三 根岸の寮

 その五日後の昼。

「なあ、姐御。強請る金子を増やさねえか?十両ぽっちじゃ、すぐ無くなっちまう」

 根岸の商家の寮の居間で、無頼漢の建造けんぞうがお茶を飲みながら喚いていた。

 建造の前に長火鉢があって五徳の鉄瓶の湯に調子が三本入っている。


「お前がアホみたいに使うからだ。世間のもんは月に一両で暮してんだ。いったい、どこまでアホなんだ。一晩に十両を何に使ったんだい?言ってみな。博打か?女か?

 ここは吉原に近えから、また女に貢いだんか?」

 長火鉢の向こうで、この寮の主のうめが建造を睨みつけた。この男は金と女にしか興味が無い阿呆だ・・・・。


「ばっ、博打だ!みっ、水戸家の下屋敷だ!」

「ははあ、吉原だね、その面は・・・。

 で、嵌められて、全部、かすめ取られたんか?」

 そう言われて建造は返す言葉が無い。茶碗の茶を飲み干して長火鉢の猫板に置いた。

「図星だね。あたしらと同じ事をしてるんは、吉原のどこの見世の女だい?」

「・・・水戸だ・・・」

 消えそうな声で建造は言った。

「何だって?水戸家の下屋敷に、そんな女は居ねえだろう・・・。

 博打ってことかいっ?!一晩で世間のもんの十月分をすっちまったんか?呆れたね!いったい、何処までアホなのさっ!」

 梅はそう言って、鉄瓶の銚子を上げて、長火鉢の猫板に載っている己の茶碗と建造の茶碗に酒を注いだ。

「飲めっ!で、どうしろってんだ?筒持たせの他に、何か考えがあるんか?」


「そう言われると・・・、ねえな・・・」

 建造は猫板の、酒を注がれた茶碗を取った。

「もしかして、筒持たせ、されちまったんか?」

「・・・・」

「なんてこったい。嵌める側が嵌められたってのかい?呆れたもんだぜ!。

 で、相手は誰だなのさ?」

「小梅の水戸徳川家下屋敷の賭場に居た浪人の連れだ・・・」

「で、どうしたんだい?」

「賭場の合間に、厠に立った女の跡をつけて、厠から出てきた女を中間部屋へ連れこんだ。

 いざ事をおっぱじめたら、すっと襖が開いた。浪人がじっと俺を見ていた・・・」

「でッ、どうしたのさ?」

「浪人が刀を抜いて下帯に鋒を入れた。そのまま、すっと刀を押した・・・」

「で、どうなった?」

「下帯が切れて、縮み上がった倅が、顔を出しちまった・・・。

 浪人は刀の鋒で、ピタピタ倅を叩いた・・・。

 恐ろしくて、倅は完全に顔を引っこめちまった・・・」

「今も引っこんだままかえ?」

「ああ・・・」

「みせな・・・。早く見せろっ!」

 梅は手にしていた酒の茶碗を長火鉢の猫板に置いた。建造も茶碗を猫板に置いた。

 建造はその場に立って着物の裾を上げ、股間の下帯を横へずらした。


「アッハハハッ!毛が生えた現服前のガキンチョだぜ!

 十両を強請られて、この有様じゃあ、形無しだあ!

 アッハハハッ、早く倅をしまいな!」

 梅は大笑いした。

ここ根岸の寮から小梅の水戸徳川家下屋敷まで約二十七町(約二.九キロメートル、徒歩四十四分)だ。半時もかからない。


「嵌められたんはいつだ?答えろよ!」

「嵌められたんじゃねえ。俺が浪人の女に手を出して、落とし前をつけられただけだ」

「するってえと、おめえ、女を手込めにしたんか?えっ、答えろよっ」

「そっ、そうじゃねえだっ。だけんど、その前に、浪人にとっ捕まっちまった・・・」

「そんで、倅をピタピタかい!アッハハハ!!」

 寮の主の梅は長火鉢の猫板から茶碗を取って、ぐっと一息に飲み干した。


「まさか、おめえ、此処を教えちゃいねえよな?」

 梅は銚子を取って茶碗に酒を注いだ。建造は黙って茶碗を取った。

「・・・教えたんか?いったい、いくらで話をつけるって言われたんだ?」

「・・・・」

 建造は黙って酒を飲んでいる。


「オイ、コラッ!いくらで話をつけたんだっ?言わねえと、倅が縮んだままになるぜっ!」

 梅は懐から匕首を出して、畳にドンと突き刺した。梅の横に匕首の鞘が転がった。

「わかった・・・五十両だ。あと四十両だ・・・」

「なんてこったい・・・」

 梅は銚子を持って直に酒を飲んだ。

「浪人は、いつ、此処に来るんだい?仲間は居るんか?全部で何人だ?」

「取り立ては今日だ。浪人は全部で五人だ。手練れだ・・・」


「何てこったい・・・。

 オイ・・・、さっきから、虫の音がしねえぞ。それに、鳥も鳴かなくなった・・・。

 おいっコラ!ちっとバッカし、見てきな・・・」

 ここ根岸は、東に吉原、西に谷中の寺町があり、いたって閑静な地である。鳥獣が多く、人の気配を警戒する鳥獣の鳴き声の有無で、人の有無が知れるほどである。

 しかし、葉月(八月)半ばの昼過ぎ、虫の音が賑やかな時節なのに静かすぎる。

「・・・」

「黙ってねえで、見てきやがれっ!

 それとも、何かい。倅の皮をひん剥いて、倅を行かせようかい!」

 梅はとんでないことを言った。梅は口は悪いが器量良しだ。

「わかった。行きゃあいいんだろう。行きゃあ・・・」

 建造は手にしている茶碗の酒をぐっと飲んで、

「すまねえ姐御。気付けに、もう一杯」

 と長火鉢の猫板に茶碗を置いた。


「虫の音がやんだわさ。わかってるね。さっさと殺っちまいな・・・」

 梅は鉄瓶の中の調子を上げて建造の茶碗に酒を注ぎ、畳に刺さっている匕首を引き抜いて、梅の横にある鞘とともに、建造に放り投げた。匕首は建造の膝元で畳に突き刺さった。

 建造は茶碗に注がれた酒をあおり、一瞬、ブルッと身を震わせた。

「しょん便、チビリそうだぜ・・・」

 そう言いながら、建造は畳の匕首を引き抜くと鞘に収めて懐に入れ、立ち上がって居間から出ていった。

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