九品目 カレーライス

四十六話 ありがとう


 ぐるぐると、記憶がまるで映画のように頭の中で次々と映し出される。

 これが走馬灯ってやつなのかしら?



「あなたも、寂しいんでしょ?」



 ――あ、


 朱色の柱が幾重にも建つ冥土の裁判所。そこで小さなわたしが閻魔様にそう言った。

 ああ、この場面。見覚えがある。つい最近見た夢の続きだわ。

 今にして思えば、あの頃のわたしは閻魔様の気持ちなんてまるで考えず「寂しい?」なんて、とても無邪気に聞いてしまっていたわね。



 ……でも、そんなわたしにあなたはとても優しかった。



「ああ、そうだな。確か私も寂しいのかも知れない。でも桃花は、どうしてそんなに寂しいんだい?」


「それは……お母さんもお父さんも、わたしを見てくれないから。いつもお仕事だって言って、ご飯もくれなくなっちゃった。ねぇどうして? わたしがいい子じゃないから? そんなにお仕事って大切なの?」


「うーん。大切かと聞かれれば、大切だとは言えるな。私にとっても、仕事こそが私自身の存在そのものだとも言えるから。……しかしご飯をくれないのはいけないな。人間は神と違って、簡単に衰弱するというのに」



 閻魔様はわたしの頭を優しく撫で、にじみ出る怒りを隠さずに眉を寄せた。

 そんな様子にわたしは嬉しくなる。

 何故なら自分の為に怒ってくれたことが、とても嬉しかったのだ。



「ところで桃花はお腹が空いていると言っていたな。どんなものが食べたいんだい?」


「食べたいもの? いっぱいあるよ! ハンバーグにから揚げ! あとエビフライにケーキも! それから他にはねー……」



 指折り数えて無限に出てきそうなくらい、わたしは様々な料理をあげたと思う。そんなわたしの言葉を閻魔様は遮ることなく、全てに頷いて聞いてくれた。

 そんな優しい閻魔様に、わたしはずっと隠していた本音・・をポツリと漏らす。



「……でもね。わたしが本当に食べたいのは、一つだけなの」


「それはなんなんだい?」



 優しく頭を撫でて続きを促す閻魔様にわたしは堪えきれず、その藤色の道服にすがりついて泣きじゃくった。



「カレーライス! お母さんとお父さんのカレーライスが食べたい! またみんなで笑って食べたいよぉ……っ!!」



 ボロボロと大粒の涙を溢すわたしの背中を抱えてさすり、「そうか」と閻魔様が呟く。



「そうであれば、……なぁ桃花、君が両親に〝カレーライス〟を作ってあげるのはどうだろうか?」


「えっ……!?」



 予想外の言葉に驚いて、わたしは涙に濡れた瞳で閻魔様の顔をじっと見つめる。

 するとその表情はとても穏やかで、瞳は色はまるで血のように紅いのに、ちっとも怖くない。



「両親が仕事しか見えていないというのなら、君が両親の帰る場所になるんだ。カレーライスだけじゃない、たくさんの料理を覚えて振る舞ってあげなさい。そうすればきっと、――桃花、君が両親の帰る場所になる」


「帰る……場所……?」



 今まで考えもしなかった提案に、わたしは目を丸くする。

 でもわたしが料理を作ることで両親の帰る場所になれるなら、それはとても素敵なことだと思った。



「うん、なる! わたし、わたしがお父さんとお母さんの帰る場所になる!!」


「そうだ、偉いな。その意気だ」



 力強く頷くと、閻魔様が褒めてくれる。

 それが嬉しくて、「えへへ」と笑ったところで、ハタと思い至った。



「……でもわたし、死んじゃったんでしょ? じゃあもう……」



 気づいた事実に、収まりかけた涙がまたじわりと溢れ出す。

 しかしそれに閻魔様は、穏やかに首を横に振る。



「いいや、桃花はまだ死んじゃいないさ。自分の体をよく見てご覧」


「〝体〟……?」



 閻魔様の言葉にハッと体を見回せば、手も足もお腹もみんな淡く発光している。



「ええ……っ!?」



 なんと足先の方からサラサラと光の粒のようになって、体が消えかかっていたのだ……!


「なっ、何これぇ!?」



 慌てて叫ぶわたしとは裏腹に、閻魔様は落ち着いた様子で言葉を続ける。



「桃花の肉体が目覚めようとしている証だよ。君はまだ生きている」


「え、生きて……?」



 その言葉が信じられなくて、自身の体から閻魔様へと視線を移すが、当の閻魔様の表情は嘘を言っているようには見えない優しいものだった。



「生死の境を彷徨った人間が、死者に混じって冥土に迷い込むことは時々ある。その見分け方は簡単、生者はその内に宿す魂が輝いているんだ。そして桃花の魂は、正に今も命の灯火ともしびを絶やすまいと、美しく輝いている」


「……生きてる」



 呆然と発光する両手を見つめると、閻魔様のふっと微笑んだ声が頭上から落ちてくる。



「――さぁ、では別れの時だ、桃花」


「え!?」



 さも当たり前のように言う閻魔様に、わたしは弾かれたように顔を上げて叫んだ。



「お別れって……、どうして!? もう閻魔様に会えないの!?」


「……そうだな、当分はもう会えないかな。私は冥土の住人。桃花は現世の住人。本来なら決して交わらない存在なんだよ」


「い、いやだよそんなの……!!」



 せっかくこうして出会えたのに!

 わたしの為に怒ってくれたのに!

 為すべき道を示してくれたのに!



「それに閻魔様、さっき〝寂しい〟言ったじゃない! なのにわたしがいなくなったら、寂しくなっちゃう!」


「桃花……」



 一人ぼっちは怖い。寂しいのは怖い。

 それを、わたしは人一倍よく知っている。

 だからわたしは必死だった。

 必死でこの人を、同じ目をしたこの人を、救いたいと思ったのだ。



「じゃあわたし、閻魔様の帰る場所にもわたしがなる!!」


「――――え?」



 わたしの癇癪に今まで困ったようにしながらも、穏やかに微笑んでいた閻魔様の表情が崩れる。

 それでも構わずわたしは叫ぶ。



「わたしが料理を作れるようになったら、その時はあなたにもいっぱいご飯を作ってあげる! みんなでご飯を食べるとね、あったかくって幸せな気持ちになって、寂しくなんてなくなるんだよ!」


「桃花」


「だからわたしの作ったご飯を一緒に食べよう! わたしがあなたの帰る場所になるから!!」



 言い切って無邪気に笑ったわたしに対し、閻魔様はサラサラと光の粒となって消えかかるわたしの小さな両手をとって俯いた。



「そう……だな」



 そして次に顔を上げた時、閻魔様は泣き出しそうな、でも嬉しそうな、そんな複雑な表情で笑っていた。



「桃花がまた冥土に来たその時は、君の料理を食べさせて貰おうかな。……まぁそんな時がくるのは、君がおばあちゃんになってからでいいんだけどね」


「約束よ! 絶対約束!!」


「――ああ、約束しよう」



 ◇◆◇◆◇



 強引なわたしの指切りにも苦笑して、ちゃんと応じてくれた閻魔様。

 優しい閻魔様。


 次に冥土を訪れるのは、わたしがおばあちゃんになってからでいいと言ってくれたあなたの思いを裏切ってしまったのに、十年後、二度目の冥土でもあなたは変わらずとても優しくしてくれた。


 わたしはあなたのことも、約束のことも、すっかり忘れていたというのに、あなたは喜んでわたしの料理を食べてくれた。


『美味しい』と言ってくれた。



 ありがとう。



 わたしはね、閻魔様。

 あなたの言葉に何度も救われたのよ――――。


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