第53話 よかったね、信也


「で」


 一口お茶を飲み、秋葉が信也の方を向いた。

 ハリセン騒ぎもあり、いつの間にか信也の顔をちゃんと見れている。

 こういうの、久しぶりだな。早希さんには感謝だな、そう思った。


「で、じゃねーよ。てか、なんで姉ちゃんに関係する人間、みんな同じ言い回しになるんだよ」


「信也、突っ込みはいい。そうじゃなくて、どう? 今、幸せ?」


「え」


「え、じゃなくて。信也は今、幸せなのかなって」


「まあな、これ以上にないぐらい幸せだよ」


「ならよかった」


 秋葉が優しく笑う。


「早希さんのこと、大切にするんだよ」


「分かってるよ。早希には一生、頭あがんねーから」


「早希さんも、よかったね」


「はい。これもみんな、秋葉さんのおかげです」


「私、何もしてないと思うけど」


「そんなことないです。秋葉さんがいたから信也くん、今もこうして頑張れてるんです。私はそう思ってますから」


「……ありがとう」


「このマミラリア、大事に育てますね」


「しかしなんだな、やっぱ秋葉って女子だよな。こういうプレゼント、俺には思いもつかない」


「信也だったら、菊の花とか贈りそう」


「それ、すっごく分かる。信也くん、花なんかに絶対興味ないから。場違いな花を選びそう」


「お兄さん、お墓参りと愛の告白、同じ花で済ませそう」


「いやいや、流石にそれはない……よな?」


「なんで疑問形なのよ」


「家、立派だね」


「中古だけどな。まあ今の俺じゃ、これが精一杯だ」


「ううん、そういうことじゃなくてね。なんかこう……あったかい家。そう感じる」


「そうか?」


「うん。何も聞かなくても、二人がここで穏やかに暮らしてるのが分かる」


「なんか照れるな」


「相変わらず、石はあるけど」


「あ、ああ。まああれは……な」


「でも昔と違って、あの石を見てても私、辛い気持ちにならないよ」


「そうなのか? て言うかお前、そんな風に思ってたのか」


「だって……信也が石を集めだしたのって、お父さんのことがあった頃からだったから」


「そうだったかな」


「うん、そう。だから石を見てて、ちょっと辛かったの。でも今、こうして石を見てても辛くない。それって、すごいことだと思うよ。これってきっと、早希さんのおかげだよね」


「そんなに褒められると照れちゃうな。秋葉さん、よかったらお酒、どう?」


「お前はまた、すぐ調子に乗る」


「いいじゃない。信也くんの成長を、秋葉さんが認めてくれたんだよ?」


「まあ、そうなんだけどな」


 そう言って信也は立ち上がり、換気扇の下で煙草に火をつけた。


「しかしなんだな。こうして秋葉が家に来てくれるなんて、思っても」


「信也」


 秋葉の低く重い声が、信也の言葉を切り捨てる。

 見ると、凍てつくような視線が向けられていた。


「……秋葉さん? なんでまた怖い顔……してるのかな?」


「まだ煙草、吸ってるんだ」


「あ、いやそれは……」


「未成年の女の子と婚約者がいる部屋で……早希さんも、赤ちゃんを産む大切な体なのに」


「……秋葉さん? そんなボロボロのハリセン持って、何するつもりなんでしょうか。いやいやだからお前、顔怖いって」


「信也……煙草は駄目って、ずっと言ってるのに」


「だからほら、ちゃんと換気扇の下で吸ってるだろ? いつもはそこで吸ってるんだけど、一応マナーとして」


「マナーの話じゃない。なんでみんな分かってくれないのかな。私、ずっと言ってるよね、煙草やめてって」


「はいすいません」


 信也が慌てて煙草を消した。


「もぉっ。早希さんもちゃんと言わないと駄目だよ。丈夫な赤ちゃん、欲しくないのかって」


「あははっ。ありがとう秋葉さん。でもね、私がいいって言ったんだ、家で吸っていいよって」


「……」


「だって、信也くんって大して楽しみ持ってないし。煙草ぐらい許してあげてもいいかなって」


「駄目」


「え」


「そうやって甘やかしちゃ駄目。煙草が唯一の楽しみだなんて、ただの言い訳だから。信也にも早希さんにも、これからずっと健康でいてほしいから。生きていれば、健康なら楽しみぐらい、いくらでも出来るから」


「あ……はい分かりました。善処します」





「じゃあこれで。お邪魔しました」


「ありがとな、わざわざ来てもらって」


「今度はもっと、ゆっくりしていってくださいね。歓迎しますから」


「うん。ありがとう」


「秋葉、その……」


「何?」


「あ、いや……ほんと、色々ありがとな」


「何それ、ふふっ……でも、信也の楽しそうな顔、いっぱい見れてよかった」


「私、ちょっと下まで送ってくるね」


 そう言って、早希が靴を履いて扉を開けた。


「じゃあ信也、明日頑張って」


「ああ。ありがとう」


「おやすみなさい」


 そう言って、秋葉と早希が一緒に出て行った。


「……お兄さん」


 あやめが信也の服をつかんでいた。


「ごめんねあやめちゃん、折角の勉強会だったのに」


「それはいい……そうじゃなくて」


「ん?」


「私、あの人駄目かも」


「あの人って、秋葉?」


「うん……あの人といると、お互いに変な干渉が起こる」


「干渉?」


「あの人と私、キャラがかぶってる。話し方まで似てるし……だから一緒にいると、どっちかが空気になる」


「確かにちょっと、似てるかもね。でも空気にはならないだろう、どっちも」


「今日は私の負け。完全に呑まれた……次は負けない」


「ははっ……あやめちゃん、何と戦ってるんだか」


「今日は帰るね」


「なんかごめんね、バタバタしちゃって」


「いいの。元々今日は、来るつもりじゃなかったし。明日入籍なのに、お兄さんに無理させた」


「そんなことないよ。あやめちゃんと勉強するの、俺も楽しいし」


 そう言ってあやめの頭を撫でる。


「それでその……お兄さん」


「どうかした?」


「……ううん、ごめんなさい。やっぱりいい」


「……」


「じゃあ……おやすみなさい」


「おやすみ。風邪ひかないようにね」


 扉が閉まると、信也は頭を掻きながらリビングに向かった。


「片付けるか……」





 テーブルの上を片付けながら、信也は今のあやめの言葉を思い出していた。

 今回だけじゃない。これまでに何度も、こうしてあやめちゃんは何かを言いかけて、いつも途中でやめていた。

 あやめちゃんの癖なんだろうか。

 でも、それにしては何かこう、引っかかるものがある。

 それが何なのか分からないが、あやめちゃんは俺に対して、言い出せない何かをずっと持ち続けている、そんな気がした。



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