カニバリゼーション――共食い

カニバリゼーション――共食い

 いったいなぜ沖宮が小田原にいたのか。なぜ沖宮は軽井沢にいたと嘘をついているのか。沖宮は美羽の死の真相を知っているかもしれない。あの日、沖宮が本当に軽井沢にいたのか。高校の他の同級生に聞こうと思ったが、下手に感づかれたらいけない。慎重に捜査を進めないといけない。


 月曜日。頭のなかでプランニングをしながらテクニカルセンターに出社すると、朝川部長に突然会議室に呼ばれた。八人しか入らない、六畳ほどの小さな会議室はブラインドの隙間から直射日光が痛いほど差しこむ。


「いやあ、暑いね」


 朝川部長はハンカチで顔を拭った。


「わたしは嫌ですよ。晴れの日は受注数が減って、無駄な緑が暇を持て余して倉庫で休んでるんですよ。稼働率が下がる」


 悪態をつく。おそらく、今日の話はあまりよくない類のものだろう。有利な条件に持ちこむために先に朝川部長を牽制する。社会人が生き残るためには腹芸の能力が必須だ。


 朝川部長はハンカチをポケットに戻すと、いきなり微笑んだ。目だけが笑っていない、不自然な笑み。


「ここに呼び出したのはね、今後の仕事の進め方についてだよ。申し訳ないけど、音羽さんが作った棚出し工程はもう必要なくなった。この話、まだ極秘だから君のところのチームマネージャーには言ってない」


 部長の言ったことが理解できなかった。蝉の鳴き声がやたらはっきり聞こえる。


「……よく分からないのですが」


「君の工程は日用品だよね。トイレットペーパーとか小物ばかり。うちさ、日用品の取り扱いを頑張ると相模原のサティスファクションセンターとカニバるんだよね」


 カニバリゼーション。自社の製品やサービス同士で売り上げを奪い合ったり、同じ企業の事業所や店舗同士で顧客を奪い合ったりする状態を指す。「共食い」という意味を持つ英語の「cannibalization」が由来だ。


「そんな……。なんでこのタイミングで言うんですか。撤去しろってことですか?」


 部長を責める。いままで半年かけて取り組んできた仕事を、完成直後にひっくり返された。たしかにカニバリゼーションは危険だ。会社の経営資源を効率よく活用できず、本来は市場での製品シェアの拡大や消費者へのサービス拡充などにかけるべきコストを浪費し、結果、競合他社にシェアを奪われるリスクが高まる。


「そうだ。はっきりいって、君の仕事は正直、無駄だった。相模原と共食いはしたくない。CEOも口酸っぱくおっしゃっているだろ? 『企業の内側で共食いしあえば未来はない。人間が人間を食べて、滅びたアステカ王国のように』って」


 理解した。これは部長の意志でない。おそらく上位の命令だろう。


「……撤去は部長の意志ですか」


「俺だって音羽さんのことを庇ったんだ。品川から、いや、正確に言うと、オレゴンからの命令だ。君、前にオレゴンの連中にプレゼンをしただろ。あの内容を人づて聞いたアジア統括の役員がキレてさ。本社の人間は君が勝手に相模原を食ったって思い込んでいる」


 部長は見せつけるように申し訳なさそうな顔をして、言葉を継いだ。


「本当に申し訳ない。撤去工事が終わったらチームマネージャーにさせるから。君には期待している」


 部長が深々と謝った。どこか白々しい口調だった。上からの命令に従っているだけだ。責任なんて感じるわけがない。




 いつの間にか、蝉の鳴き声すら聞こえなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る