第37話 再会


 家に戻ったのは、翌日の昼過ぎだった。

 ここしばらく、毎日の様に引っ越し作業に追われ、職場では盆休みに向けての追い込みに明け暮れていた。

 そして引っ越しの翌日に、長時間のドライブ。

 おかげで昨夜は本当によく眠れた。朝食時間になっても起きてこない二人を心配して、旅館の人間が起こしに来たほどだった。

 車に乗り込んだ時、体が随分軽くなっていることを実感した。

 それは早希も同じようで、車の中でもいつもの様に、元気に信也に話しかけていた。





「気持ちいいね」


「ああ。なんかほっとするな」


 新居のベランダで二人、神崎川を眺めていた。

 昼前からあいにくの雨だったが、おかげで静かな休日を過ごせていた。


「信也くん。今日はどうする?」


「今日と言わず、出来ればしばらく、ゆっくりしたいな」


「信也くんお疲れ?」


「正直言うと、ちょっとな。俺は基本、変化の少ない生活を送ってたから」


「ふふっ」


「どうした?」


「ごめん、初めてのデートを思い出しちゃって」


「梅田?」


「うん。あの時も信也くん、空気が薄いとか言って、途中でへばってたし」


「あれは本当にすいませんでした」


「ううん、嫌味じゃなくてね。信也くんのこれまでを考えたら、怒涛の一か月だったんだろうなって思って」


「まあな。でも楽しかったよ」


「本当?」


「ああ。そしてそんな忙しい時があるから、今の穏やかな時間を幸せに感じれる。出来たら今日は、こうして川を眺めていたいな。早希と二人で」


 早希が信也に腕をからませる。


「私も。信也くんとこうしていたい」


「静かだな」


「うん……幸せ……」




 ガラガラガラッ!




 穏やかムードをぶち壊す音が、廊下に鳴り響く。


「おいおい、人がせっかく和んでるのに」


 信也がそう、ため息をついた。


「引っ越しかな。同じ階だよね」


「そうみたいだな。まあ、俺らもこうやって迷惑かけてた訳だし……仕方ないか」


「お隣っぽいね。見に行く?」


「今行っても邪魔なだけだろ。業者が帰ってからでいいんじゃないか」


「ちょっとだけ、ちょっとだけ見て来るね!」


「って、おい……本当、弾丸娘だな」


 早希がスリッパを履き、勢いよく廊下に飛び出す。

 扉を開けた時に業者と出くわした様で、すいません、すいませんと謝る声が聞こえる。


「弾丸娘で……お元気娘だな、ははっ」





 改めて部屋を見回す。

 こんな生活感のある家に自分が住むなんて、考えたこともなかった。

 部屋のコーディネートは早希に全て任せていた。と言うか、頼まれても出来ない。早希は手際よく、来客用の部屋、寝室と決めていき、寝室には信也の部屋にあったモニターを、そしてリビングには大きいサイズのモニターを購入して設置した。

 嬉しかったのは、そのモニター台にお気に入りの石を並べてくれたことだった。それも信也のように無造作にではなく、どことなくストーリーが浮かびそうな、そんな置き方だった。そしてその中には、信也が誕生日にプレゼントした石もあった。


 リビングのソファーに腰かけ、煙草に火をつける。

 煙草は換気扇の下で吸うと言ったのだが、自分の家で遠慮しなくていいよ、赤ちゃんが出来るまでは堂々と吸ってください、そう言われた。

 それでも恐縮して換気扇の下に行こうとすると、「この灰皿はソファー専用のやつです」と持っていかれた。

 煙草の煙、気にならないのかと聞くと、どうも祖母も吸っていたそうで、免疫は出来ているらしかった。


 大容量の冷蔵庫は作業員たちからの結婚祝い。勿論、工場で作ったやつだった。冷蔵庫の横には棚があり、そこに常温の缶コーヒーが置かれている。

 家のどこを見ても、早希の思いが伝わってくる。

 くつろぎ、落ち着ける様にと早希が考えてくれた空間。

 その思いに感謝し、これから早希と一緒にこの生活を守っていこう、そう改めて思うのだった。


 住居は完成した。挨拶も済んだ。墓参りもした。

 次は入籍、そして挙式だ。

 これまで早希に随分働いてもらったので、せめてこのイベントは自分主導で動きたい。

 挙式までは一年を切っている。早めに動いて式場を決めないといけない。職場の人たちにも来てもらいたいし、出来れば近場でしたい。

 休み明けにでも、動き出すか。

 そう思っていた時、早希が戻ってきた。


「信也くん、信也くん信也くん信也くん!」


「落ち着け落ち着け、どうした~、怖くない、怖くないぞ~。はい、早希の大好きな常温コーヒー。まずは一口」


「ありがと……って、にっがぁ~、それに生ぬる~」


「で、どうした? 引っ越し見てきたんじゃないのか」


「そう、それそれっ! ちょっと来て!」


「え? 意味が分からないんだけど、お、おいっ」


「いいから来てって! 来たら分かるから!」


「分かった、分かったからちょっと待ってくれ。とりあえず煙草消させてくれ」


 ここまで動揺してる早希は珍しい。記念に写真でも撮っておこうか、そんな思いを巡らせながら靴を履くと、一緒に廊下に出た。


「いいからこっち、早く早く!」


 早希はそのまま隣の部屋へ信也を引っ張る。


「え? え? おい早希、お前、何勝手に」


「いいから!」


 早希は扉に手をかけると、止める信也の声も聞かずに開けた。


「おい、おいって早希……す、すいませんあの……隣の者です、いきなりすいません」


 奥へ進む早希。一体何だと思いながら早希に続く。


「あの……すいません、失礼します……」


 リビングの扉を開け、信也が恐縮しながら中に入る。


「……信也さん?」


「……え?」


 自分の名を呼ぶ女性の声。その聞き覚えのある声に、信也がゆっくりと顔を上げた。


「えええええええっ!」


 そこにはあの、摂津峡で出会った林田姉妹の姉、さくらが立っていた。


「さ、さくら……さん?」


「お隣って……信也さんと早希さん?」


「いや、俺たちも引っ越ししてきたばかりで……て言うか、さくらさんがお隣さん?」


「は、はい……あのその、よろしくお願いします」


「マジか……」


「ね、ね、びっくりしたでしょ」


「この箪笥はどちらへ?」


「あ、はーい。すいません、ちょっと失礼しますね。箪笥はこっちの部屋です」


 さくらが作業員たちの元へと走っていく。


「て言うか、早希も知らなかったのか? 確か連絡取り合ってたよな」


「市内に決めたって話は聞いてたんだけど、まさか同じマンションで、しかも隣同士だなんて、私もさくらさんも思ってなかったよ。落ち着いたらお互いの家に行こうって話してたんだけど」


「でもまあ、よかったじゃないか。お隣が友達なんて、早希も嬉しいだろ」


 その時、隣の部屋の扉が音もなく開いた。


「だよね。これから毎日、さくらさんと会え……」


 中から現れた人影が、ゆっくりと信也に歩み寄る。


「そう言えばあやめちゃん、一緒に住むって言ってなかったか? そのための引っ越しだって」




「お兄さん……」




 聞き覚えのある声と同時に、信也を背後から何者かが抱き締めてきた。

 信也が慌てて振り返る。


「え……」


 そこにいたのは引きこもり少女、林田あやめだった。


「あ、あやめ……ちゃん?」


「そう、あやめ……お兄さん、また会えた……」


 背中に頬ずりし、信也の匂いを満喫すると、あやめが恥ずかしそうに笑った。


「お兄さん、好き……」


「え……」


「……ええええええっ!」


 早希の声が部屋に響き渡った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る