第45話 普通の女の子の覚醒(リン視点)
せっかくの夕真との初お出かけデートなのに、なんと朝から葵に出会う。
朝イチから何の気兼ねもなくラブラブしてやろうと思ってたのに、出鼻をくじかれた格好だ。
まあ、普通に考えれば都心のほうへ行くだろうから、こいつらとは駅でお別れだ。私たちの行き先はまるで逆方向。ビークルシティなんだからね!
どっち方面に行くかは改札を通過してすぐに別れるのだが、私たちの前を歩く葵と晴翔くんは、なんと、都心とは逆方向へ向かった。
…………えっ!? なんで!?
どういうことだ? あいつら、行き先はシンクレア東京じゃないのか!?
雲行きが怪しいな……なんか前にいる晴翔くんも、振り返りながらそんな顔をしている。
ってことは。
こりゃあ、マズったか……
「夕真ぁ。もしかして、あの二人もビークルシティに行くのかなぁ……。ごめんね、私が行きたいって言ったばっかりに、葵と顔を合わせないといけなくなるかも」
はぁ、と私がため息をつくと、夕真は何だかモジモジとバツが悪そうにする。
「……ええっと。その、あのね……。実は僕、葵をどこに連れてったら喜ぶかなって晴翔が聞いてきたから、ビークルシティがいいんじゃないかって言っちゃったことがあって」
「はあっ!? なんで私がデートの場所を提案した時にそれ言わなかったの!?」
「まさか晴翔が、僕のアドバイス通りに葵をビークルシティに連れて行くなんて思ってなくて。それに、昨日の夜に葵と会った時に『明日ビークルシティに行く』って言っちゃったから、もしからしたら、それも関係あるかも」
何っっっっっっ!?!?
昨日会ったなんて聞いてない! しかも夜!?
どういうこと!? 私に黙って、二人でこっそり夜中に会ってたっての!?
……ハッ! そういや昨日こいつ、私と登校しなくなった途端に葵と手を繋いでやがったし!
私の前では葵から繋いできたとか言ってたけど、まさかぁ……
イヤだイヤだイヤだっ! そんな……せっかく葵を出し抜いたと思ったのに!
やっぱり、一緒に登校するしかない。夕真になんと言われようとも……
いや待てよ!? よく考えたら、葵の家は夕真の家のすぐ近くだ。私がいくら一緒に登校しようが、夜に二人で逢瀬を重ねることは十分に可能……!
いっそのこと、私の家に夕真を住まわせるしかないか!?
そうだ! 同棲だ! あの場所から夕真を引き剥がさなければ!!
そして一刻も早く契りを結んで、ひとまず私のカラダの魅力でドロドロのぐっちゃぐちゃに夕真を漬け込んで、性の虜に!!!
心のほうは、それからじっくり……
ってか、それでも学校で葵と顔を合わせてしまうし!
私が学校休んだり……それどころかトイレに行ってる間すら、葵は夕真に話しかけたりしてたし。
私とのセックスで性の魅力に取り憑かれた夕真が「葵とのセックスってどんなんだろう」的な魅惑に負けて、ハーレム状態に持ち込もうとする危険性も無きにしも非ず!!
これじゃ一瞬たりとも油断できないよ……。
こうなったら、夕真をガチで家に拉致監禁するしか……!!
一瞬にしてメンタルが追い詰められパニックになる。
目ん玉がぐるぐる回って、もうわけがわからなくなった。
私は、深く息を吸って吐く。
咳払いを一つして、落ち着いた声を心掛けた。
「コホン。……昨日の夜に会ったって、どういうこと?」
「なんかさぁ、今日のデートがすっごく楽しみになっちゃってさ、僕、こんな気持ちになったことなくて。だから、こんな気持ちで夜空を見上げたらきっと気持ちいいんだろうなあ、って思ったら居ても立ってもいられなくなって。そんで外へ出たら、葵と偶然会ってさ。そこでちょっと話をしたんだけど」
うぅっ。
心底幸せそうに話す夕真の顔。
私のハート型の心臓に、天使の矢が百本くらいズバズバっ、と刺さった。
きゅうん。と音が鳴った気がする。なんか、胸の辺りから。
いや、絶対鳴った。
もうだめ。今すぐにでも持ち帰りたい。この可愛い生き物を。
そして欲望のまま、ぐっちゃぐちゃに……。
「リン? どうしたの?」
「ハッ! い、いや、なんでも」
妄想の世界へぶっ飛んでいた私の意識を、夕真が引き戻してくれた。
やばい。地獄にいたみたいな気分から一気に天国へ持って行かれた。なんか、とんでもないサプライズをされた気分。
落差がデカ過ぎてもう頭がクラクラする。
「まあ、そういうわけだから、リンは全然悪くないと思うんだよ。きっと僕のせいなんだろうなぁ……」
おそらくそれはそうだろう。今日、ここで葵たちと鉢合わせたのは全て夕真のせいで間違いはなさそうだ。
考えが甘い。まあ、その傾向はそこかしこで漏れ出てるし、最初からわかっていたことだけど。夕真、仕事をし始めたら苦労するタイプだな。だからだと思うけど、こいつ、肝心なことを言わない
よし、と心の中で戒めながら、簡単に天国までイかされちゃった悔しさで隣にいる夕真を目を細めて見てやる。
当の夕真は、へへへ、と笑いながら能天気な笑顔。
あ──……。可愛いなぁ……
ま、いっか。どうでもいいや葵のことなんて。夕真のことに関しては、私にアドバンテージがあるのは間違いないんだし。
愛する人の笑顔一つでこんな気持ちにさせられちゃう私。
なんかちょっと危ないな、とたまに思うこともあるけれど、今はこの幸せを噛み締めよう。
「それで? 葵とは、何を話したの?」
「大したことは喋ってないけどね。なんか、もう後悔したくないから、って言って、帰っていっちゃった」
「もう後悔したくない……?」
「うん。何だろうね」
「…………」
詳しくは分からないが、私は、何か不吉な予感が拭えなかった。
同じホームで、葵たちと電車を待つ。
この状況を無難に凌ぐために、私は敢えてあいつらのことはこのまま放っておこうと思ったんだけど、そうは問屋が下さなかった。
葵のほうから、話しかけてきたのだ。
「あの。リン、この前はいきなり叩いちゃってごめんね」
「え? あ、ああ……いいよ、もう」
葵はこう言って謝る。私は、なぜかその表情に寒気を覚えた。
どうしてだろう? 憎悪や敵意が含まれているってわけじゃなさそうなのに。
「ねえ。ゆうちゃんたちは、ビークルシティへ行くんだよね?」
「そうだよ。葵たちはどこへ行くの?」
「あたしたちもだよ」
……やっぱりか。
でも、別に向こうで別行動すれば大した障害にはならないはず────
と頭の中で計算していたら、ここで信じられない提案を葵が口にする。
「なら、ダブルデートしない? せっかくだから、一緒に楽しもうよ」
「ちょっ、何勝手に──」
「いいね! こんなこと滅多にないんだし。いいだろ、兄ちゃん?」
なんと、晴翔くんが賛同し始める。
こいつ、気づいてないのか? 葵はまだ、夕真のことを狙ってるんだぞ!?
そんなことをすれば、お前にとっても利はないんだ!
と心で叫ぶ私の声は、誰にも届いていなかったらしい。
夕真は、今日イチ能天気な声で回答する。
「いいよ、確かにそうだよね!」
……バカ。
葵と一緒にいたくないという負のメンタルから救出させたのはいいが、ここでそれが裏目に出た。
まあ……大丈夫か?
「ダブルデート」だと葵自身が認めた。それはつまり、デートするのは晴翔くんと葵、夕真と私、だということ。
誰と誰がカップルか、きっちり自覚させた上でのダブルデートなのだから。
それに、私が夕真にビッタリ張り付いているこの状態で、いったい何をしようっての?
舐めんなよ。いくら何でもこの状況で、あんたに勝ちなんてないんだ、葵!
ただ、ファッションは確かに油断した。
まさか葵と鉢合わせるなんて思ってもなかったから……
……なんて言ってもそれは言い訳。私、女の子らしいファッション、昔から苦手なんだよね。こういうののほうが性に合ってる。夕真がこういうのを好きじゃなかったら、それはちょっと悲しいな。
頑張って葵みたいなのを着てもいいんだけど、ずっと我慢してやっていくのも辛い。自分らしさを犠牲にすると、後できっとしんどいよね……。
夕真はどう思ってるんだろう。
私と葵のファッションを見比べた時、夕真は葵のほうをガン見していた。
悔しいけど、ここは私の負けなのかもしれない。でも、嫌悪感さえ持たれなければあくまでこの一点において後塵を拝しただけだ。
それに、夕真が望むなら、要所要所で女子力重視のファッションをすることだってできないわけじゃない。そういう服を一緒に買いに出かけるというデートだって可能! 何なら、このビークルシティでのデートでそれをして、今の格好とのギャップ攻めで夕真の心を奪ってそのまま家に連れ込むという作戦もアリ。
いくらでも反撃可能だ。こんなので調子に乗るなよ、葵……!
「それにしても……こんな日が来るなんて思いもよらなかったな。ここ最近、葵とは疎遠になってたから。きっと嫌われちゃったんだろうなって思って、辛かった。だから、君とこんなふうに普通に話せるようになって、本当に嬉しいよ」
「どうして、嫌われたって思ったの?」
「だって……ある日を境に、急に僕に話しかけてくれなくなっちゃったし」
「距離を置くのって、嫌いだからとは限らないんだよ」
ゾワっ、と背筋に走る悪寒で鳥肌が湧き立つ。
ついさっき葵の表情に寒気を覚えた理由が、今、はっきりとわかった。そして、「もう後悔したくない」というセリフとが完璧にリンクする。
まずい、と思った時にはもう遅かった。葵が見せている笑顔に動揺した私は、この時、葵を舐めたことを心の底から後悔した。
今までの葵の顔と視線は、元がとんでもなく可愛いとはいえ、どこか負の属性を帯びているというか、仄暗い感情を秘めた表情をしていた。
恨みつらみがこもったような暗い表情は、普通なら美しさを下げてしまうはず。
類稀なる可愛さでなんとかしていただけだ。そんな状態の女子に、私は負ける気はしていなかったんだけど……。
今の葵の顔からは、そんなのが一切消し飛んでいる。
女の私から見ても、思わず見惚れてしまうほどの可愛い微笑み。
その表情に闇はなく、ただまっすぐな好意が現れた太陽のような笑顔。葵の顔を見せられた夕真は顔を赤くし、言葉を失って葵を見つめることしかできなくなってしまった。
やはりダブルデートなどするべきではなかったのかもしれない。無理矢理にでも、別行動を提案すべきだったか。
しかし、そんな強行手段を今の夕真に提案しても、「そこまでしなくても」みたいに思われて株を下げるだけだ。駅で出会った時点で、強制的に土俵に上げさせられた。
お父さんを亡くして以来、恐れを抱くことは一度としてなかった。
どんなテロリストと対峙しても、命のやりとりを経ても、最後には必ず私が勝つと確信していた。それは、積み上げ手に入れた力と信念が、敵を下回ることなどないと思っていたからだ。
そうして繰り返した死闘はいつしか私の胆力を鍛え上げ、「お父さんの死を無駄にはできない、弱い心のままいるわけにはいかない」という強迫観念にも似た感情も相まってか、勝敗の見えない戦いでさえ自分自身の命の危機では恐れを抱かなくなった。
だから、私は自分の弱さを克服できたと思っていたのに…………
今、私は恐れを抱かされた。
テロリストでも何でもない、ただの、普通の女の子。
その普通の女の子が、何がきっかけなのかはわからないがどうやら完全に覚醒し、命より大事な私の宝物を、真正面から奪いに来ているのだ。
緊張感でじんわりと汗が滲む手を、私はぎゅっと握りしめた。
勝ったと思っていた勝負の行方が見えなくなったことを思い知らされる。
油断すれば刺され、一撃の元に殺られてしまうだろう。葵の魅力が一瞬でも夕真の心に刺されば何が致命傷になるかわからない。
もはやアドバンテージは消滅した。奪われたくなければ、なりふり構わず真正面から斬り合うしかないのだ。今日が、もしかすると決着の日になるのかもしれない。
いや、そもそも、葵はそのつもりで、今日ここへ来たのかもしれなかった。
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