【助】納豆チャーハンの経緯と虚しさ


 前回の続き。


 元々チャーハンが好きで定期的に作ってテンションを上げる日々を送っていて、いやチャーハン以外にも作りますけども。それはそれとして昨年から推し活を始めまして。


 推しの配信者が「納豆入れた卵焼きを作ることがある」という情報を得て「ならチャーハンに納豆入れるのもありかな」と思い何度かミスりながら納豆チャーハンライフを楽しんでました。


 納豆チャーハン、普通に美味しい。もし作る人がいたら前回の内容か、あるいは次回で触れる壮絶なまでのシンプル工程から成るチャーハンにて「卵を混ぜる」のタイミングで納得を一パック入れるだけ。


 味覇を使ったり、使わず豆板醤を使ったりもしましたが近頃はゴマ油や醤油ベースの味付けが好きです納豆チャーハン。(醤油ベースの調味料は焦がしたくない場合は仕上げの段階まで待ってから投入)


 そんなわけで美味しく満足感もありつつ、虚しくもなるんですよね納豆チャーハン。


『美味しいけどこれ、原材料的に納豆かけ御飯に生卵二つブチ込むだけっすよね』


 そんな声が頭に響く。無駄に手間暇かけることあるんか? と正直思う。


 この論でいくと「ご飯って、炊かずに生米噛みながら水道水飲めや」に似てくるんですけど、暖かなご飯とパキパキの米は天と地ほどの差があるから労力に見合った価値あるよと自分を納得させることが出来るわけで。


 しかし、納豆チャーハンに関して考えると納豆かけ御飯〜生卵を添えて〜 とそこまでの違いやプライオリティが存在するか? という部分に疑問が残る。虚しい。でも納豆チャーハンも美味しい。


「せや、スパイス入れたろ!」


 解決しました。


 昨日作った品に関してはプロトタイプながらも美味しいと思えるものであり、なおかつ「納豆御飯に卵入れてスパイスかけて油をびちゃびちゃと和えても〝こう〟はなるまい」という点がとても重要。


 普通に(食材のまま)雑に食べても〝こう〟はなるまいという、ならない要素を「労力割くことで〝こう〟なったなぁ」と思える瞬間や満足感が、料理の楽しさかなって思う。


 納豆チャーハンや、虚しさや喜びの説明を終了します。


 余談ですが和風でも昨日の例でも共通して「しつこく炒めてあおる」工程を経ることでびっくりするくらい「粘り気」が消えるので、あと臭みも緩和されるから納豆が苦手な人にもありな可能性が……いや苦手な人にまで無理に勧めるのは良くないかも。


 この題材一つで何個もエッセイ書けそうな、納豆の話でした。

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