【中編】ブラック企業から学んだこと

 コントロールできないような、何をどうしても難しいような、あるいは可能性はあるかもしれないけれどヒントを探ったり道筋を考える見通しすら立たないような、そういう事象は執着や固執し過ぎても辛いよね、という話です。


「待遇を改善して欲しい」「有給とやらを使ってみたい」と思っても叶わない時に「だったらもっと仕事を頑張ってみようかな?」とかいう立ち回りは悪手だった。若かった。

 いくら頑張ったところで社の代表の「気分」で決まる場合、もっと確実性の高い手段をとるか確実性の高い環境に移るため身の振り方を考えるしかないねんな。


 労働基準監督署のお世話になったり証拠を集めて訴えるとか。

 書面による規定という形で、ある程度クリーンな務め先に転職するか。


 十年くらい前の自分に教えてあげたい。



 前回で触れた「コントロールの可否」の話について続きを。


「この魚を釣りたい!」

 ↑

 ここ、スタートライン


 情報を集める、釣り具屋さんに足を運ぶ、検討して釣り竿を購入する、なおも自分なりに調べたり分析する、日時や釣り場を吟味する、餌や諸々も用意する。

 ↑

 これ「自分の力でコントロール可能な範囲」だよね、と思う。


 狙った魚を〇時間以内に△匹ゲットします。

 ↑

 こんなん、絶対にコントロール無理なんすよ。成功率を高めるところまでは可能でも、確実性のある「正解」ってない。生き物を相手にする場合って、ブラック企業の代表然り、お魚然り、絶対はない。


 釣果を「正解」に近付けたいから、目標を再設定する。

 ↑

 これならイケそう。妥協とも言う。なにも「この魚」じゃなくても近い魚種ならいいやとか、経験からくる実現可能範囲で「〇時間△匹で帰れるといいなぁ」なら、全然。


 他者や動物の「行動」によって結果が左右されたり、少なからず「運」の要素が関与する事柄って、結果や数字を追い求め過ぎると辛くなると思うんすよね。


 とはいえ、時の運も込みで挑んでみたい戦ってみたい高みを目指したい、という気持ちや願いも尊いものであるのは確かなので、中々どうして難しい。


「仮に一匹も釣れなかったとしても、用意して佇んで『魚を釣りをしていた』という事実や空気感が楽しかったな、満足!」


 こんな風に思えたら楽なんですけど、でもやっぱり「釣れたら嬉しい」「食べると美味しい」は万人にとって持ち合わせる感覚でもあるし、それが普通なんだよなぁ。


 やっぱこれ、まとまらないのでもう一件分だけ続きます。前中後編かも。

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