終わりますね、夏

 弊市ではもうぼんを過ぎれば秋突入みたいな雰囲気がありますし、十年ほど前に出張先で東京ゲームショーに行った際は残暑などという生易なまやさしい言葉では到底とうてい片付けられないような熱気を感じた九月であり、そう考えると一概いちがいと定義することは難しいですが、八月という節目も終わるということで便宜上はというか今年は本日をもって夏の終わりとします。


 ときに、短文投稿サイトにて興味深いハッシュタグがありました。


‎⁦‪#夏休みの宿題どう終わらせたかで制作者の進捗傾向がわかるって本当ですか‬⁩


 書いて盛り上がっているフォロワーさんもしばしば見受けられます。かく言う僕も便乗しそうになりました。低浮上ですネットの中でもコミュ障です、みたいな顔しながら案外しれっとタイムラインは見てたりするのですよね。



 ここから先は懺悔というか何というか、もにょもにょ。くだんのハッシュタグ、ひいては夏休みの宿題に関して書くと短文投稿サイトのつぶやき一つでは収まらない気がしまして。

 

 筆者、短文投稿サイト代わりにカクヨムのエッセイを使いがち。


 さて本題。これ、本当に良くないです過去形にしたい、過去形に、する。


 夏休みの宿題をどう終わらせたかは「気分」に尽きるんですよね。カスでした。


 興が乗る工作や自由研究には自分でも信じられない熱量や集中力を発揮し、問題集や提出物の類は楽しそうなら取り組みますし友人に頼まれたら貸して写させる、食指が動かない課題は回答の丸写しすらせず「定期テストで高いスコアを示せば通知表には響かない」と開き直ってガン無視を決め込む、半月以上に渡ってシカトしていた絵日記をある日いきなり書きたくなり夏休み初日からの思い出を捏造する、そんな子供でした。


 ダメな子供のまま図体ばかり大きくなり、自分は〝普通〟にはなれなかったな、と悶々としたり悔やんだり死にたくなったりしつつも、それでも「楽しめること」と「金銭」が上手い具合に噛み合っていた頃はまだ良かったと感じます。

 やりたい放題しながら利益を叩き出すことが可能なうちは〝普通〟と言い難くともまだどうにか「真っ当な社会人」でいられるギリギリのラインだったかもしれません。


 心身を持ち崩したりキャリアを捨て去ってしまってから「嫌だけど向き合わねばならぬ事柄」を先延ばしにし続けたツケが回ってきたなと何度も痛感。


 夏休みの宿題に似た役所書類など、細かく管理と完遂する習慣をつけたいです。今後は、つけます。

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