレシピの「数字」を頼りに、とことん忠実に踏襲すれば、概ね満足いく「成果」に辿り着ける。それに、何度かこなすうちにアレンジを加えたりオリジナルで何かを作るのも楽しい。ゲームよりも良いコンテンツかもしれない。
料理と同じくらい息の長いコンテンツである「魚釣り」や「執筆」の方は、料理と比べると率直なところ「あまりにも難し過ぎる」と僕は感じます。そこも魅力なのだけれど。
厳密に言うと「結果を求めだすと難しくなる」ってやつ。
こればっかりは「そういうもの」と割り切った方が、楽に健やかに生きられそうかも。
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