第32話 女たちの祝福


「ただいま」


 インターホン越しに話しかける信也を見て、早希が吹き出した。


「信也くん、声震えてるよ。実家なのに緊張しすぎ」


「べ、別に。緊張なんかしてないし」


「そんな固まった顔で言っても説得力ないよ。電車に乗ってる時も、ずっと唇なめてたし」


「早希だって俺のこと言えないだろ。手土産忘れたからって、なんでよりによってそこのケーキ屋で買ってんだよ」


「こ、これはほら、急に決まったから準備出来なくて」


「にしても、近所で買うか普通」


「ううっ……ごめんなさい」


「それになんでスーツなんだよ」


「これは……仕方ないじゃない、お母様に初めて会うんだから。第一印象は大事でしょ」


「そんな格好、姉ちゃんに見られたら一発でアウトだぞ」


「おかえり信也」


 インターホンからの返事なしで、母の幸子が玄関を開けて出てきた。


「ぬおっ! なんだよ母ちゃん、いきなり開けて」


「何言ってるんだい。あんたが彼女を連れてきたんだ、出迎えるのは当たり前でしょ」


「母ちゃんもしかして、テンパってるんか」


 幸子が信也の頭を張る。


「殴るよアホ息子」


「母ちゃん、殴ってから言うのは反則だといつも」


「ふふっ」


 二人のやり取りを見て、早希が思わず笑った。


「ほれ見なさい。あんたがアホだから、彼女に笑われてるじゃない」


「俺のせいか? なあそれ、俺のせいなのか?」


「あーはいはい分かったから。初めまして、私はこのアホの母、幸子です。今日は来てくれてありがとうね」


「おい、しれっとアホを定着させるな」


「初めまして、三島早希と申します。今日は突然おじゃましてすいません。あのこれ、みなさんで召し上がってください」


「まー気が利くいい娘だこと。私、ここのケーキ大好きなのよ。後で一緒に食べましょ」


「二人とも無視かぁー」


「うるさいわね、横からごちゃごちゃと。ほら早希ちゃん、中に入って」


「早希ちゃん……」


「え? ああ、ごめんなさい。私ったらいきなり名前で」


「いえ、嬉しいです。ぜひそう呼んでください、お母様」


「お母様!」


 声と同時に、幸子が信也の背中を叩く。


「いってえーっ! なんだよ母ちゃん」


「聞いたかい信也、私のこと、お母様って!」


「何喜んでんだよ」


「いい娘じゃないの。信也あんた、でかしたよ」


「……よく分からんが、どうも」


「でも早希ちゃん、そんなにかしこまらなくていいのよ」


「分かりました、お母さん」


「ほんといい娘ね。べっぴんさんだし、信也なんかに勿体ないよ」


「母ちゃん、中に入らなくていいのか」


「そうだったそうだった。さあさあ、早希ちゃんあがって」


「はい、おじゃまします」





 中に入ると、待ち構えていた勇太がダッシュで信也に抱きついてきた。


「にーに、おかえり」


「ただいま勇太。今日も元気だな」


「おかえり信也」


 幸子と早希の挨拶の邪魔をしないよう、勇太を押さえつけていた知美が後からやってきた。


「ただいま姉ちゃん」


「知美さん、こんばんは。おじゃまします」


「早希っちもよく来たね。さ、入って入って。

 しかしあれだな、早希っちがこんなに早くうちに来るとはね。流石の私も思ってなかったよ、にゃははははっ……ん?」


 知美が動きを止め、早希の姿をまじまじと見つめた。


「……知美さん? どうかしました?」


「駄目だ」


「え」


「駄目だ駄目だ駄目だ! なんだよその格好。ここは面接会場じゃないんだよ」


「あ、でも、初めてのご挨拶ですし、あまりラフな格好は」


「程度って物があるでしょ、程度ってのが。そんなんじゃ落ち着いて酒も飲めないじゃない。ったく……信也、ちょっと借りるよ。さあ早希っち、こっち来て」


「え? え? 信也くん?」


「……まああれだ、この家で姉ちゃんを止められる人間はいないから。諦めてくれ」


「そんなぁ、せめて最初のご挨拶だけでも」


「それは今やったじゃない。いいからこっち」


 知美が強引に早希を部屋に連れて行く。勇太も面白がって、「早く早く」と早希を押して部屋に入っていった。


「え? え? なんですかこれ? ちょっと待って、待ってって知美さん」


「いいから、さっさとその服脱いで。おい勇太、早希っちの足押さえとけ」


「分かったー」


「いやあああああっ」





 信也はリビングに入り、換気扇の下で煙草を吸っていた。

 幸子は鼻歌を歌いながら、テーブルに料理を並べていく。


「ご馳走だな。張り切りすぎだろ」


 テーブルの真ん中には寿司桶に入ったちらし寿司、その横には稲荷寿司。大皿に盛られた唐揚げに、山盛りのサラダもあった。


「あんたが彼女連れて来たんだ。今本気出さないでいつ出すのよ」


「いやいや、母ちゃん何と戦ってるんだよ」


 そうこう言ってる内に、知美がリビングに入ってきた。


「おまたせー」


「悪そうな顔してるな、姉ちゃん」


「ふっふっふのふー。お待たせしました、本日の主役の登場です。皆様盛大な拍手でお迎えください。それでは早希っち、どうぞ!」


 知美がそう言うと、廊下から早希のか細い声が聞こえてきた。


「……知美さん、これ、やっぱりおかしいですよ……ちょ、ちょっと勇太くん、押さないで」


 うつむきながら姿を現した早希。

 その姿に、信也は煙草を落としそうになった。


「ううっ……信也くん、あんまり見ないで」


「あらあら、可愛いじゃない」


「お母さんまで……恨みますよ知美さん、こんな格好でお母さんの前に」


「……これ、パンダだよな、姉ちゃん」


「そう、パンダ」


「なるほどパンダか……っておい! どこの誰がこんな日に、パンダの着ぐるみで飯食うんだよ。ご丁寧にフードまでかぶって」


「可愛いだろ、あんなお堅い服より」


「確かに可愛いとは思うけど……いやいや違うだろ」


「信也あんた、あっちの方が趣味なのか? ひょっとして上級者?」


「いや、これはこれでありなんだけど……って、何言わせんだよ!」


「と言う訳で、次は信也の番ね」


「え」


「そりゃそうでしょ、当たり前のこと聞いてんじゃないわよ。さ、あんたもこっち来な」


「マジか……」


「知美さん、私も手伝います」


「じゃあ早希っち、こいつを部屋に放りこんで」


「はい!」


「待て待て待て待て、早希お前、裏切る気か」


「何言ってるの、先に裏切ったのは信也くんでしょ。信也くんにも辱め、受けてもらいますから」


「えええええっ?」





 犬の幸子、猫の知美、パンダの早希。

 ドラゴンの勇太、そして馬の信也。

 着ぐるみ姿の5人が、テーブルを囲んでいた。


「あー母ちゃん、昨日も電話で言ったけど、この子が俺の彼女、早希です」


「信也、語尾が抜けてるにゃん」


「あ、あのなぁ姉ちゃん……こんな格好ってだけでもあれなのに、語尾って」


「にゃにかな? 聞こえないにゃん」


「……って言うか、おかしいだろこれ! どこの秘密結社の集会だよ!」


「語尾、語尾にゃんよ」


「ヒ、ヒヒーン」


「よろしいにゃん」


「早希ちゃん、改めてよろしくわん。こんなアホの彼女になってくれてありがとわんね。色々苦労かけるけど、どうかよろしくお願いしますわん」


「そんなお母さん、こちらこそよろしく……って知美さん、パンダって何て鳴くんですか」


「確かに……考えてなかったにゃん。じゃあパンタってつけようにゃん」


「よろしくお願いパンダ、でいいですか?」


「無茶苦茶だ……」


「勇太はドラゴンだから、かっこよくガオーだな」


「ガオー!」


「で、母ちゃん、姉ちゃん。俺、早希に結婚を申し込んで、オッケーしてもらえたんだ。だから今日は、そのことを報告しようと思って……ヒヒーン」


「すごいわん、彼女を連れてきただけでもびっくりわんに、婚約までしたわん」


「にゃはははっ、めでたいにゃん」


「……だからこれ、結構すごいイベントなんだぞ……俺も早希も緊張して、二人にちゃんと報告をって考えてたのに……なんだよこの新興宗教は! ヒヒーン!」


「にゃははははっ。だってあんたら、借りてきた猫みたいになってるしさ、そんなんじゃ肩凝って仕方ないだろ。いいんだよ、これで」


「それでその……お母さん、知美さん。お許し頂けますでしょうか」


「母ちゃん腹へった」


「僕もー」


「おい姉ちゃん、早希の話を」


「んなもん食べながらでいいんだよ。さあ早希っちも、食べた食べた」


「あ、はい、いただきます……じゃなくて」


「母ちゃんのちらし寿司はうまいよ。気にいったら作り方、教えてもらうといいよ」


「あくまでこのまま続けるつもりなんですね……はぁ、分かりました」


 そう言って早希が苦笑した。

 幸子が小皿にちらし寿司をよそい、早希に渡す。

 早希は一口食べると、満面の笑みを浮かべた。


「ほんと、おいしいです!」


 早希の笑顔に幸子も知美も、そして信也も微笑みうなずくのだった。





 夕食後。

 帰ろうとした信也をげんこつ一発で知美が黙らせた。

 小一時間ほど酒を飲んで盛り上がり、信也は自分の部屋へと向かった。

 早希にどうするか尋ねると、知美が「今日は姉ちゃんたちと一緒に寝るから、あんたはさっさと寝な。寝坊したら張っ倒すからね」と締め出されたのだった。


「知美さん、今日はありがとうございました」


「こっちこそありがとね。あいつのあんな無防備な顔、久しぶりに見れたよ」


「そうなんですか?」


「信也、高校に入ったぐらいから、いつも何かに怯えてるって言うか、構えてたからね」


 幸子もそう言ってうなずく。

 六畳間に無理やり三人分の布団を並べ、豆電球の灯の中で囁きあう。

 時折寝返りをうつ勇太の頭を撫でながら、知美も嬉しそうに微笑んだ。


「お母さん、それから知美さん。本当にありがとうございます。私、こんなに幸せな夜、初めてです」


「ご両親、早くに亡くされたんだよね」


「はい。ですからこんな団欒、覚えてなくて」


「いいじゃない、今日から母ちゃんが早希っちの母さんで」


「そんな」


「嫌かい、早希ちゃん」


「いえ、嫌とかじゃなくて……来たばかりの私がそんな」


「早希ちゃんは、信也の嫁になってくれるんでしょ?」


「は、はい。お許しいただけるのでしたら」


「だったら早希ちゃんはもう、私の娘だよ。早希ちゃんだってもう、お母さんって呼んでくれてるじゃない」


 そう言って、幸子が早希を抱き締めた。


「ありがとうございます……お母さん……」


 早希は幸子の胸に顔をうずめ、声を震わせた。


「お母さん、お母さん……」


「早希っち、お姉ちゃんも忘れないように」


「はい……ありがとうございます、お母さん……お姉ちゃん……」


 知美が背中から早希を抱き締める。

 三人が、布団の中で身を寄せ合う。

 こうして紀崎家の夜は、更けていったのだった。



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