【無】(21/22)敬人という女(中編)


 誰とも接することなく黙々と執筆する片手間、ゲームアカウントの友人知人と交流しながら時折ススム君は敬人リスペクちゅの情報を得る。


「だんだんムカついてきたな、この人」


 声が良い、歌が上手い、トークの運び方も強い、ギャグセンスがある、声真似は殊更に強い、そんな敬人リスペクちゅ

 天が二物も三物も与えた敬人の存在が羨ましく、嫉妬からススム君はしばらく敬人リスペクちゅ成分の摂取を遮断した。


「無理だ、もう。やめるか」


 二〇二三年、八月三十日。ススム君は心折れる。書きたかった処女作となる長編、定まらない中間部分の展開、十万文字以上執筆を進めた状態で発覚した深刻な設定破綻、必須タスクとして追加された書き直し、連日の猛暑。


「全部どうでもいい」


 ススム君、短文投稿サイトへ逃避。


『黒歴史といいつつも、小学生からお絵かきノート捨てられず大量に保管しています』


 たまたまタイムラインに流れてきた、敬人リスペクちゅの短文投稿。


「すごいな、この人。僕と違って過去の創作物を大切に残してるのか」


 あるいは、そこまでなら世の表現者……特にイラストレーターや漫画家の方々にも見られる傾向かもしれない。しかし、敬人リスペクちゅは黒歴史をゲーム化したらしいと知る。


「嘘だろおい」


 十代やそれ以前の創作物を「黒歴史」と称する、そこから目を背け抹消するもしくは大切に保管するところまではススム君も理解できる。保管派も少なからず存在する。しかし、そんな黒歴史をあえて掘り起こして広く人の目につく場へ発表、あまつさえプロの声優達も巻き込み一つのコンテンツとして再構築するケースは、ススム君の知る限り敬人リスペクちゅが初だった。


 配信者である敬人リスペクちゅは、黒歴史をゲーム化した。


敬人リスペクちゅの中の人はきっと好きなんだな、自身のこれまでの活動も、拙かった頃の、過去の作品も自分の生き方も全部」


 なら自分はどうだろうか、そうススム君は考える。「楽しいし好きだけど捨てる」「跡形も残さず消し飛ばす」そんな行為を幾度となく繰り返してきた。十代も成人後も、イラストも文章も。二桁回、ややもすれば三桁に到達しかねないセルフ爆破人生。


「いい加減、そういうのやめにしよう。一つくらい、最後まで書こう」


 好きでなくなったなら、楽しめないなら、中断すべきかもしれない。しかし当時のススム君はそうではない。好きであり楽しみつつ、問題に直面したため「楽しむ」ことから尻尾を巻いて逃げていた。そして、その「問題」は「解決可能」に分類される内容である。


 ススム君は、再起する。

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