第29話 プロポーズ


 次の休日。二人は新居巡りに出かけた。

 どんな物件がご希望ですかと聞かれ、早希は迷うことなく、


「神崎川が見えるところ」


 そう言った。

 築年数や広さ、利便性は二の次のようだった。

 信也の方は特にこだわりもないので、早希にまかせることにした。

 それに早希の嬉しそうな顔を見ていると、早希が満足すればそれでいい、そう思っていた。


 目ぼしい物件があったので営業マン、倉田の運転する車で現地に向かった。

 道中その倉田が、今から行くマンションは築30年ほどの10階建てマンションですが、最近外壁を修繕したので結構新しく見えますと話してくれた。





 隣接して公園があり、砂場で遊ぶ子供を母親たちが見守り、談笑している。

 環境もよさそうだった。

 通されたのは8階、2DKの部屋だった。


「ここ、いいかも」


 早希がベランダから神崎川を見下ろし、そうつぶやいた。


「ここって家賃、いくらですか?」


「8万です。あと、管理費が3万弱ですね」


「合計11万か……」


 現在俺の家賃が1万5千円、早希が9万円。

 今より5千円のアップ、そう考えると大して変わりはない。しかし家賃として年間130万を支払うと考えると、少しもったいない気がする。

 早希との新生活。そう思うと、もっと別の所に金をかけて、早希に喜んでもらいたい、そう思った。


「早希、別の所も見てみないか」


「私、ここが気にいった」


「そうなのか」


「うん。特にベランダからの眺めが最高。ここにしない? 私、ここで信也くんと住みたい」


 信也の手を握り、早希が訴える。

 小動物のようなその目は反則だ。


「この部屋はリフォームも済んでおりますし、快適に過ごせると思いますよ」


 倉田が早希に援護射撃する。

 早希がこんなに喜んでるなら、ここにするか。そう思ったが、その時別の選択が浮かんだ。


「倉田さん、ちょっと」


 倉田を連れ、早希から少し遠ざかる。


「……?」


 早希が首をかしげる。信也は何やら倉田に耳打ちしていた。

 そしてしばらくすると、倉田の表情が一気に変わった。


「でしたら、丁度いい物件があります。5階になりますが、ご覧になりますか」


「お願いします」


 倉田が別の鍵を取り出し、玄関へと向かう。


「信也くん、どうかしたの?」


「もう一部屋見せてもらおうと思って。とにかく行ってみよう」


 そう言って早希の手を取った。





「こちらになります」


 部屋に入ると、今しがた見た部屋とはかなり雰囲気が違っていた。


「こちらはリフォームしてませんので、先程の物件と比べると少し見劣りしますが、間取り3LDKにしてはかなりいい条件だと思います」


「確かに……生活感がまだ残ってるって感じだ。でも倉田さんの言う通り、さっきより広くていいな」


 早希がベランダに立つと、さっきより目線が低くなっていた。しかしその分、川を近くに感じる。


「いいかも。うん、ここもいい」


「じゃあここにする? 色々手直しは必要だけど」


「それは大丈夫だけど、でもどうして? 信也くん、広い方がよかった?」


「まあ、それもあるんだけど……すいません倉田さん、ちょっとだけいいですか?」


 早希と話したいと伝えると倉田はうなずき、少し離れた場所に移動した。


「早希。こんな所でする話じゃないんだけど、聞いてほしい」


「どうしたの信也くん。真面目な顔して」


「さっきの家、家賃が11万だった」


「そうなんだ。でも私の家を考えたら安いよね」


「うん。二人の給料を合わせたら、決して無理な金額じゃない」


「だよね」


「でもな、年に100万以上の金を払うって考えたら、結構でかく思ったんだ。10年で1000万。それだけの金を払っても、後に何も残らない」


「まあ、そう考えたら大きいけど」


「それでなんだけど……早希。早希はこれからもずっと、俺と一緒だって言ったよな。もう一度聞かせてほしい」


「え? ここで?」


 奥にいる倉田も、思わず「えっ」と声を漏らした。

 聞いてんじゃねーよ。そう思いながら信也が続ける。


「俺は早希と、出来ればその……結婚したいって思ってる」


「え……」


「こんなタイミングでする話じゃないのは分かってる。でも俺、覚悟もなしに告白なんかしてない」


 倉田が生唾を飲み込む。

 だから聞いてんじゃねーよ!


「……信也くん」


「ひいた?」


「ううん、ひかない。だって私も同じだから。確かにちょっとびっくりしたけど、私言ったよね。ずっとずっと、信也くんと一緒にいるって」


「じゃあ俺と、結婚してくれる?」


「……はい。私を信也くんの、お嫁さんにしてください」


 信也が早希を抱き締める。


「素晴らしい、素晴らしいです紀崎さん! おめでとうございます!」


「だからあんた、聞き耳立ててんじゃねーよ」


 たまらず信也が、声に出して突っ込んだ。


「でもまあ、こういうのも悪くないか。倉田さん、おたくが証人な」


「光栄です! おめでとうございます!」


 早希は両手を頬に当て、真っ赤な顔で倉田に頭を下げた。


「早希、プロポーズ、受けてくれてありがとう」


「私こそ……ありがとう、信也くん」





「それで早希、なんで今、こんな所でプロポーズしたのかって言うとな」


「そうだったそうだった。信也くん、どうして急に?」


「この家、買おうって思ってる」


「えっ?」


「さっきの部屋は賃貸だけど、ここは分譲なんだ。中古物件だし、なんとかなる」


「なんとかって……いいの?」


「さっき話したろ。10年で1000万の家賃払うなら、買った方が全然いい」


「それはそうだけど、大丈夫なの?」


「ああ。ここなら一括で払える」


「ええっ! 信也くん、そんなに貯金あったの?」


「大学の時からバイトしてたし、それに俺、あんまり使わないから。分かるだろ?」


「確かに……そっか、使わないから全部貯めてたんだ」


「そういうこと。おかげでこの家が買える」


 早希が信也を強く抱き締める。


「ありがとう……私も頑張って、お金出すからね」


「気にしなくていいよ。この前のお返しのお返し。それにここの分を払っても、結婚式の費用ぐらいは残るから」


「じゃあ私、家具とか買うね」


「いいのか? 無理しなくていいんだぞ」


「ううん、お返しのお返しのお返し。信也くんほどじゃないけど、私も貯金あるから」


「分かった。じゃあこの家に決めるか」


「うん!」


「と言うことなので倉田さん、手続きお願いします」


「分かりました! ご成約、ありがとうございます!」


「なんなら倉田さん、俺らの結婚式、出てくれません? 証人として」


「私ですか? よろしいのでしょうか」


「倉田さんさえよければ。俺も友達いないから助かります」


「はい、是非出席させていただきます」


「ありがとう。落ち着いたら一度、遊びに来てください。よければ奥さんと子供さんも一緒に」


「ありがとうございます。こんな気持ちのいい仕事、久しぶりにさせていただきました」


「こちらこそ。見届け人になってくれて、ありがとうございます」



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