第18話 初めてのお泊まり


 片付けが終わった頃には、すっかり日も暮れていた。

 晩御飯、食べに行こうかと誘ったのだが、「今日はまかせて」と言った早希に甘えることになった。


「料理って言っても鍋。ただ野菜を切って入れただけ」


 そう言ってカセットコンロに鍋を置き、早希が微笑む。


「いや、充分だ。こんな飯、実家以外で食べるの初めてだ」


「豚肉は食べる前につけてね。しゃぶしゃぶだから」


 三合炊きの小さな炊飯器の蓋を開け、お揃いの茶碗にご飯をよそう。

 この部屋で初めて食べるまともな料理に、信也は嬉しそうに「ありがとう」そう言って茶碗を受け取った。





 食べ終えた二人は、ビールを飲みながら部屋を見回していた。

 他人の家にいるような感覚。自分の家には、生活感がなかったのだと改めて思った。

 特に家具が増えたわけでもない。でもあちこちに、帰ってくるのが楽しみになるような彩りがあった。


「自分の部屋じゃないみたいだな」


「今日は第一弾。まだまだ続くからね」


「まだ続くのか? なら次は、俺も一緒に買いに行くから」


「信也くん、ついに陥落?」


「じゃなくて。このままだと早希が破産しちまう。俺の方が稼ぎも多いんだから」


「気にしないでよ。私がしたいだけなんだから」


「いやこれ、誰かが見たら俺、完全にヒモだから」


「信也くんと一緒になれるなら、それも一考します」


「するな」


 時計を見ると、22時を少し回っていた。


「早希、そろそろ帰らないと。家まで一時間以上かかるだろ」


「ここまで尽くした私を、冷たく家に帰すんですね」


 早希がうつむき、指で「の」の字を書きながら口をとがらせる。


「いやいやいやいや、当たり前だから。何ならタクシー呼ぶから」


「折角布団も買ったのに、やっぱり私、追い出されるんですね」


「人の話を」


「別にいいじゃない。どうせ信也くん、何もしないでしょ。それとも気が変わった?」


「あのなあ……嫁入り前の娘が男の家にお泊まりって、普通にアウトだろ」


「信也くん、それ昭和?」


「時代じゃなくて。こんなの、お母さんが知ったら泣くぞ」


「いないよ」


「え?」


「私、家族って呼べる人はいないの」


「そう……なのか?」


「お父さんとお母さん、小学3年の時に事故で死んじゃったんだ。それからはおばあちゃんが育ててくれたの。でもおばあちゃんも、私が17歳の時に亡くなって。それからずっと一人暮らし」


「親戚とかは?」


「おばあちゃん以外の親戚って、あんまり付き合いなかったから。私ももう高校2年だったし、一人で生きていけるだろって言われて」


「……なんかごめん」


「なんで信也くんが謝るのよ」


「考えたら俺、早希のことを何も知らない……でもまさか、ご両親がいないなんて思ってもなかった。知らない内に無神経なこと、言ってたかもしれない」


「そんなことないよ。それに私、別に気にしてないし」


「早希は強いな」


「そう?」


「強いよ。経験って、自然と雰囲気に出るもんだ。俺も自分の話をしたろ? 早希はどう思った? 多分なるほどって思ったんじゃないかな。それがこいつの原点だったのかってね。

 でも、早希からはそれが全然感じられなかった。だから今、かなり驚いている。早希はいつも元気で明るくて、苦労知らずのお嬢様ですって言われても俺、納得してたと思う。それぐらい、人生を楽しんでるように見えるから」


「そう言ってもらえて素直に嬉しい。ありがとう」


「こっちこそ、ありがとう」


「と言う訳で、私のお泊まりが決定しました」


「え」


「え、じゃなくてそうでしょ。今の流れは」


「いや……いい感じの話にはなってたけど、なんか今のでぶち壊されたと言うか」


「私に保護者はいません。何があっても全て自己責任です。そして私は自分の意志で今日、信也くんの家にお泊まりします」


「本当に?」


「はい」


「検討の余地は」


「ないです」


 にっこりと笑う早希を見て、信也は参りましたと両手をあげた。


「じゃあお風呂、先に入りなよ」


「それ、男なら一度は言ってみたいセリフだよね。どう? 言えて嬉しい?」


 なんだよそれ。そう苦笑しながら、信也は浴槽にお湯を張りに行った。





 お揃いの布団が仲良く並べられている。

 風呂上がりに寝間着に着替えた早希は艶やかで、思わず息を飲んだ。

 シャンプーの香りが信也を誘惑する。

 同じシャンプーを使ったはずなのに、なんでこんなにいい匂いがするんだろう。

 ドライヤーで髪を乾かす仕草も妖艶で、信也は昂る気持ちを必死に抑えた。

 その彼女が今、隣で横になっている。

 信也は反対側を向き、お決まりのように布団を頭からかぶって目をつむった。


「早希……」


「何?」


「今日は……と言うか、いつもありがとう」


「どうしたの、あらたまって」


「早希って不思議だよな。俺が忘れたもの、捨てたもの。それを拾って、俺の前にまた持ってきてくれる。俺はいらないって言うんだけど、早希は問答無用で置いていく。でも、それが嫌じゃない。

 早希と親しくなってから、ずっとそんな感じなんだ」


 早希がゆっくりと近づき、信也の布団に潜り込んできた。


「さ、早希……流石にそれは」


「じっとして……」


 早希の囁きに、信也は動けなくなった。

 信也の背中に身を寄せると、早希はそのまま信也を抱き締めた。

 早希の甘い香りがすぐそこにある。

 体温をじかに感じる。


「信也くん……今はこれが精一杯。信也くんが私を受け入れてくれるなら、覚悟は出来てる。でも、私からはここまで。だって信也くん、私のことを好きになっていないから。だから私はいけない。求める心はあっても、これ以上はいけない」


「好きだよ、きっと」


「え……」


「俺は早希のこと、好きになってると思う。て言うか、先週からずっと、頭の中は早希でいっぱいなんだから」


「……」


「早希という女の子のこと、俺は好きだ。こうして一緒にいて、本当に安心する」


「嬉しい。信也くんが好きって言ってくれた」


「ただ俺の中には、それ以上は駄目だって気持ちがあるんだ。誰も好きにならない、そう誓ったから」


「裏切られるから?」


「早希は俺のこと、裏切らないよ。でも」


「怖い?」


「うん……正直怖い……人を好きになるのが怖い……」


「どうすればその怖さ、克服出来ると思う?」


「分からない……なんか俺、何も分からなくなってきた……」


 体が震えていた。


「今でも俺、早希がいなくなってしまったらって考えると、おかしくなりそうで」


「私は信也くんのこと、苦しめてる?」


「分からない……こんな気持ち、初めてなんだ……」


「……」


「でも、早希と一緒にいたい、そう思う気持ちがどんどん強くなってる。抑えられなくなってる。でも駄目だ、そう言ってブレーキをかける自分も強くなってて……訳が分からない」


「人を好きになるって、そう言うことなんじゃないかな。独占したい、いなくならないでほしい、そう思う。だから苦しくなる。でもそれは、楽しいからだと思う。人生って、そういうものなんじゃないかな。両方あるから人生。どちらかがなくなっても、それは人生じゃないと思う」


「……たかが恋愛って思ってたけど、早希にとっては壮大なテーマなんだな」


「言ったでしょ。私は毎日、昨日よりも幸せになるんだって思ってる。その積み重ねが、振り返った時に自分の財産になってるから」


「……ありがとう。おっさんが慰められてしまった」


「おっさんと言うにはまだ早い! それでどう? 私のこと、襲ってみる?」


「いや、今日はもう寝る」


「私もこのまま、寝ちゃおっかな」


「いや、自分の布団に戻ってくれ」


「もぉー」


 早希が力一杯信也を抱き締め、背中に顔をうずめた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る