過去一、役に立たねえ回


 よく見聞きする「小説」のフォーマット然り、執筆速度が云々然り、思い出話として書いたエッセイも一応は「何かの形で、どなたかの役に立ちたい」と思い執筆してました。楽しく昔を思い出す趣旨だったとしても、メインではなくとも実益の余地は残そうと自分なりに工夫しようと心掛けたつもり。


 今回は違います、役に立たないにも程があるし再現性も著しく低い。でも気持ち良い。二月に楽しかった記憶が未だに熱量高いので書きたくなりました。


 なので「即興アドリブ」について、書きます。


 でも普段の三倍くらい長ぇです。


 即興、短編や単発作品では使いますが長編では「当時」まだ使ったことがなく。即興レベルの強弱や反映速度もまちまちでした。


 本来は「考える→検討する→書く」の手順を踏んで然るべき小説や物語に対して失礼な行為かなと思いつつ、お金を受け取るプロじゃない立場なら、たまにはいっかと思う。



 はじめて長編で即興ブチ込んだ二月の話。

 

①長編作品を執筆している。

②戦闘、アクションジャンルである。

③つまりは主要人物が戦う。

④戦うのなら舞台がある。

⑤舞台があり、敵が存在し、技もある。

⑥目的や舞台構造も、おそらくある。

⑦人間なので怪我もしたくない、戦い方もある。

⑧敵が強すぎても成り立たない、弱点も用意。


 ここまで、前提。本当なら上記〝全部〟をきちんと考えたり、あるいはプロットなるものを作製してから執筆に取りかかるべきなんだなと思います。思いますというか、普段はこの八点の他にも考えてから書き始めます。


 前半の①〜④は「その日」以前に二十万文字以上ずっと書いていた世界観やキャラクターの流れを汲んでいるから問題ないとして、⑤〜⑧を1ミリも考えずに走り出した回が合計で四話ありました。それが「その日」の話です。


・キャラクターを四人、置く。

・西洋の古城っぽいとこに突入させっか!


 こんだけで書き始める。なんか、そんな気分だった。


「古城なら、まず正門よな。正門を開かせまして、と。んで次に何あるかな開けた土地? 書いていこう」


 書く。


「あ、きたきたきた敵! 動きはこうしとこう、倒し方これだ、決まったから文字打ちながら次の部屋考えとこ、書こう書こう!」


 思いつくのと同時進行で、書く。


「とりあえず『可』にしとくか、もっといい案あったら後で直せばいい、よしキャラクター達を毒ガスで苦しめたろ!」


 瞬間的に大筋を思いつけば、時間差なしで出力。


「ノリで毒ガス使ってごめん……そろそろキャラクター達を一休みさせとこ。考えてみたらガバガバだからルールしれっと後付けしとかなきゃ」


 危険な古城なら多人数で攻略するのでは? と脳内の冷静な部分がツッコミを始めたので、弁明をでっちあげて書く。


「ルール追加したから、なら仕組み的に戦闘あと一回かなちょうどいい、休憩終わりだ次は溜の回を挟むぞ定番のお約束展開やりたい!」


 勝手にキャラクターを会話させながら、書く。


「はい、無事には帰れませーん! 敵が出てきまーす!」


 この状況や経緯なら、このキャラクター達はこんな会話を交わすだろうという情景は本能的に次々と浮かぶので、片っ端から打ちながら「思いつき→思慮・検討→出力」の二番目となる「思慮・検討」の部分をカットして文字を絶え間なく打ち込み「繋ぎの回」を終了。


「ノリでミイラの大群出したけど強くしすぎちゃった、どう倒すのこれ」


 キャラクター達に時間稼ぎをさせながら、書く。


「あ、キャラクター覚醒した。もう一人覚醒した。能力の属性どっちも「火」で被ってるけど大丈夫?」


 ぼんやり過去の回を思い出しながら「こじつけ可能!」「あの回のエピソードを『伏線でした』として扱え!」と叫びながら、予定になかった覚醒イベントを挟み丸く収まりました感を醸しながら、やけっぱちで書く。


「以降の展開なんざ知るか! 古城、完!」



 上記の、一連の流れは確か創作活動を初めて40〜50万字書いた時期の話です。その後は今日に至るまで30〜40万字ほど執筆していますが、同様または類似例には遭遇していません。なので奇跡の2時間と呼ぶことにしました。


「テツ君、聞いて!」

『はい、どうしました?』


 当時、一握の後ろめたさも抱えながらテツ君に電話したことをよく覚えています。

 いきなり固有名詞が出ましたが、テツ君というのは筆者トモフジテツがペンネームを考えた際に無断で本名を拝借されてしまった被害者の一人であり、トモフジテツのテツ部分を担当する子です。筆者より一つ年下で、高校の頃からの付き合い。


「楽じがっ゙だ! 気持ぢ良゙がっ゙だ!」

『それは何よりです』


 電話ごしでも、おそらくテツ君が苦笑いしているであろうと伝わってくる二月の雪の日。テツ君にしてみれば「事あるごとに何やねんコイツ」と思っていたに違いありません。


「でもさー、後ろめたさや罪悪感みたいの、あるんすよー」

『と、言いますと?』


 漫画で例えるなら下書きもネームも作らず原稿用紙にGペンを使って、ぶっつけ本番で書き込んでいく行為に等しい。

 冒頭で軽く触れた通り「小説」そのものに失礼だろう、間違っている、これはおかしい、そんな気持ちを吐露しました。


「でも、気持ちよくて……止まらんかった……」

『あー、ただ……それ、音楽なら割とありますよ?』


 言われてみれば「音楽」なら「即興」の演奏がパフォーマンスの一種として存在します。そう考えると「まあいっか」と思えてくる助かる救われる。



 真面目な話をすると、投稿や公開するかは別として「一定以上の長いスパンから成る物語」を執筆している人は即興してみるの楽しいかもしれません。


 楽しかったり、今となって思い返すと「良いこと」だったのかな? と少し思います。


 何が「良い」やねん、という話ですが僕の上記の内容は「そこに至るまで色々と書いた」「キャラクターも世界観も自分では気に入っていた」の二点があったから潜在的に無自覚な「何か」が蓄積されて、それが一斉発射されたのではないかという気がします。五月になった今、はじめて気付いた。


 即興してもしなくても、多分ですけど即興しようと思えたり出来そうなくらい「好き」と思えるキャラクターや世界観と出会うことは「良い」だと、思う……


 良いというか「読者目線の要望」か、これ。


 その物語や登場人物のことを大好きな作者様が作り上げた作品を、今後もたくさん読みたいなと思いました。


 また、僕自身も「好き」と思えたり愛着を持って大切にできる作品を作りたいです。



 ストンと落としてまとめた(つもりになってる)のに蛇足や卓袱台返し、全否定をキメるのも変な話ですが、必ずしも作者様が物語やキャラクターを「好き」になる必要はありません。普段「かもしれない」「〜と思う」を多様しつつも、たまには断言しておきます。


 エッセイをはじめとする要所要所で「楽しい」や「好き」に比重を置きがちな僕ですが、真逆の形にも価値や輝きがあることは存じ上げております。


 東京喰種:reの完結編である十六巻の巻末あとがきが良い、特に良い。「楽しさ」以外の多くを感じ取ることができる。


 さて話は戻しつつ。


 たまたま僕は、程度の差こそあれ自分が書いた作品には好きな部分があり「書く」行為が楽しくてしょうがない的なテンションで生きております。


 現実を鑑みて悩む部分や目を背けたい問題も残りつつ、それでも僕は発信するのも訴えかけるのも「楽しいこと」を軸にしたいです。

 ただ、今回の機会に「楽しくない」「苦しい」もまた活動の在り方であり尊敬している旨を明記いたします。


 楽しくない瞬間があっても、それはきっと正しい。

 自分の作ったキャラクターを愛せないこともある。

 人それぞれなので、否定しません。

 

 苦楽がどうあれ、一人でも多くの表現者様が御自身にとって「納得」できる活動を続けられることを切に願います。


<了>

 

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