四十七話 現世へ


「あ…………」



 目を開くと真っ白な天井が見える。何ここ……、もしかして天国?



「っ! 目が! 桃花の目が覚めた……!」


「ああ桃花! よかった……っ、本当によかった……!」


「? お父さん……、お母さん……?」



 白い天井だけだった視界に、お父さんとお母さんの顔がアップで現れる。二人ともゲッソリと頬がこけていて、目は真っ赤だ。



「そうだ、お父さんとお母さんだぞ! 桃花、覚えているか? お前は一週間前に高校に行く途中でトラックに轢かれて……」


「お医者さんから命に別状はないと聞かされていたけど、一週間全く目を覚まさないから、本当に本当に怖かった! またあの十年前・・・みたいなことが起きたって……、心臓が凍りついたわ」


「…………」



 ……十年前。


 そういえばあの時もわたしが真っ白な病室で目を覚ますと、こんな風に両親がすがりついて泣いていたんだっけ?

 当時七歳のわたしは仕事人間な二人の出張が重なったことと、僅かな伝達ミスによって、一週間一人っきりで家に放置されて餓死しかけた。



「あ……」



 ボロボロと涙を流す両親と、わたしの体にたくさんくっつけられている医療機器を見て、ようやく今の状況を察する。



『行っちゃダメっ!! 危ないっ!!』



 そっか、思い出した。わたしは一週間前、目の前の小学生が横断歩道へと足を踏み出した瞬間、突っ込んで来たトラックから守ろうとして車道に飛び出したんだ。

 きっとその事故が原因でわたしは生死の境を彷徨って、冥土に迷い込んでしまったのね。


 先ほどの夢の中でも、閻魔様は小さなわたしに言っていた。



『生死の境を彷徨った人間が、死者に混じって冥土に迷い込むことは時々ある。その見分け方は簡単、生者はその内に宿す魂が輝いているんだ』



 魂の輝き・・・・

 そういえばわたしが最初に閻魔様の塩おむすびを食べて、茜と葵に大目玉をくらった時、閻魔様は二人にこう言っていた。



『茜、葵。少し落ち着きなさい。私とてただの気分で言っている訳ではないよ。ほら、よく見てご覧。――その娘の魂を・・・・・・



 どうして閻魔様はわたしの裁判を中止したのか。

 茜と葵がわたしの何を見てそれに納得していたのか、ようやく分かった。


 わたしはまだあの時、死者ではなく生者だったのだ……!



「……お父さん、お母さん。ごめんなさい、また心配かけて」



 かすれて上手く出せない声で両親に謝ると、二人は即座に首を横に振った。



「そんなことは気にしなくていいんだ、桃花が生きてさえいてくれたら、それだけでいいんだ」


「わたし……、夢を見ていたわ。夢の中で色んなものを作って食べたの。サバの味噌煮に和風ハンバーグに、煮込みうどんにバーベキュー……。どれも美味しくて、すごく楽しかった。……でも、結局一番食べたかったものは食べられなかったなぁ……」


「……何が食べられなかったの?」



 唐突に〝夢の話〟をし始めたわたしに、両親はきょとんとする。

 しかしそれでも話を合わせようとしてくれているのか、お母さんに尋ねられて、わたしはポツリと答えた。



「…………うちの、カレー」



 言った瞬間、両親は破顔して、



「そうか! お父さんが作ったカレーか! 退院したらすぐに作ってあげるから楽しみにしてなさい!」


「あらちょっと! 桃花が言っているのは、お母さんが作ったカレーに決まってるじゃない! 桃花! 退院したら私が作ってあげるからね!」


「ふ……、ふふっ」



 競い合いようにそう主張する両親に、わたしも自然と笑みが溢れる。



 ――ねぇ、閻魔様、

 十年前にあなたが示してくれたこと、わたしはちゃんと叶えられたんだよ。



「……みんな」



 夢であって夢じゃない。

 そんな思い返せばたった一週間の出来事。

 でもその〝夢の欠片〟は、わたしの手の中にしっかりと残っている。



「ありがとう」



 わたしは最後に茜と葵に渡された木札の感触を確かめるように、ギュッと握りしめた。



 ◇◆◇◆◇



「よいしょ、よいしょ……」



 わたしは背中にずっしりと重いリュックを揺らし、赤色に照らされた町並みを歩く。


 ――えっと、まずはあれから・・・・の話をしようかしら?

 昏睡状態だったこと以外は奇跡的に目立った外傷がなかったわたしは、目が覚めてからはわりとあっさりと退院することが出来た。


 ……ということで、



『冥土通いの井戸を探すわよーーっ!!』



 退院したわたしが真っ先にしたことは、もちろん消える直前に閻魔様に言われた〝冥土通いの井戸〟を探すことである。

 てっきり何かとてつもなく探し出すのが難しい特殊な井戸なのかと気合いを入れたのだが、意外にもそれはすぐに見つかった。



『ん? 冥土通いの井戸? なんだ大学の課題か? それなら家の近くの寺に、お父さんの子どもの頃からそんな風に呼ばれている井戸があるぞ』


『ほんとっ!?』



 軽く情報収集がてらお父さんに尋ねたのだが、灯台下暗し。なんと〝冥土通いの井戸〟は、家の近所にあったのである!



『おや、君は天宮さんとこの……。若いのに寺に興味があるとは珍しい。確かにこの井戸が冥土通いの井戸だよ。うちの寺は閻魔様を祀っているからね。ちなみにそう呼ばれる井戸は、他にも全国各地に存在するんだ』



 早速お寺を訪ねると、住職さんは珍しい客人に驚いていたが、大学の課題の為と説明すれば、すぐに快く様々なことを教えてくれた。



『全国に? じゃあ冥土から日本全国あちこちに入り口が繋がっているってことですか?』


『そうだよ。この冥土通いの井戸が、冥土と現世を繋ぐトンネルのような役割をしているのだそうだ。閻魔様もこの井戸を使って、たまに現世へお忍びで遊びに来たりもしてたとか。……なんて、言い伝えも残っているね』


『へぇー……』



 恐らくそれは、江戸の頃に花火大会に行ったと言っていたから、その際に使っていたことが伝承となったのかも知れない。



『じゃあ井戸に飛び込めば、誰でも冥土に行けちゃうんですか?』


『いいや、そんなことがまかり通ったら、冥土は生者で溢れてしまう。井戸に飛び込んでも、生者は決して冥土に行くことは叶わない』


決して・・・?』


『……唯一の例外があるとすれば、それは閻魔様が発行した、冥土への〝通行手形〟。それを持つ者ならば、例え生者でも冥土への道は開かれる。……と、我が寺には伝わっているな』



 通行手形がどんなものか、すぐにわたしにはピンと来た。


 ――そう、あの時茜と葵がくれた木札。

 これこそが、生者が冥土へ行く唯一の手段。



『うう……。怖いけど、行くわよ!』



 初めてこの通行手形を使って冥土に行った時は、そりゃもう驚きの連続だった。人目を忍んでいたから決行は夜だったし、真っ暗な井戸に飛び込むは怖いし、その井戸から這い出るのも怖かった。



『ええっ!? 井戸って、この場所に繋がってたの!?』



 ……ちなみに。


 寺の井戸が冥土のどこに繋がっていたのかと言うと、なんと宮殿の庭園にあった、あの私が落ちかけた懐かしいひょうたん池の古井戸だったのである!

 

 それを知った時は、本当に驚いた。

 世間って狭いんだなぁ。なーんて。



「よいしょっと、とうちゃ~く。はぁ、ちょっとカレーの材料買い込み過ぎちゃったかしら? めちゃくちゃ重いわ……。まぁでも、また増えた・・・って茜と葵も言っていたし、多過ぎるくらいでちょうどいいわよね……?」



 ――さて話を戻して、今日は大学の講義を終えた金曜日。

 荷物をいっぱいに詰め込んだ重いリュックを担ぎ直し、周囲に誰も人がいないのを見計らって、わたしはいつものようにお寺の裏にある井戸の中に通行手形を胸に携えて飛び込んだ。



「さぁ、いざ冥土へ!」



 これが天宮桃花、二十歳。

 あの頃から三年経った今のわたしの日常だ。


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