第51話 意外な来訪者
3月8日金曜日。
予想外の来訪者に、信也は玄関先で固まった。
年が明け、毎日が慌ただしく過ぎていった。
充実した毎日。
それはこんなに時間の流れを早くするのかと、信也は思っていた。
早希と出会うまで、職場と家の往復を繰り返すだけの日々だった。それはそれで忙しかったのかもしれない。
だがふと思い返した時、印象に残る出来事がないことに気付いた。
しかし早希と出会ってからは、いつどこで、何をしたのかを鮮明に思い出すことが出来た。
毎日が驚きと新しい発見の連続。
一日を長く感じていた頃からは想像も出来ない、新鮮な毎日だった。
2月には式場も決めることが出来た。
今年の6月2日は大安吉日で、どこも一杯だった。
金額面や式場の規模など、二人の条件にあった場所を探すのは、思ったより大変だった。
途中何度か諦めかけ、妥協も考えた。しかし未来の伴侶の顔を見ると、自らを奮い立たせることが出来た。
そして執念が実り、満足出来る式場を見つけることが出来たのだった。
家では早希とあやめの勉強会がスタートしていた。
毎日夕食後に始まる勉強会。
しかし勉学から遠ざかっていた信也にとって、人に物を教えるということは並大抵なことではなかった。
年明けから信也自身、高校時代の教科書を引っ張り出して勉強を始めたのだが、ほとんど記憶からこぼれ落ちていた為、中学時代の教科書まで探し出す羽目になってしまった。
しかしこれは、あやめのこれからにも関わることだ。
早希の将来の夢の為の努力だ。
そう自身を奮い立たせ、毎日遅くまで勉学に励むのだった。
そんな多忙な毎日は、信也が「ちょっと待ってくれ」と哀願するほどに、瞬く間に過ぎていった。
そして今日、3月8日。
明日は早希との入籍の日だ。
「さくらさん、今日は随分早いな」
時計を見ると20時半。信也が玄関に向かった。
「おかえりなさい、さくらさん」
そう言って扉を開けると、そこには意外な人物が立っていた。
「え……あ、秋葉……?」
「……信也、久しぶり」
信也の幼馴染、澤口秋葉だった。
「どうしたんだ急に……てか、よくここが分かったな」
「うん……知美ちゃんに聞いた」
「そうなのか。いや、びっくりした」
「ごめんね、連絡もせずいきなり」
「いや、それはいいんだが」
相変わらず、秋葉はうつむき信也と目を合わせようとしない。
「ま、まあその……なんだ、とにかく入れよ。折角来てくれたんだし」
「え……あ、その……いいの、用事済ませたらすぐ帰るから」
「すぐって、お前なあ」
「……結婚おめでとう。明日、なんだよね」
そう言って、小さな鉢植えを差し出した。
「これってもしかして、俺に?」
「うん……大事な幼馴染の結婚。お祝いぐらい、するでしょ」
「サボテン?」
「うん。マミラリア」
「これ、蕾か」
「そうだよ。4月ぐらいにはしっかり咲くと思う」
「そうなんだ……ありがとな、秋葉」
「花言葉は、枯れない愛」
「枯れない愛……」
「二人にぴったり。だからこれにした」
「……なんか照れるな。お前に言われると」
「なにそれ、ふふっ。あと、お誕生日おめでとう」
入籍の日、3月9日。その日は信也の誕生日でもあった。
覚えてくれてたのか。そう思い、信也が照れくさそうに笑った。
「ああ、ありがとう……で、だ。それはともかく、とにかく上がれよ。お茶ぐらい入れるから」
「いいよ。これ、渡しに来ただけだから」
「信也くーん、お客さんなのー?」
「あ、ああ早希、ちょっと来てくれないか」
「どうしたの、玄関で話し込んで……って、ええええっ? 秋葉さん?」
「こんばんは、早希さん」
「どうしたんですか急に。てか信也くん、なんでこんなところに立たせてるのよ。ごめんなさい秋葉さん、信也くんったら、気が利かないんだから」
「あ……でも私、もう帰るから」
「何言ってるんですか。大事なお客様なのに、こんな所じゃ失礼です。折角来てくれたんだし、お茶ぐらいいいでしょ?」
「でも……」
「早希。秋葉がこれを持ってきてくれたんだ」
「かわいい! 何々これ、ひょっとしてマミラリア?」
「流石、よく知ってるな。俺にはサボテンってことしか分からなかった」
「信也くんだもんね。秋葉さん、これを信也くんに?」
「早希さんと信也に。結婚のお祝い」
「結婚祝い……」
「うん、そう。二人にお祝い」
「あ、いえそんな……参っちゃったな、これ」
「早希?」
早希の目に涙が光っていた。
「秋葉さんにそんなことされたら、私……」
涙がこぼれ落ち、肩も震える。
そして早希は前に出ると、そのまま秋葉を抱き締めた。
「……ありがとう、秋葉さん」
「早希さん……」
嗚咽する早希を、秋葉が優しく抱き締める。
早希は必死に涙をこらえようとするが、涙は止めどなく溢れ、こぼれていった。
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