続、病みの止み


 雑記代わりに使いがち! はい、はい、あるある探検隊!


 短文投稿サイト(旧名、ツイッター)に日常的な呟きを吐くことなく、エッセイの場に書き散らかしがち。


 そんでまぁ、昨日の後半の内容が分かりにくいこと分かりにくいこと。


 えーとですね、遠野対策機関が電撃大賞でかすりもせず圏外という結果になりまして。財団関連もしくは某船長関連が「パロディ」と見做みなされて『選考対象外』だったのか、はたまた選考基準はクリアしても力及ばず弾かれたのか。僕が知り及ぶところではないけれど、まあ、どっちにしてもって感じですね。


 凄いな何度も公募送っては落ちてる方々って気持ちを抱えながら生きてるのか、と思った。


 それを踏まえて「書き直したいな」と考えまして。病んだ七月十八日にはうっすらその気持ちがあって、立ち直った七月十九日から即、行動に移した。今も書いてる。

 挫折とか悔しさという感情も全然あるんですけど、あの作品って言い訳しすぎなんですよね。文字数上限の制約あるから色々と薄くなりましたァ! と何度となく言ってた。

 

 好きな作品なので、今度は言い訳をしなくて済むような形で執筆したいと思います。


 そうすれば、仮にまた箸にも棒にもという結果になったとしても自分の中では折り合いを付けられるというか、納得もできそうな気がします。


 カクヨムのアカウントを動かして始めたのが〝秋〟からで、昨年の。しかしながら執筆アプリのお世話になりつつ、一人で黙々もくもくと作品を作っていたのは昨年の八月からでして。

 

 そう考えると、もうそろそろ一年になりそう。


 活動一年のひよっこが創作の何たるかを書くのも烏滸おこがましく生意気な話だし、万人に当てはまるとも限らず僕の中で合致するだけかもしれないと思いつつ、気付いた部分があるので書きたくなりました。


 創作によって負った痛みは、創作によって癒すことしかできない気がする。

 創作活動で生じた渇きは、創作活動を通すことでしか満たすことができない。


 だったら、病んだりうずくまってる時間がもったいない。


【具体的な部分】

 速さを意識せず「しっかりじっくり」を意識したらネトコン絶望的かな、とか。

 でも土曜の一日で五万文字書いてたからそうでもないのかな、とか。

 一話から設定ガラッと変えたくなって五万文字丸ごとボツにしたり、とか。

 やっぱり㊵×㉞のフォーマットがとても楽しいなぁ、とか。


 そんな風に思いながら生きております。


 なので、衛星やエッセイの更新が止まりそうかも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る