第45話 チキンな恋の物語
11月も終わりに近付いた、ある土曜の夜。
リビングのこたつで丸まった信也と早希、そしてあやめは、ホラー映画を一緒に観ていた。
このマンションに来て3か月。信也と早希は、ここでの新生活を十分に満喫していた。
仕事に行くのも一緒、昼食も一緒。
帰宅も一緒、夕食も風呂も、寝るのも一緒。
24時間二人はずっと離れず、仲睦まじい姿を周囲に見せつけていた。
休日になれば手をつないで遊歩道の散歩に出かけ、マンションの住人からも、おしどり夫婦と噂されていた。
その仲の良さは、知美や幸子たちが来た時も変わらずで、あまりの熱々ぶりに知美が信也を蹴り飛ばすほどだった。
林田姉妹の生活も順調だった。
さくらは相変わらず忙しい毎日で、仕事で帰りが遅くなることもよくあった。
そんな時はあやめを家に呼び、夕食を共にしていた。
あやめも出会った頃とは見違えるほどに笑顔が増え、信也も早希もそんな変化を嬉しく思っていた。
「あやめちゃん、これって50年以上前の映画だよね」
「うん。1958年のイギリス映画。1931年の白黒『魔人ドラキュラ』のリメイクで、日本でのタイトルは『吸血鬼ドラキュラ』」
「それにしては面白かったよ。馬鹿にしてた訳じゃないけど、なんていうか、こう……もっと古臭いかと思ってた」
「これはホラー映画の金字塔。これ見ずして、ホラーは語れない」
「あのドラキュラ役の人、格好よかったよね」
「クリストファー・リー。ドラキュラと言えば彼ってぐらい、この役でインパクト残した」
「相手役の人もよかったよな」
「ピーター・カッシング。彼もホラー映画の重鎮。この二人のおかげで、この映画会社は黄金時代に突入、歴史に名を残した。この二人は、私にとって神」
「て言うか、なんであやめちゃんがこんな古い映画知ってるんだ?」
「私、昔の映画大好き。白黒もよく見る」
「そうなのか。でもいい趣味持ってるじゃないか。なんか俺も、昔の映画に興味出てきたよ」
「よかったらまた持ってくる。ドラキュラシリーズも9本あるから」
「すごいな、シリーズなんだ」
「て言うかあの二人、遅いね」
「だな。そろそろだとは思うけど」
「でも、こんな時間まで帰ってこないとなると……どう思う? 今日こそはって思わない?」
「はぁ……」
あやめの大きなため息に、信也が苦笑して頭を撫でた。
「あやめちゃんも、やきもきするよね」
「お姉ちゃんがこんなに奥手だとは思わなかった」
「いや、それを言うなら篠崎だろ。もう3か月だぞ。なのに……な」
「はぁ……」
篠崎が誘ったあの日から、二人は外食デートを続けていた。
同じ時間を共有する度に、初めて出会った時に感じた印象は間違ってなかったと確信し、互いに想いを募らせていった。
ここまではよかった。
しかし篠崎もさくらも、それ以上の関係に進まなかった。
ただ食事をし、会話し、笑い合い、そして帰る。
そんなデートを繰り返していた。
初めの内は、それもあいつらのペースなんだろうと見守っていた信也たちだったが、流石に最近では、その全く変化しない関係にやきもきしていた。
「お姉ちゃん、いつも篠崎さんとのデートの後、私にのろけてくる。篠崎さんがこう言った、篠崎さん、店でこんなことして店員に笑われた……そんな話を延々と聞かされる」
「それ、ある意味拷問だよな」
「次の展開があるって思うから、そんな話でも聞いていられる。でも、お姉ちゃんの話にはその先がないし、大体話にオチもない」
「中学生かよっ! いや中学生でも、もうちょっと展開あるか」
「篠崎さん、こんなヘタレだったんだ。私、ちょっとがっかりだわ」
「そうなのか?」
「そりゃね、女性を大事にするのはいいことだよ。欲望のままにがっついてくる男よりはずっといい。でもね、物事には限度ってものがあるでしょ。最初のデートからもう3か月だよ? 私でも信也くんの陥落、1か月だったのに」
「あのぉ早希さん、あやめちゃんもいますんで」
「でも早希さんの言う通り。篠崎さん、チキンすぎる」
「そうは言っても、流石に少しは進展あったろ」
「まだ手も握ってないみたい」
「マジか」
「マジ……」
「さくらさんはどうなのかな。それでいいって思ってるのかな」
「いつも楽しそうにしてる。でも……ちょっと寂しそうにも見える」
「どうしたものかな」
「あ、帰ってきたっぽいよ」
廊下に響く二人の足音。
信也と早希、そしてあやめが玄関に向かい、扉を少し開けて二人の様子を覗き見る。
「今日も楽しかったっす。ありがとうございましたっす」
「すいません篠崎さん、いつも送っていただいて」
「いいっすいいっす。さくらさんお綺麗っすからね、こんな時間に一人で歩いてたら、男共がほっとかないっすから」
「そんなこと……」
「ほんとっすよ。さくらさん、本当に綺麗っすから」
「……じゃ、じゃあ、私はこれで……ありがとうございました」
「そ、そうっすね、最近冷えてきたっすからね。さくらさん、体には気をつけてくださいっすよ」
「は、はい……あのその……篠崎さんも帰り、気をつけてくださいね」
「そ、そうっすよね。言っておいて自分が倒れたら、格好悪いっすからね」
「それじゃ……おやすみなさい」
「さ、さくらさん」
篠崎がさくらの腕をつかんだ。
おおっ! ついに行くか篠崎!
3人が固唾を飲んで見守る。
「……篠崎……さん?」
「あ……ごめんっす! すいませんでしたっす!」
さくらの反応に、篠崎が慌てて手を離す。
そんな篠崎に、3人が大きなため息を吐いた。
「……じゃ、じゃあ俺、これで帰るっす」
「は、はい……あのその、すいませんでした」
「また……会ってくれるっすか」
「は、はい、その……篠崎さんさえよければ」
「じゃあ、また連絡させてもらうっす」
「はい」
「じゃあ……おやすみなさいっす!」
「おやすみなさい……」
玄関が静かに閉まる。
それを見届けると、篠崎は頭をかきながら大きく息を吐いた。
「ちょっとちょっと! 篠崎さん、こっちこっち!」
「うおっ! な、なんだ三島さんっすか、びっくりしたっす」
「したっすじゃないわよ、もうっ。篠崎さん、ちょっとうち、入って」
こたつを囲み。
篠崎への尋問が始まった。
「あ、あのぉ……副長、これはなんの集まり……なんすか?」
「篠崎、今回は俺もかばえそうにない。て言うか、あれ見たらかばう気なくすわ」
「あれってなんすか」
「し・の・ざ・き・さ・ん」
「な、なんすか三島さん」
「篠崎さんが、こんっっっなチキンだとは思わなかったよ」
「チキンって、俺がっすか?」
「篠崎さんじゃなきゃ誰のことよ。何よさっきのあれ、折角いい雰囲気だったのに、なんであれで帰っちゃうのよ」
「なんでって……見てたんすか?」
「まあ覗き見したのは謝るよ。でもなぁ篠崎、お前あれはないわ」
「俺、何かマズってたっすか」
「篠崎さん、ほんとにお姉ちゃんのこと、好き?」
「そんなこと……恥ずかしくて言えないっす」
「はぁーっ」
早希が大きくため息をつき、隣の部屋へと入っていった。
「篠崎お前、このままでいいと思ってるのか」
「思ってはいないっす。でも俺、どうしたらいいのかほんと、分からなくって」
「そう言やお前、マジで女に惚れたのって、早希が初めてだったよな」
「ちょ、やめてくださいっす副長。あやめちゃんもいるんすから」
「私はもう知ってる。お兄さんから聞いた」
「もしかして、さくらさんもっすか?」
「いや、それはないから安心しろ。知られたらそれこそ大惨事だ」
「そうっすね」
「本気で好きになったさくらさん。だから何も出来ない。そんなところか」
「そうっす……なんか俺、こんなでかい図体っすから、さっきみたいに行こうと思ったら、びびられることが多いんす。それに……さくらさん、お人形みたいな人っすから、俺なんかが気安く触れていいのかって思って」
「あーもぉっ! イライラする!」
早希が戻ってきた。
なぜか手には自作のハリセン。
そして篠崎の元に行くと、勢いよく篠崎の頭を張り飛ばした。
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