第41話 相談
「ちょっと飲み物買ってくるね。信也くんはコーヒーでいいかな」
「私も行きます。あやめにも何か買ってくるね」
そう言って、早希とさくらが堤防を上がっていった。
「あやめちゃん、お腹いっぱいになったかな」
「……食べ過ぎたかも」
「ははっ、そっか。でもこうして運動して、太陽の下で腹いっぱい食べて。結構楽しいな」
「そう?」
「うん。昔……と言うか、早希と会うまではこんなこと、やりたいとも思わなかった。休日を楽しもうなんて気持ちもなかった。でも早希と出会ってから俺、毎日が楽しくて仕方ないんだ」
「……」
その言葉に、あやめが複雑な表情を見せた。
「どうかした?」
「え、あ……なんでもない……です……」
「なんか元気ないけど」
「お兄さん……」
「ん?」
「早希さんのこと、好き?」
「ははっ、中々の剛速球を投げて来るね。ちょっと照れくさいけど……でもあやめちゃんにならいいかな。
俺ね、女の子のことを好きになるなんて、絶対ないって思ってたんだ。色々あってね。でも早希と出会って、早希を知っていく内に、そう思ってた自分が馬鹿みたいだって思うようになっていったんだ」
「どうして好きになるの、嫌だったの?」
「うーん、色々あるんだけど……簡単に言えば別れる時、耐えられないからかな」
「……」
「でも早希は、ずっと一緒だって言ってくれた。私を信じてほしい、そう言ってくれた。だから俺、本当に早希には感謝してるんだ」
「……そうなんだ」
あやめが流れる雲に視線を移す。
「……私、お兄さんに相談したいことがあるの」
「いいよ。何でも聞いて」
「お姉ちゃんから聞いてると思うけど、私、学校に行かなくなって一年になるの」
「……」
「お姉ちゃんがお金を払ってくれて、まだ籍はあるんだけど……これからどうしたらいいのか分からなくて」
「学校かぁ」
信也の脳裏に、自身の学生時代が思い起こされた。
存在を否定され続けた空虚な日々。
そういや俺、なんで馬鹿正直に通ってたんだろう。
姉ちゃんが学費を出してくれたからか?
ここでやめたら負けだと思ってたからか?
違う。そんな大層な考え、持ってなかった。
環境を変えるのが怖かったから。その方がしっくりくる。
結局俺は、自分から何かを変えていこうという情熱を持ってなかったんだ。
あやめちゃんは、世間からすれば逃げたように見えるのかもしれない。
でもそうじゃない。彼女は自ら決断し、行動したのだ。
例えそれが「ひきこもり」というネガティブな行動だったとしても、彼女は自分の人生に、責任を持って選択したのだ。
そう思うと、自分よりずっと強い子だ、そう思えた。
「俺にはさくらさんからの情報しかないからね、何とも言えない。俺は当事者の言葉がないと判断しちゃいけないと思ってる。だから出来れば、あやめちゃんの口から直接聞きたいな。勿論、話せることだけで構わないから」
「お兄さん、やっぱり真面目」
「そう?」
「普通はそんな風に考えない。他人の言葉を疑いもせず、勝手に信じる。みんなそう」
「情報は多い方がいいからね」
「私……いじめにあってたの」
「……うん」
「初めは嫌がらせだった。ノートを隠されたり、授業中に物投げられたり」
「いつの時代も変わらないな、そういうの。俺もやられたから、気持ちは分かる」
「きつかったのは、授業で当てられた時。私が答えようとしたら、みんながクスクス笑い出して……私、声を出すのが怖くなっていったの」
「きついよな、それ。自分の存在が恥ずかしいもののように感じられるから。俺も逃げたくなったよ」
「でもね、本当に辛かったのはそれからなの。気が付いたらみんな、私のことを無視しだしたの」
「そこまでいったんだ」
「……まだ嫌がらせされてる方がマシだった」
「だよな。ちなみに俺は、その状態が一年近く続いた」
「お兄さんも?」
「卒業までね」
「そうなんだ……お兄さんもなんだ……」
「でも俺、元々友達もいなかったし、そういうので悩む脳味噌もなかったから。あやめちゃんの方がずっと辛かったと思うよ」
「お兄さんはどうして無視されたの? 聞いていい?」
「それが、未だによく分かってないんだ」
「そうなの?」
「うん。まあ、何となくこれかなってのはあるんだけど、それも本当なのかどうか」
「お兄さん、強いね」
「そう? 馬鹿なだけだと思うけど」
「ふふっ……馬鹿ってひどい」
「馬鹿じゃなきゃ鈍感かな。それにいじめるやつらの気持ちなんて、知っても仕方ないって思ってたから」
「確かに……それはそう思う」
「あやめちゃんはいじめの原因、分かってるの?」
「うん……」
少し寂しそうな目でうなずく。
「嫌なら聞かないけど」
「……人って、自分にないものを持ってる人を嫌がると思わない?」
「自分にないものか……確かにそういうところ、あるかもね。頭がいい、運動が出来る、もてる、金を持ってる……そういうのを嫉妬って言うんだけど」
「恐れもある……と思う」
「恐れ?」
「うん……多分私、みんなに怖がられてた。初めは馬鹿にして笑ってたけど、気が付いたらみんな、近付かなくなってた」
「こんな可愛い子、どこが怖いんだか」
そう言ってあやめの頭を撫でる。
「あやめちゃんと同じ学校に通ってたら、俺はきっと憧れてたよ」
その言葉に、あやめは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「お兄さんのこと、好き……だから、また会えてよかった……早希さんのことも好き」
「ありがとう」
「学校に行かなくなったのは、こんな理由」
「あやめちゃんは、どう考えてるの?」
「分からなくなってる……行かないといけないって気持ちと、もういいやっていう気持ち、両方あって」
「どっちでもいいんじゃないかな」
「え……」
「あやめちゃんが小学生だったら、違うことを言ってたと思う。でもあやめちゃんは18歳、自分で考えて決めたらいいと思う」
「そう、なのかな……」
「お姉さんが学費出してくれてる。だから早く結論を出さないとって思う気持ちは分かる。でも俺、さくらさんが無理に学校に戻そうとしてるんじゃないって思うんだ。あやめちゃんが学校に戻りたくなった時のために、その場所を守ってくれてる、それだけだと思うよ。
さくらさんはあやめちゃんに、自分の人生を考える時間、作ってくれてるんじゃないかな」
「……」
「でも部屋から一歩も出ないのは流石に辛い。だからせめて、外に出れるようにしたかった。そんなところじゃない?」
「じゃあお兄さんはどう思う? 私、お兄さんの意見が知りたい」
「あやめちゃんが決めたことなら、何だって応援するよ。学校辞めるのもよし、大学に進学するもよし。アルバイトするもよし、家で家事をするのもよし。それもきついなら、こうしてたまに散歩するだけでもいい。あやめちゃんが自分で決めたことなら、何だって応援するよ」
「……」
あやめは何度かうなずくと、やがて小さな声で「分かった……」そう言って、信也の腕にしがみついた。
「あやめちゃん?」
「やっぱりお兄さん、好き……」
嬉しそうに微笑み、信也の腕に頬ずりする。
「あーっ! また浮気してるー」
頭の上から早希の声がした。
振り返ると、缶ジュースを持った早希とさくらが、堤防を降りてきた。
「いや、だからね早希さん。そんな大声で浮気とか言われると、ちょっときついんですけど」
「さくらさん、今日泊めてもらっていいですか」
「早希さーん」
「さくらさんが駄目なら、信也くんの実家に帰らせてもらいます」
「だからそれだけは勘弁って。冗談でも精神すり減るから」
「ふーんだ」
「今早希にどこか行かれたら、俺、生きていけないから」
「きゃっ。もぉ~信也くんったら、しょうがないんだから。寂しがり屋さんね」
いつものやり取りに、さくらが笑った。
その時だった。
「駄目っ!」
あやめが信也の腕をつかみ、声を上げた。
「……え?」
「あ、あやめ?」
強い口調に、信也も早希も、そしてさくらも驚いた。
「や、やだなぁあやめちゃん、冗談だって」
「そうよあやめ、そんなに大きな声出して。お姉ちゃんもびっくりしちゃったじゃない」
「ほらみろ早希、あやめちゃん、怒っちゃったじゃないか」
「えー、私のせいなのー」
「はははっ。ごめんな、あやめちゃん」
そう言って頭を撫でる信也に、あやめははっとした表情をすると、小声で「ごめん……なさい……」そう言った。
「……」
そんなあやめを見て、早希の中に言いようのない不安が沸き上がってきた。
しかしそれが何を意味するのか、早希には分からなかった。
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