エタるのも全然OKすよね。


 このエッセイの初回から「書く楽しさ」「投稿してみる楽しさ」「完成させるメリットや楽しさ」「ささやかでも目標を立てる良さ」「完遂した時の嬉しさ」といった活動続行の喜びにフォーカスした内容を延々と書きつつ、ここに来て真逆のテーマです。


 全てをぶん投げ、活動を自分の手で爆破する行為についての話になります。


 多くの方々がご存知と思われる「エタる」について一応補足すると、作者自身が途中放棄してしまい作品が永久に完結しない状態を指します。

 この「永久に」の部分が「エターナル(永遠)なんとか」転じて「エタる」になったはずです。

 

 エターナルフォースブリザード、読者は死ぬ。


 エタる、について自分なりに調べたり多く声を聞き観測する中で気付いた点として、作者様の御逝去とは全く違う意味合いを持ち、だからこそ一部から忌避されるという事実が浮かび上がりました。


『エタった後も、普通に別作が始まる』


 まあ、モヤりそうなのは分かる。実を言うと僕はエタったことはなく、今のところは熱を上げた作品は全て完結済みですし、あるいは読み切りの短編などでした。(カクヨム内という狭い範囲での話)


 あらゆる意味で「エタる」をエアプな自分が触れて良いのかと感じつつ、500文字打ったからもう引き返せねえッ!



 僕の立場で置き換えて、大好きな作者Aさんの「B冒険」が途中でエタって更新止まって「C戦記」の投稿ガンガン続くと、確かに寂しいかもしれん。と思いました。


 また、居るか分かりませんが二作も三作も書いてはエタり書いてはエタりという作者さんだと「この人の作品、楽しく読んでも突然エタるのでは?」と身構えてしまうかも。


 ですが、それでも時には「エタる」も大切だと思います。


 心身で何か抱えるものがあり、作品についてや執筆そのものがストレスになるくらいなら一度閉じて気分転換を図るのも精神を守る術の一つです。


(以下、お気持ち二つ)


 これマジで個人的な〝お気持ち〟なので誰に押し付けるでも何でもない、と前置きします。


① でも、打ち切りたくねえな。

② 飽きた由来のエタり、もったいないなぁ。


 ①の打ち切りたくない、に関して。お前マジで主張が二転三転してんな、って話ですが「エタる」は構わないんですよ。

 同じエタるにしても、一応の形で「完結」してる方が好きだし自分もそう在りたいな、という話です。

 打ち切り漫画における最後の煌めきを放つもよし、俺たたエンドでもよし、完結させてから気が向いたら続編として同枠か別枠で再開するなり外伝という形で補完するなりの方が好きです。

(俺たたエンド=俺達の戦いはまだ続く! 的なアレ)


 ②の「飽きた」は「もったいない」の話は人によってはピキるかもしれませんし大きなお世話なのは重々承知ですが、個人のお気持ちなので御容赦を。

 一桁でも二桁でも作品を楽しんでくれてる人がいるなら、興が乗らなくなってきたとか数字が渋いとか思うところあるかもしれませんけど、畳んだり匙投げるのもったいないなぁ、と感じます。


 ただ、書いてる本人が楽しめなかったり辛いならエタるの全然ありとも思っています。


 総括……でもありませんけど、好きなタイミングでエタれるのもアマチュアの特権なんですよね。

 ですが同じように「自分だけの意思で続けられる」もまたアマチュアの特権であると、忘れず生きたい。


 続けたくても様々な外圧から強制的に「エタらされる」方々も、文字媒体に限定せず多くの場で存在しますので。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る