今北産業

 今北いまきた産業さんぎょうといういにしえの呪文があります。


「私は、この場にばかりです。発端や経緯をで教えて下さい」


 そういう趣旨ニュアンスを表現する言葉。


 その時代には「今北いまきた」でなくとも「なげえわ、三行で頼む」というフレーズも散見された。つまり多くの人にとって「長い」という時点で「ダルい」に直結し、内容や動機に関係なく一定以上の長さの文章はストレスとなる、という傾向があるのかなと、当時は感じたものです。


 そこから五年十年と生活し、職場やプライベートで多くの人と関わるにつれて、やはり仮説は確信に近付いた。長いのは、基本的にはよくない。長いというただそれだけで受けとる気が失せてしまう人は、現実リアルでも仮想ネットでもとても多いように思う。


 なので、メッセージアプリやダイレクトメールでは短文投稿と同じ形式の「百四十文字」辺りを目安に考えがち。一通の長さがそのくらいならセーフなのでは? と判断しつつ、それすらも「長文だ」ととらえる方々かたがたもいるので中々なかなかに難しい。



 前回の内容で「しっかり考えて(長くても)筋道を立てて言語化するのは楽しい」と言及し、そしてそれが「伝わると嬉しい」とも書きました。でも、多くの場合は「その行為」自体がよくない。は悪や害となりうる点を忘れたくない。


 長文に耐性のある受け取り手だとしても、それでもこと次第しだいによっては誤解や、すれ違いのもとになったり……それでなくても対話が対話ではなく自己満足で一方通行なものになりがちなんですよね。本当に賢く聡い人は端的にまとめる。僕は賢くないので、それが難しい。


 せめて、伝わらなかったり行き違いが生じても「相手が悪い、自分は精一杯考えて真剣な気持ちで書いたのに」と他責に走る人間にはなりたくない。

 送った後に「届かなかった」という感想こそがすじ違い、おかど違いで相手にとって「嫌だな」と思われてしまったらもうそれが全て。


 あらゆる事故を見聞き、もしくは体験してきた身としては「受け取ろうと思ってくれる人」への感謝の気持ちが強くなる。


 長文を叩きつけて意図した通りに届いた時って、その長文の何かが「良かった」というよりも受け取り手が「読もう、理解しよう」と寄り添ってくれた結果なんですよね多分。


 脱線しますが、空色杯で「厄介やっかいなお気持ち怪文書」を喜んでもらえたり、受け入れてもらったのも嬉しかったです。


 使いどころや相手を慎重に見極めながら、なるべくなら控えめに使っていきたい、お気持ち怪文書の長文。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る