第2章 恋の行方

第28話 夜明けのコーヒー


 布団の中。腕を絡ませている早希に微笑む。

 こんな穏やかな目覚め、いつぶりだろう。そう思いながら。


「おはよう信也くん。今日も大好きだよ」


 どちらからともなく、口づけを交わす。


「起きてたのか?」


「うん」


「起こしてくれたらよかったのに」


「ううん。信也くんの寝顔、見てたかったから」


「そんなもん見ても、面白くなかったろ」


「そんなことないよ。無防備な信也くんの寝顔、かわいいから。何時間でも見てられる」


「……コメントしづらい感想ありがとう」


「寝ぐせも可愛いし」


「それは早希もだな」


 そう言って髪を撫でると、早希は幸せそうに目をつむり、微笑んだ。


「それにね、今日はいつもと違ったから」


「何が?」


「だって、この人が私の彼氏なんだ、そう思ったらなんかもう、恥ずかしくて嬉しくて……って、何言わせるのよ」


「いやいや、そっちが言ってきたんだし」


「こうやって、ぎゅーって出来るのも嬉しいの。今までは信也くんが困るから、我慢してたんだけど」


「今までの分、取り返せた?」


「まだ」


 そう言うと早希は信也に抱きついた。

 その時ようやく、信也が違和感に気付いた。


「あのぉ……早希さん? 今気付いたんですけど、ひょっとして裸?」


「何言ってるのよ。信也くんもでしょ」


「……そうだった」


 早希の温もりに、信也の理性が大きく揺さぶられる。


「さ、早希さん? その……ちょっと刺激が強いんですが」


「何を今更。昨日と同じでしょ」


「そうなんだけど……ほら、外が明るいと冷静になってくるって言うか」


「信也くんひどい……昨日あんなに求めてくれたのに、朝になったらうっとおしい、離れろって」


「いやいやいやいや、そんなこと言ってない言ってない」


 信也の反応に早希が笑う。


「私たちのこれ、夜明けのチュンチュンだよね」


「え? あ、ああ、スズメの鳴き声か」


「こうして経験してみると、何かくすぐったいね」


 早希はもう一度唇を重ねると、満足そうに信也の胸に顔をうずめた。


「体、大丈夫?」


「うん。信也くん、すごく気を使ってくれてたから。優しかったし」


「そっか、よかった」


「……ねえ、信也くん」


「ん?」


「もうちょっと、このままでいよ?」


「早希がそうしたいなら」


「信也くんはそうじゃないの?」


「俺もこのままがいい」


「素直でよろしい」


「どうでもいいけど俺、既に主導権握られてない? てか、最初からか」


「嫌?」


「嫌じゃない。なんて言うのかな、すごく楽になった。早希とこうなって」


「ならよかった。確かに信也くん、すっきりした顔してる」


「そうか?」


「うん。なんか嬉しい」


 そう言って信也の胸に頬ずりをする。


「起きたら夜明けのコーヒー、入れてあげるね」


「多分昼、回りそうだな」


「それは信也くん次第」


 そう言って二人、何度も唇を重ね合った。





「おめでとうございますっす、副長!」


 次の日。朝礼の後に早希と付き合うことになったと報告すると、篠崎は我がことのように喜んだ。


「いやー、嬉しいっす! ついに副長も陥落っすか」


「変な言い方すんなよ」


「でもほんと、よかったっす。俺、ほんとに嬉しいっす」


 篠崎の反応に、信也は照れくさそうに笑った。


「でもみんなには内緒にしといてくれよ。一応職場だし」


「そうっすか? 全然いいと思うんすけど。副長はそう言った話がなさすぎで、みんな心配してたんすから。喜んでくれるんじゃないっすか?」


「俺ってどんな評価だったんだよ、ここで」


「紀崎」


 作業長の吉川が、早希と共にやってきた。


「作業長、何かありましたか」


「あったぞ、とんでもないやつ」


「……まさかそれって、俺の遅刻の件ですか」


「最近は頑張って来てるだろ。まあそれが当たり前なんだが……そうじゃなくて紀崎、お前三島と付き合いだしたそうじゃないか」


「ええっ! なんでそれを!」


「そんなに驚かれても困るんだが……今、三島から報告を受けたんだ」


「早希から?」


 信也が見ると、早希は嬉しそうに指でVサインをした。


「マジですか……」


「おいおい、なんでそこで落ち込むんだ。よかったじゃないか。三島はよく出来た子なんだし、しっかり面倒、見てもらえよ」


「は、はあ……」


「まああれだ、お前は男なんだ。三島と付き合って仕事がおろそかに、なんてことのないようにしろよ。三島の評価を落とさない為にも、しっかり頑張るんだぞ」


「その感覚、すっごい昭和ですよね」


「そんなことないだろ。男は女が出来てなお働く。なあ篠崎、お前もそう思うだろ」


「思うっす!」


「だろ? まあとにかく頑張れよ」


 そう言って信也の肩を叩くと、吉川は笑いながら去っていった。


「あの……三島さん?」


「はい副長、どうかされましたか」


「じゃなくて、早希……お前またか! またなのか!」


「どうしたんすか副長。顔、怖いっすよ」


「篠崎さん。そういうことですので、これからもよろしくお願いします。それからその、この前はごめんなさい」


「なんで三島さんが謝るんすか。俺、これからも三島さんのこと、応援するっすよ」


「ありがとうございます」


「副長。三島さんのこと、お願いするっす!」


「あ、ああ、頑張るよ。絶対守るし、泣かせないよ」


「約束っすよ」


 そう言うと篠崎は一礼し、その場から離れていった。





「早希……」


「なんすか、信也くん」


「なんすか、ってお前……何とぼけてるんだよ! あのなぁ早希、何勝手に報告してんだよ」


「するでしょ普通。だって同じ職場で働いてるんだし。それに知ってもらってた方が、これから何かと便利じゃない。一緒に有休取ったりとか」


「結婚なら勿論報告だけど、別に俺ら、芸能人じゃないんだから。付き合ってるぐらいで報告なんて、する必要ないんだよ」


「そう? いいじゃない、みんなに喜んでもらったら」


「これから大変だ……ここぞとばかりにからかわれる」


「いいじゃない、幸せのお裾分けだと思ったら。それと信也くん、今日からお昼、買ってこなくていいからね」


「なんで」


「お弁当、作ってきたから」


「えええええっ!」


「今日は報告も兼ねてってことで、かなり気合を入れて作りました。みんなにも食べてもらおうね」


 信也の顔がみるみる赤くなった。





 信也と早希が付き合いだしたというニュースは、あっと言う間に職場中を駆け巡った。

 あのマイペース男に彼女が出来た。相手は職員たちの間でも人気があった三島早希。

 と言うことで、これからしばらく信也は、職場で好奇の目で見られることとなった。


「で、なんだけど……ひょっとしてこれから毎日、うちに来るつもりなんでしょうか」


 当たり前のように一緒に夕食を食べている早希に向かい、信也が困惑気味に聞いた。


「うん」


「うん、じゃなくて……って、ああ、もういいよ。なんかそんな気はしてたんだ」


「信也くんも同じこと考えてくれてたんだ。嬉しいな」


「それで早希。今までも早希の行動には驚かされてきたんだけど、出来ればその……これからどうしたいか、前もって言っておいてくれないかな。その方が俺も、心の準備が出来るから」


「信也くん、分かっててそんなこと言うんだ。意地悪だね」


「あ、いや……そうなんだけど、一応知っておきたいって言うか、それによっちゃ俺も色々考えたいし」


「なになに? 何を考えてくれるの」


「まずは早希から。今からどうするつもりなんだ? てか、早希はどうしたい?」


「信也くんに言って欲しいな」


「俺からか……まあでもそうだよな。こういうことは男からだ、言うよ。早希、一緒に住まないか」


 信也の投げた直球は、早希の心臓を貫いた。


「信也くん」


「何?」


「抱き締めてもよかですか」


「早希も一緒?」


「勿論!」


「その方が節約になるしな」


「えー、お金のことでー?」


「それだけじゃないけど。今後のことを考えてもな」


「え! 今後のことって何!」


「あ、いや……で、どうだ? 今度の休みにでも家、探しに行かないか?」


「信也くん、引っ越すつもりなの?」


「さすがにこのボロ屋じゃ駄目だろ。それにここ、一人暮らしの契約だし」


「そうなんだ」


「それでどこに住みたいか、早希の意見も聞いておきたいんだけど」


「私、出来ればこの近くがいいな」


「そうなのか? 早希、枚方の方も気にいってただろ。別にそっちでもいいんだぞ」


「枚方もいい街だし、住んでて便利なんだけど。私、ここから見える景色が好きなんだ」


「景色って、神崎川か?」


「うん。私ね、この川が好きなの。信也くんとこれからも、この景色を見ていたい。初めてここに来た時から、そう思ってたんだ」


「分かった。じゃあ次の休み、近所の不動産屋を周ろう」


「信也くん、やっぱり私のこと、ちゃんと見てくれてるのね。私が望んでること、叶えようとしてくれる」


「たまたまだけどな」


「そんなことないよ。私からお願いしようって思ってたのに、今日全部決まっちゃった。すっごく嬉しい」


「なら休みまで、仕事頑張ろう」


「おーっ! がんばろー!」



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