第40話 お散歩日和


「おはよう」


 穏やかな目覚め。信也の声が心地よかった。


「……おはよう、信也くん」


 早希が眠そうに目をこすり、信也にキスをした。


「まだ足りなかった? 昨日のキス」


「ううん、これは今日の分」


「なら俺も」


 そう言って、信也がお返しのキスをする。


「頭、撫でてくれてたんだ」


「悪い、起こしちゃったか」


「ううん。もっと撫でて」


「了解」


 早希が目をつむり、信也の温もりに微笑む。


「珍しいね、信也くんの方が先に起きてるなんて」


「そうだな。二度寝しようか迷ったんだけど、早希の寝顔見てたら寝るのが勿体なくなった」


「ふふっ。信也くん、正直でよろしい」


「そろそろ起きる?」


「何時かな」


「9時。結構寝たよ」


「そっかぁ……もうちょっとだけ、このままでいいかな」


「いいよ。こういう贅沢な朝も悪くないから」


「だね」


 そう言って、どちらからとなく抱き合う。


「今日は何する?」


「そうだな。折角だし、どこか出かけるか」


「じゃあ、神崎川」


「それでいいのか? 別にどこだって付き合うよ」


「ひょっとして雨、まだ降ってる?」


「いや、今日は晴れてるよ」


「じゃあやっぱり川がいい。一緒に遊歩道、散歩しよ?」


「早希がいいなら構わないんだけど、ひょっとして俺に気を使ってる? 人込みが苦手だから」


「私も今日はのんびりしたいんだ。お弁当作るから、お昼は外でしようよ」


「分かった。じゃあ起きるか」


「まぁだ。もうちょっと」


「分かった、じゃあもうちょっとだけ」


「えへへへ、甘やかしてくれる信也くん、大好き」





 小一時間ほどして起きた二人は、一緒にシャワーを浴びると弁当の用意を始めた。


「ねえ信也くん、今思ったんだけど」


「何?」


「さくらさんとあやめちゃん、誘わない?」


「いいのか?」


「さくらさん言ってたでしょ。あやめちゃんに、外に出られるようになってほしいって」


「言ってたな」


「遊歩道なら、リハビリにちょうどいいと思うんだ」


「早希がいいなら、俺は構わないよ」


「乗り気じゃない?」


「だって早希、あやめちゃんが俺にくっついたら怒るじゃないか。昨日みたいな修羅場は勘弁だから」


「あはははっ、あんなの冗談だよ冗談」


「いやいや、昨日のあれは本気成分、半分以上入ってたぞ」


「未成年に嫉妬なんてしませんよ。それにあやめちゃんも言ってたじゃない、妹なんだって。私も妹が出来たみたいで嬉しいし」


「じゃあ誘ってみるか」


 そう言って信也が携帯を手にした。




「……え?」

「ん?」




「信也くん、何してるの?」


「何って連絡」


「誰に?」


「あやめちゃん」


「……なんで信也くんが、あやめちゃんの連絡先を知ってるのかな」


「ちょ、ちょっと早希、目が怖いって」


「また怖いって言った! 減点!」


「あ、悪い……」


「それで? いつあやめちゃんの連絡先を?」


「昨日だよ。あやめちゃんが聞いてきたから」


「へぇー。早速JKとアドレス交換ですか。婚約者に隠れてコソコソと」


「いやいや、コソコソしてないよな、これ。今俺、早希の目の前で堂々としてるよな」


「そういうことを言ってるんじゃないの。ほんと信也くんってば、婚約してからモテ期到来、なんてことにならないでよね」


「なんだよその、俺に生涯縁のなさそうなワードは」


「そんなの分からないじゃない。男は家庭を持つと落ち着いて見える、そこに魅力を感じる女は多いって、おばあちゃんが言ってたもん」


「あのなぁ、それは世間一般の男の話だろ。そんなもん俺に該当するかよ」


「そんなことない。信也くんは世界で一番格好いいんだし」


「分かった、分かったからそこまでにしてくれ。朝っぱらから顔が燃えて焼け死にそうになる」


「……だって本当だもん」


 そう言って口をとがらせる早希は可愛かった。

 信也は苦笑し、額にキスをした。


「それにさっき言ったばかりだろ、子供に嫉妬なんてしないって」


「そうなんだけど……」


「俺が好きなのは早希だけだ。俺には早希しか見えてない。心配すんな」


「……」


「どうした?」


「信也くん」


「何?」


「抱き締めてもよかですか」


「なんだそれ」


「今の信也くん、やばかった。惚れ直してしまった」


「しまったってなんだよ……あ、返事来た。さくらさんも来るってさ」


「じゃあお弁当、張り切って作らないとね」


「ああ」





 昨日の雨が嘘の様に、青空が広がっていた。


「お散歩日和だね」


「でも足元悪いからな、気をつけるんだぞ」


「分かってるって。もう信也くんてば、優しいんだから」


「すいません、せっかくの休日なのに誘っていただいて」


「大丈夫ですよ。元々今日は散歩するって決めてましたから」


「でも、お二人の邪魔になっちゃうんじゃないかって」


「姉さん、気にしすぎ」


「……あやめはもうちょっと、気にした方がいいよ」


 そう言って、信也に寄り添うあやめに溜息をつく。


「信也さんは荷物も持ってるんだし、そんなにくっついたら歩きにくいでしょ」


「お兄さん」


 あやめが信也の顔を見上げる。


「……駄目?」


 なんだこの可愛い生き物は。

 そんな言葉が脳裏をよぎったが、早希に感づかれないよう素早く消し去った。


「大丈夫だよ。それより、疲れたらちゃんと言うんだよ」


「うん。大丈夫」


 照れくさそうにあやめがうなずく。


 この遊歩道は数年前に大掛かりな改修工事が行われ、道もきれいに整備されていた。

 穏やかな川に添って歩いていると、自分たちも穏やかな気持ちになってくる。休日ということもあって、家族連れやお年寄り、そしてランニングする人たちで賑わっていた。

 途中川を眺めると、野鳥たちが優雅に水面を泳ぐ姿も見られた。

 8月にしては優しい日差しの中、4人は気持ちのいい時間を過ごしていた。





「じゃあ食べましょうか」


 橋の下。日陰になっている場所にシートを広げ、昼食タイムとなった。


「結構歩いたよな。あやめちゃん、足大丈夫?」


 早希が渡したお茶をゆっくり飲むと、あやめは小さく「うん」とうなずいた。


「お腹すきましたね」


「すいません早希さん、お弁当まで作ってもらって」


「いいんですよ。2人も4人も、大して変わりませんから」


「それであの……私もサンドイッチ、作ってきたんです。よかったら食べてもらえますか?」


「さくらさんの手作り? いただきますいただきます、勿論です」


 早希がさくらのサンドイッチを手に取り、口に頬張る。


「おいしい! さくらさん、お料理上手なんですね」


「そんなこと。私はずっと仕事仕事でしたから、料理の勉強なんて全然してなくて。あやめと住むって決めてから、慌てて勉強してるところなんです」


「それでこんなにおいしいんだったら、さくらさん料理の才能ありますよ。そうだ、今度うちで一緒に作りません?」


「いいんですか、ちょっと楽しみかも」


 早希とさくらの楽しそうな様子に、信也も嬉しそうだった。


「お兄さん、これ」


 あやめが卵焼きを、信也の口に持ってきた。


「あーん」


「え?」


「あーん」


「あ……あーん」


 思わず食べてしまった。


「どう? おいしい?」


「おいしいよ。だって俺の奥さんの手作りなんだから」


 そう言って早希の方を見ると「あ・り・が・と」と笑顔を向けてきた。

 笑ってない目に寒気を覚えたが、今は考えないでおこう、そう思った。


「ははっ……」



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