四十話 冥土に咲く花
閻魔様に連れて来られたのは、宮殿のすぐ側を流れる川に沿って少し歩いた先だった。
「――わぁ! なぁにここ? すごいお花がいっぱいで綺麗」
目の前に広がっていたのは、薄紅色や乳白色の小さくて可憐なお花が辺り一面に咲いた花畑。
まるでおとぎ話のような幻想的で美しい光景に、呼吸も忘れてぽーっと見惚れてしまう。
「ここは裁判所や宮が建てられる以前から元々あった場所だよ。生命が生まれない冥土に唯一咲くこの小さな花には、死者を鎮魂する力があると言われているんだ」
「へぇ……、鎮魂……?」
「先ほど私達は川沿いを歩いてきただろう?」
「? ええ」
なんでいきなりお花の話から川の話になるんだろう?
そう思いながらも、わたしは頷く。
「底が見えるくらい水が透き通っていて、とても綺麗な川だったわよね。あれはなんて名前の川なの?」
「川の名は、〝
「え゛っ!?」
さ、三途の川っ!?
あの川が、かの有名な三途の川だったの!?
「あんなに綺麗な川が〝三途の川〟だなんて、信じられない……」
「だろう? それこそがこの花の力なんだ」
そう言って閻魔様が屈んで、花の白く小さくな花弁をそっと撫でる。
「さっきも言ったように、この小さな花には死者を鎮魂する力がある。川に漂う穢れが冥土を蝕むことがないよう、この花たちが死者の魂を慰め守っているんだ」
「こんなに可愛いお花にそんな力が……」
わたしも閻魔様の隣にしゃがみ込んで、小さく可憐な花たちをじっと見つめた。
「そういえば〝冥土では生命は生まれない〟って、なら宮殿の庭園に生えている樹木も冥土のものじゃないってことよね? 池の鯉達は閻魔様が
「ああ、その通りだ。樹木も鯉と同様、私が高天原を発つ時に、特別に
「〝
もしかして閻魔様に冥土行きを任命した偉い神様のことだろうか?
ふと視線を花から閻魔様に向けると、閻魔様はここじゃないどこか違うものを見ているような、何か懐かしむ表情をしていて、わたしの胸がどうしてだかズキリと痛んだ。
「――それって、閻魔様の恋人?」
「え?」
「あ」
キョトンとした顔をした閻魔様に、わたしは今自分が何を口走ったかを理解して、一気に赤面した。
「ちっ……、違うの! なんでもない! なんでもないから、早くお弁当食べましょう!! 閻魔様もお腹空いたでしょ!?」
「あ、ああ。そうだな、頂こうか」
わたわたと閻魔様から荷物を取り上げて、わたしはガサガサと持参した敷物を引っ張り出す。
それを広げながらも頭を渦巻くのは、さっきの失態だ。
ああああ! わたしのバカ! わたしのバカ! 何言っちゃってんの!?
別に閻魔様に恋人がいたって関係ないじゃない!!
もし万が一、いや億が一『恋人なんていない』って言われたって、わたしには――……。
「……だが桃花、何か勘違いしているようだから、食べる前に一つ訂正してもいいかい?」
「へ……?」
て、訂正……?
顔を上げれば閻魔様は少し困ったようにわたしを見ている。それにわたしも敷物を持ったまま、固まって閻魔様をジッと見つめた。
お互いの目と目が合う。
「……彼の方とは、桃花が想像しているような存在ではないよ。なにせ
「あ」
〝彼女〟
やっぱりなんとなく思った通り、女性なんだ……。
なんだかまた胸がチクチクし始める。
「えっと……、じゃあ師ってことは、閻魔様に冥土行きを命じたのはその人なの?」
「ああ、そうだ。彼女は時に私の母のようであり、姉のようであった。尊敬はしているが、そこに異性に対する感情はないよ。――安心したかい?」
「――――!!?」
そこで閻魔様がクスリと笑ったのを見て、始めっからわたしの気持ちなんて閻魔様には全てお見通しだったことを悟る。
「い、いじわるだわ!! 閻魔様っ!!」
わたしは真っ赤な顔のまま、敷物を花を潰さない場所に敷き、お弁当を真ん中に置いてどっかりと座り込んで叫んだ。
後から閻魔様の座る音もしたが、もう知らんぷりだ。
ええ、ええ、安心したわ! そりゃあもう、すんごく安心したわよ!!
――でも。
「…………」
それと同じくらい、すっごく惨めだ。
だってオシャレを頑張ったって、閻魔様の過去を気にしたって、わたしは冥土に来ただけのただの人間でしかない。
しかももうすぐお別れになってしまう、そんな誰の記憶にも残らないようなちっぽけな人間――……。
「桃花」
「…………何?」
考え込んでいると背後から閻魔様に声を掛けられ、一瞬反応するか悩んだ後、結局わたしは振り向いて答える。
「すまない」
「え?」
すると顔を合わすなり謝られて、わたしは少々驚く。
目を見開くと、閻魔様はそのまましゅんと眉を下げて話し出した。
「無神経だったな。桃花が私のことで一喜一憂する姿がとても可愛くて、つい
「へ、そ、それって――」
――どういう意味?
突然の言葉にわたしは胸がドキドキと高鳴り始めたのを感じながら、閻魔様に問いかける。
ぐうぅぅぅぅ。
しかしそれはわたしのお腹の音によって、一瞬にしてぶち壊しになった。
「……っ、はははははは!」
「~~~~っ!!」
し、締まらない!! なんでわたしって、いつもこうなの!?
もう涙目だが、逆に吹っ切れてきた。
ていうか、お腹空いた!
「あーもういいわ! 仲直りに一緒にご飯食べましょう!」
半ばやけくそ気味に言ってからパカッと二段重ねのお重を広げると、閻魔様から「おおっ!」と歓声が上がった。
「とても彩りが綺麗だね。昼飯を詰めただけと言っていたが、手間が掛かっただろう? 私の思いつきで我儘を言ってすまなかったね」
「ありがとう。でも本当にそんな手間じゃなかったのよ。この鶏のから揚げも昨日から仕込んでたから、あとは揚げるだけだったし」
「ほう? どれどれ……」
から揚げを箸で摘んだ閻魔様が「いただきます」と言って口に入れる。
「――ああ。このから揚げ、飯がよく進む良い味付けだ。茜と葵もさぞ喜んで食べているだろうな」
「ほんと? だったら嬉しいな」
閻魔様に褒められるのがなんだか照れ臭くて、誤魔化すようにわたしもから揚げをぱくりと頬張る。
「うんっ! 確かにいい感じ」
噛むと肉汁がじゅわっと溢れる。やっぱり昨晩からしっかり下味をつけておいたお陰で、鶏肉がしっとりジューシーだ。
から揚げってもちろん揚げたてが一番最高なのだけど、時間が経って衣が少ししんなりしているのもまた美味しいのよね。
「この卵焼きもにんじんやネギが入っていて、美味いだけじゃなく見た目も凝っていて良いな」
閻魔様が一つ一つのおかずを口にする度に美味しい美味しいと褒めてくれる。
その表情があまりにも満足気なので、それを見ているわたしも自然と笑みが溢れ、気がつけばさっきまでの胸の痛みも惨めさも、どこかへと吹き飛んでしまっていた。
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