第17話 押し掛け女房


「ごめん」


「……」


「ごめん早希、俺が悪かった。今の言葉、取り消したい」


「信也くん……」


「いつの間にか俺、とんでもない勘違いをしてたのかもしれない。俺が早希の考えを変えれる、みたいな……

 自分でも驚いた。こんな傲慢な自分がいたのかって」


 信也が頭を下げる。


「仲直りしてほしい。それからほんと……ごめん」


 答える代わりに、早希は信也を抱き締めた。


「……さ、早希さん?」


「信也くんのこと、好きになってよかった。そういう人だから私、好きになったんだと思う」


「さ……早希さん? 離れてくれると嬉しいんですが」


「もうちょっとだけ。それから信也くん、万歳してるその手、下ろしてくれないかな。『僕は痴漢じゃありません』って言われてるみたいで、ちょっと複雑」


「は、はい……」


「それでその手を、背中に回してくれると嬉しいな」


「いや、それは……」


「……駄目?」


「わ、分かった……俺が悪かったんだしな……」


 そう言って早希の背中に手を回す。心臓がとんでもない勢いで動いていた。


「もっと……ぎゅうって……」


 観念した信也が、早希を抱き締めた。

 甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 体温が直に伝わってくる。

 胸に響く鼓動が、自分の物なのか早希の物なのか、分からなくなっていた。

 そうしてしばらくの間、二人は抱擁を続けた。





 玄関のチャイムがなり、信也が我に帰った。

 慌てて離れようとしたが、早希はしがみついて離れてくれない。


「いやあの……早希さん? 誰か来たみたいなんですが」


「あと5秒……」


 そう言って5つ数える早希は可愛かった。

 数え終えた早希が名残惜しそうに手を離すと、信也は早希の頭を撫で、玄関に向かった。


「……」


 突然のことに戸惑い、早希が頬を染める。


「……そういうところなんですよ」


「なんか言った?」


「いいえ何も。それで誰が来たんですか?」


 玄関を開けると、「ホームセンターからのお荷物です」と作業服姿の男が言った。





「……」


 荷物を信也が見つめる。

 その雰囲気に、早希が口笛を吹きながら奥の部屋に向かおうとした。

 しかし信也は早希の腕を素早くつかみ、眼鏡に指をあてて言った。


「三島早希くん……これは一体、何なのかな」


「ふ……副長ったら、何ですかもう、顔が怖いですよ」


「こ・れ・は・何・な・の・か・な!」


「は、はいいっ……」


 玄関に置かれた荷物。

 一つは小さな冷蔵庫。そしてもう一つは布団だった。


「待って! 違うの信也くん! 私はただ、信也くんのことを思って」


「お前まさか……ここに住むつもりじゃないだろうな」


「そんなそんな、たま~に遊びに来れたらいいなって」


「じゃあ何で、布団が二組あるんだよ。ご丁寧に色違いのお揃いで」


「だって信也くんの布団、ぺったんこだったから。健康によくないと思って」


「じゃあこの、女物にしか見えないもう一つの布団は」


「それはほら、もしもの時にって」


 しばらく小芝居問答を続けたが、今更どうにもならない。完全にしてやられたと、信也が大きなため息をついた。


「早希。こうして外堀、埋めていくつもりなのか」


「そんなこと」


「じゃあ言い方を変えよう。既成事実」


「正解!」


 頭を小突く。


「早希……気持ちは嬉しい。こんなに想ってもらえて、本当に嬉しい。でもな、少しは警戒してもらわないと困る。

 俺も男だし、今でも早希とこの部屋にいて、正直ずっとパニクってるんだ。こんな言い方ずるいけど、早希の気持ちに応えるつもりがなくても、手を出してしまわないか怖いんだ」


「だから」


 一歩前に進み、吐息がかかるほどの距離で早希が囁く。


「そんな誠実な信也くんだから、私は好きになったんだよ」


「誠実って……俺今はっきり言ったよな。その気がなくても手を出しかねないって。それじゃただの、欲望むき出し最低下衆野郎じゃないか」


 ネーミングセンスのかけらもない表現に、早希が吹き出した。


「なんですかそれ、欲望むき出し最低下衆野郎って……あはははっ」


「突っ込む所そこ? 俺、結構真面目に言ってるんだけど」


「心配しなくても大丈夫だよ。私も子供じゃないんだから、ちゃんと考えて、覚悟も決めて行動してます。この恋には、それぐらい賭けてますから」


「覚悟を決められても困るんだが……それとこれは? 冷蔵庫?」


 観念するしかないのか……ひょっとして俺、詰んでるのか? そんな思いが頭をよぎった。


「うん。信也くんが冷たい物を苦手だってことは分かった。でもあった方が便利だし、私はビール、冷たい方が好きだし」


「工場で毎日作ってる癖に、違うメーカーの冷蔵庫を買うとはいい度胸だ」


「あはははっ、それはほら、値段に負けたって言うか」


「一体今日、いくら使ったんだ? さっきも言ったけど、やっぱり俺が払うよ」


「だからそれは、次のデートでお願いします。それにこれって、私がしたくてしてるんだから。私の我儘にお金を出してもらうなんて出来ませんよ」


 俺はこんなに押しに弱かったのか……そう認識させられた信也は、大きなため息をつくと、早希と一緒に荷ほどきを始めた。



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