九話 小鬼たちの頼み事


「閻魔様の存在が消えるって……! そんなことになったら大変じゃない! なのになんで閻魔様は何も食べないの!? あ、もしかして病気で食欲がないとか!?」



 思えば閻魔様、男性にしては腕や手が細っそりとしていて、どこか儚げな雰囲気だった。病気だと言われたら、それはそれで納得である。



「いや病気ではない。閻魔様はそれはそれはお忙しいお方なのだアカ。それこそ食べる暇も寝る暇もないくらいアカ」


「……? ?」


「冥土の裁判とは死者を裁く裁判。つまり人間は死を迎えると必ず閻魔様の裁判を受けることになるアオ。となると、その人数はとんでもなく膨大になるアオ」


「……まぁ、確かに言われてみればそうね」



 毎日、毎分。いや、毎秒。どこかで誰かが亡くなっていると聞いたことがある。

 それらを裁くのが全て閻魔様一人となると、確かにとんでもなく大変な話だ。

 終われど終われど、永遠に終わらない。

 それはあまりに果てしなく、恐ろしくも感じる。



「まぁそういう事情もあって、閻魔様の中で食事の優先順位は恐ろしく低いアカ。裁判以外の僅かな時間は全て睡眠に充てているアカ」


「睡眠でも神力が回復するってこと?」


「そうだけど、効率は食事より断然落ちるアオ。やはり手間暇かけて作られた料理の方が神力を多く回復できるんだアオ」


「ふーん?」



 手間暇で回復量が変わるんだ。やっぱり神力って説明されてもよく分からない。



「うーん……。でもそもそもなんだけど、どうして閻魔様は裁判を一人でしているのかしら?」


「「え」」


「だって人間の裁判だって、一人じゃなくてたくさんの裁判官がいるわ。冥土には閻魔様とあなた達しかいないって言うけど、あなた達は裁判のお手伝いは出来ないの? ……て、あれ?」



 二匹の方に視線を向ければ、目に見えてしゅーんと頭を下げて落ち込んでいる。

 あ。この反応はもしかして、聞いちゃいけないことだった?



「え、えっと……」



 どうしよう、楽しかった雰囲気が台無しだ。オロオロと二匹を交互に見ると、項垂れた姿勢のまま、茜と葵がポソポソと話し出した。



「……実はオイラたちは本来、閻魔様の裁判を手助けする為に生まれた存在なんだアカ」


「え?」



 意外な言葉に、わたしは目を瞬かせる。



「昔はオイラたちの他にも冥土には眷属けんぞくがたくさんいて、この宮殿もとても賑やかだったんだアオ」


「けんぞく……って、何??」


「眷属とは、閻魔様が生み出した小鬼たちの総称アカ。かつては皆、いつか立派な冥土の裁判官になることを夢見て日々励んでいたアカ」


「しかしいつまで経っても宮殿の管理以外の仕事を与えられず、それに不満を溜めた者や不安なった者たちが、みんな冥土を飛び出して行ってしまったんだアオ」


「ああー……、そういうことだったの……」



 こんなに広い宮殿に小鬼二匹と閻魔様だけだなんて、あまりに不自然だと分かっていたけど……。

 本来の役目も果たせず、次々と閻魔様の元を離れていく仲間たちを、この子たちはどんな気持ちで見送っていたのだろうか。

 想像するだけで胸が痛くなる。

 

 でも閻魔様はなんでそこまでの事態になって尚、小鬼たちに裁判を手伝わせなかったのだろう?


 危機的状況なのに食事はとらず、小鬼にも手伝わせず。

 少なくともわたしの失態を許し、わたしに記憶を取り戻す道しるべを示してくれた閻魔様は、この子たちを意図的に冷遇するような冷たい人には思えなかった。


 ならば何故――。



「……空腹は生きる上での最大の敵だわ。時に正常な思考を奪い、時に死に至らしめる恐ろしいものだもの」


「? なんだそれはアカ」


「あ、ごめん。口に出ちゃってた? なんかね、ふとそう思ったの。お腹が空くと余裕がなくなって、なんにも考えられなくなっちゃうじゃない? 閻魔様は食べなくても平気なのかも知れないけど、根本はそれと同じなんじゃないかなって」


「同じ? 閻魔様と人間がアオ??」


「んー。なんていうか上手く言えないけど、食べるって幸せなことなのに、きっと閻魔様はそれを知らないのかなって」


「「それだアカ(アオ)っっ!!」」


「わっ!? ビックリしたぁ!」



 ずっとわたしの言葉を胡乱げに聞いていた二匹がいきなり同時に叫んだので、わたしは驚いて持っていた湯呑みをひっくり返しそうになる。



「それだ桃花! お前が閻魔様に食べる幸せをお教えするのだアカ!!」


「えっ!? なになに!? どういうこと!?」


「先ほどの桃花の料理は見事だったアオ! もしかしたらお前の料理ならば、閻魔様の食への興味も引き出せるかも知れないアオ!!」


「ええっ!?」



 いきなりものっすごい難しそうなことを言われ、わたしは青ざめてブンブンと首を横に振った。



「いっ……、いやいやいや!! そんな持ち上げられたって、千年も食べていないような究極の食わず嫌い、わたしの料理で治せる訳がないわ!!」



 必死に言い募るが、そんなわたしを見て茜と葵はニヤリとどこか黒い笑みを浮かべた。


 あ、なんか嫌な予感。



「あのなぁ桃花、お前は閻魔様に恩がある筈だアカ。記憶を取り戻したいと言うお前の為に冥土の滞在を許し、部屋を与えて飯も腹いっぱい食わせてやっただろうアカ」


「う」


「桃花は〝一宿一飯の恩〟って言葉を知らないのかアオ?」


「いやっ、それはもちろん知ってるけど! でもそれとこれとは話が別っていうか……っ!!」



 ダメだ、回避する為の上手い言葉が見つからない。

 しどろもどろになるわたしに畳み掛けるように、二匹はビシッとこちらに指を突きつけて叫んだ。



「「だったらその恩に報いるのが筋ってもんだろアカ(アオ)!!」」 


「え、えーー……」



 ◇◆◇◆◇



 空腹は生きる上での最大の敵だ。

 時に正常な思考を奪い、時に死に至らしめる恐ろしいものだから。


 けれども――。


 とんでもなく厄介な小鬼たちの頼み事に、わたしは今更ながらに閻魔様の塩おむすびを食べたことを後悔したのだった。



=サバの味噌煮・了=


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