聞いてくれる人がいてよかった
なんというか、しかし、こういうことを書きすぎると「聞いてくれる人」が何らかの理由で筆者に愛想尽きたり、筆者のことを嫌いになってしまった時に「自分が関わり絶っちまったらトモフジテツ大丈夫か!?」と悩ませてしまう懸念があったり、はたまた「トモフジテツ重てえわコイツめんどくせえ」と嫌がられてしまいそう。
それは本意ではないので強調しておきますと、まあ、聞いてくれなくても大丈夫・でも聞いてくれて嬉しかったよ、的な感じになるわけです。そこは安心して欲しい。いや、この時点でめんどくせえ奴だなトモフジテツ。
さる九月一日、リアルの勤務状況がちょっとした地獄でして。
業務にあたるより前から「お? 地獄か?」と覚悟ガンギマリを済ませたはずが、開幕から地獄みてえな様相を呈している状況に言葉を失い、一時間二時間と経つにつれて最悪の度合いが加速度的に上がっていきました。
一段落ついた頃の夕方にグチグチと吐露する筆者の情けない姿を、受け止めて下さる方がいまして。
*
詳細については言及しません。少しだけ端的に書くならば「僕は微塵も悪くないのに、中々に大変な目に遭った」みたいな話。程度の差はあれど多かれ少なかれ社会人、ひいては人生において誰しも、往々にしてよくあることだと思う。
これ、自分の場合はエッセイや短文投稿サイトに書きたくないんですよね。書いて発散する人もいますけれども。
そんでもって、僕は状況を知る当事者の仲間にウダウダと語ったり、原因となった者への恨み言をつらつらと溢す可能性もある。
でも、九月一日は違った。
「くはー、聞いてくださいよ、ほんっっっと! もう!」
↑
これ、いつもの。
「まあ、どうあれ仕事は仕事ですから。切り替えましょう」
↑
職場にて仲間に心配された際のスカした対応。
そんな風に、親身になって聞いてくれる人が一人いるだけで強くなれるというか、バフがかかる。やっぱり、辛みやしんどみの話にせよ背景が入り組んだ(リアル事情の関わる)朗報にしても、僕の場合は不特定多数より特定個人や数人に伝えたい性格なのかもしれません。
なおかつ「聞いて!」とあれこれ語ってくれるのも、とても嬉しい。
一人なら一人でコメダ珈琲と執筆を拠り所に生きたりゲームを楽しんだりしていたけれど、最近はというかここ一ヶ月は今までとは違った形で、精神衛生上健やかに生きることができている感じです。
ままならないことも多いものの、頑張りたいなぁ、現実。
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