第27話 約束


「元気だったか」


「うん……」


 信也と秋葉。実家のリビングで二人、居心地悪そうに座っていた。

 知美が幸子と勇太を外食に連れて行ったおかげで、家が妙に広く、静かに感じた。


「すまん秋葉。煙草吸うな」


「まだ煙草、吸ってるんだ」


「煙草ぐらいいいだろ。昔から吸ってるんだし」


「不良」


「今は成人だ」


 換気扇を回し、煙草に火をつける。


「知美ちゃんもやめられないみたいだね」


「流石に勇太の前では吸わないけどな」


「もぉっ、どうしてみんな、私の言うこと聞いてくれないかな」


「あ、秋葉さん、落ち着いて」


「みんなもっと、健康には気をつけてよね」


「は……はい……」


 きまりが悪くなった信也が、早々に煙草を消してコーヒーを飲んだ。

 だが今のやり取りが、二人の間に懐かしい空気を思い出させた。

 何年振りかに、二人が顔を見合わせて笑う。


「仕事はやっぱ、忙しいのか」


「うん。また一人、辞めちゃったし」


「老人ホームって、大変そうだよな。グループホームだっけ」


「うん、そう。毎日楽しいよ」


「俺には出来ないな」


「信也ならきっと、いい仕事すると思うよ」


「そうか? 絶対無理だと思うけど」


「そんなことないよ。信也なら大丈夫」


「でもいつか……その人たちとの別れが来るんだろ」


「確かにそうだね。今年に入ってからも、3人見送ったよ」


「だろ? それが分かってて普通に接するなんて、俺には出来ない」


「私が映画とか小説、ハッピーエンドが好きだってこと、覚えてる?」


「そんなことも言ってたな。それがどうかしたか」


「どれだけ辛くても、哀しい物語でも。ラストがよかったら幸せな気持ちになれるの。逆にバッドエンドは、どれだけ評価の高い物でも駄目。いくら途中がよくても、思い出したくなくなる」


「言いたいことは分かるよ」


「人生も同じだって思った。この仕事をしてて」


「……」


「色んな人がいるんだ。仕事じゃなかったら話も出来ないようなお金持ちの人とか、戦争で旦那さんを亡くして、それから一人で子供を育てた人とか。いつも泣いてる人もいる。子供に捨てられたって。

 若い時にいくら幸せでも、どれだけお金があっても。最後に泣いたり苦しんだり、寂しく死んでいくのって、その人にとっては哀しい人生なんだと思う。私はそんな人たちに、長生きしてよかった、そう言ってもらえるような仕事が出来たらって思ってる」


「なるほどな。辛い人生でも、最後に笑えれば幸せなのかもしれないな」


「でしょ? 私はそのお手伝いがしたい。だからすごく、やりがいがあるの」


「別れの時、辛くないか」


「辛いよ。当たり前。職場では泣かないけど、家に帰ってからずっと泣いてる時もある」


「やっぱ俺には出来ないな。秋葉はすごいよ」


「出来るよ。信也、優しいから」


「俺のは優しさなんかじゃない。八方美人で優柔不断、人に嫌われたくないだけの偽善者だ」


「そう自分で言えるところだよ、信也のいいところは」


「よく分からんが……でも、ありがとう」


 秋葉と言葉を紡ぐのは楽しかった。まるで学生時代に戻ったかのような錯覚を覚えた。

 その時間があまりに心地よくて。危うくそのまま話を続け、本題を忘れてしまうところだった。


「でな、秋葉。今日はお前に伝えたいことがあるんだ」


「うん……」


「俺な、多分好きな人がいてる」


「ふふっ、多分って、何よそれ」


「ええっ? いきなり笑いからか」


「だっておかしいよ。まるで他人事みたい」


「正直、俺にもよく分かってないんだ。本当のところ、どうなのか」


「どういうこと?」


「今まで恋愛に興味なかったから。一生、誰も好きにならないって思ってたから」


「そうなんだ」


「だから正直、戸惑ってる。いきなり好きだって言われて、いくら断っても諦めてくれない。

 そんなやり取りが続いていく内に、自分でも分からなくなってきたんだ」


「信也は昔から、押しに弱いから」


「その子にも同じこと、言われたよ」


「それで信也は、その人とどうしたいの?」


「どうしたいって」


「一緒にいて心地いい? 楽しい? もっと一緒にいたいって思う?」


「待て待て待て待て、畳み掛けるな」


「でも、私に相談するってことは、答えが出るかもって思ったからでしょ?」


「それはそうなんだけど」


「でもどうして、私に聞くのかな」


「それは……お前といた頃の気持ちに似てるから」


「……」


 その言葉に秋葉が息を飲んだ。

 しかしすぐに息を吐くと、先ほどと同じ調子で話し出した。


「私ね、人生って選択の連続だと思ってる」


「……」


「信也はその選択を間違えないよう、慎重に慎重に選んできた。失敗するのが怖いから。

 でもそれがいつの間にか、選ばなければ成功もしないけど、失敗もしない、そんな変な生き方になっていったんだと思う」


「選ばない生き方か」


「でもそれって、不幸になりたくないから幸せを放棄する、そう言ってるのと同じ。それって、生きてることにはならないよ」


「手厳しい」


「信也。感情を優先させた方がいい時もあるんだよ。そしてそれで失敗するのも、人生だと思う」


「難しいな」


「じゃあ、はっきり言うね。信也は臆病だよ」


 その言葉が、信也の胸に深く突き刺さる。


「……ごめんなさい。私が言っていいことじゃないのに」


 秋葉はうつむき、小さく肩を震わせた。

 今の言葉、きっと後悔したはずだ。でも秋葉は俺の為、あえて言ってくれた。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「俺の方こそごめん。でもありがとう」


「え?」


「今の秋葉の言葉、響いたよ。立ち止まってた俺の背中、秋葉に思い切り叩かれた気がする」


「私、叩いたの?」


「秋葉は好きなやつ、まだ出来ないのか」


「私? そんなの、全然ないよ」


「そうなのか? 秋葉がその気になればいい男、すぐにでも出来そうなのに」


「今は仕事が楽しいし。それに知美ちゃんもいるから」


「姉ちゃんに引っ張り回されるのも大概にしとけよ。そのままこの家に住むはめになってしまうぞ」


「それもいいかも」


「ははっ」


 信也の笑顔に、秋葉も嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、秋葉。ちょっとだけど、吹っ切れた気がするよ」


「ううん、私こそありがとう。それからごめんね、酷いこと言って」


「だからそれも含めて、ありがとうだよ」





「終わったのか?」


 玄関を出ると、煙草をくわえた知美が腕を組んで立っていた。


「ああ。ありがとな、姉ちゃん」


「秋葉は?」


「姉ちゃんの部屋にいるよ。これから女子会だって」


「今日は飲み会だな」


「あんまり飲ませるなよ」


「信也知らないだろ。あいつ、私より強いんだぞ」


「そうなのか」


「でもそうだな……今夜はちょっと、気をつけて見とくか」


「見るって何を?」


「いいんだよ、気にしなくても。それよりほら、用が済んだなら帰った帰った。それから母ちゃんと勇太、いつものところにいるから。帰りに寄って声かけといて。もう戻っていいって」


「いつもの飯屋か。気を使ってくれてありがとな」


「礼は言葉じゃなく行動で。今度埋め合わせしなよ」


「分かったよ。じゃあまた」


「おう、またな」


 そう言って知美が、信也の背中を思い切り叩いた。





「みんなに気を使わせて、みんなに守ってもらって。今の俺がいる」


 信也が笑顔で早希を見つめる。


「そして今、目の前に早希がいる。俺が忘れていたものを思い出させてくれて、立ち止まってた俺の手を引いて。前に進ませようとしてくれる。早希……こんな俺だけど、彼女になってくれますか」


 その言葉に、早希が静かにうなずく。


「信也くんからその言葉、やっと聞けた……嬉しい……」


「今までずっと立ち止まってきたから、多分大変な思いをすると思う。でもどうか、お願いします。俺と一緒に……生きてください。好きだ、早希」


「信也くん!」


 早希が信也の胸に飛び込んだ。強く強く、信也を抱き締める。

 信也も早希を抱き締めた。額にやさしく口づけ、抱擁する。

 やがて二人は顔を上げた。

 涙で濡れたその顔で、早希が幸せそうに微笑む。


「早希、好きだ。大好きだ。これからずっとこの言葉、早希に言い続けるよ」


「約束するよ。これからずっと、ずっとずっと、信也くんの傍にいるから。信也くんのこと、大好きだから」


 早希がゆっくりと目を閉じる。

 信也はそんな早希を愛おしそうに見つめ、そっと唇を重ねた。





 月明かりが差し込む部屋で。二人は熱く長い口づけを交わした。



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