第43話 もう後悔はしたくない


 ここ最近、葵とこの場所で、こんな時間に出会うことはなかったから、僕は驚いてしまった。

 しかも、かなり元気がなさそうな感じだ。暗い表情をして、僕の隣に座る。


「久しぶりだね。葵とここで、二人っきりで星空を見るなんて」

「……こんな街中で、星空なんて見えないよ」


 葵は、夜空を見上げながらうんざりしたように言った。

 僕は、もしかしたら、と思って続ける。


「まあ、星空は言い過ぎだけどさ。あっちの空にね、ほら」

「秋の夜空に輝く一等星、フォーマルハウトがあるよね」


 ふふ、と僕が笑うと葵も同じようにする。

 この会話、何年先までできるんだろうか。

 小学一年生の頃、葵とした言葉のやりとり。

 まだ、葵も覚えてくれてるんだね。


「よく二人で夜空を見上げたね」

「うん。辛いことがあったら、必ずここに来た。そしたら、絶対にゆうちゃんが居て、あたしのことを慰めてくれるから」

「…………そうだったね」


 無言が続く。


「でも、今日は逆効果だな。ごめん。邪魔して」

「葵! 待って。あの……」

「なに?」


 立ち上がり、そして僕の声で振り返った葵に、僕は言葉を詰まらせる。

 いったい、僕は何を言おうとしたんだろう。

 すると葵は、僅かに微笑んで僕にこう言った。


「……ゆうちゃん、顔が明るくなった」 

「そう……かな。自分ではよくわかんないや」

「ここ最近と全然違うよ。まるで、あの頃みたい。あたしが……あたしのせいで、暗くなっちゃったのかな。……はは。なら、完全にあたし、さげまんだよね」

「葵のせい?」

「ゆうちゃん、あたしが他の男の子と付き合う度に、暗い顔になったでしょ」


 ドキッとした。

 見抜かれてたんだ、と思うと途轍もなく恥ずかしい。


「そ、そ、そんなことないよ! 葵はずっと、僕のアイドルだったから! 君がいるだけで、僕は幸せな気分になれた。君のことが、ずっと生き甲斐だったんだ。だから、そんなこと言わないでよ」


 僕を見つめる葵の眉間にキュッとシワが寄る。

 暗くてわかりにくかったけど、葵の両目の目尻から、涙がスッと垂れ落ちていた。


「葵!? どうしたの!?」

「…………うぅ」


 僕は、葵をもう一度ベンチに座らせた。

 何が引き金になったのかよくわからないけど、葵は嗚咽を漏らして泣いてしまい、しばらく何も話せなかった。

 僕は、そんな葵の背中を、さすって落ち着かせようとした。


「……昔も、こうしてくれたよね」

「うん。二度目に出会った時だった。葵が、調子が悪くなっちゃって」

「あの時は、ほんとに楽になった。今だって……やっぱりそうだよ。ゆうちゃんの手のひらって、なんか『氣』みたいなやつが出てんじゃない」

「あはは。そうかも。何度も効果があったわけだもんね」


 僕が笑うと、葵も少しだけ微笑んでくれた。

 と思うと、すぐにまた表情を沈ませる。


「……ねえ、ゆうちゃん。その、首の……」


 今日の朝、無理やりバンドエイドを剥がした僕の首筋を見つめながら言う。

 僕は、家の奴らに見られるなんて学校で晒し者にされるより嫌だったから、家に帰ってすぐバンドエイドを貼った。

 よって、少し小さくなってきた赤い印は、今は見えていない。


「リン……だよね?」

「…………」


 僕は無言で答える。


「もう、した・・の?」


 ギョッとした。こんなにストレートに聞かれるなんて思ってなかったから。

 僕も、葵が今言ったのと同じことを葵に尋ねたいと思ったことがある。

 葵が、晴翔と……。


 それを今、葵のほうから尋ねてきたのだ。


「ううん。してないよ」

「どうして?」

「あ──……。どうしてと、言われましても……」

「……この週末、どこかに出かけるの?」

「あ、うん。明日、ビークルシティにね」


 葵は目を閉じた。


 つらそうな顔だ。何を考えてこうなっているのか計りかねるが、しばらくすると葵は目を開けた。

 僕を見るその表情で、僕はハッとさせられる。

 

 ついさっきまで悲しみの色だけで満たされていた顔に、強い意志が宿っているように見えたんだ。


「そっか。明日・・……なんだね」

「えっ!? なっ、何がっ!?」


 声が裏返った僕の様子で、葵は確信めいた顔になる。

 立ち上がり、僕に背を向けて言った。


「あたしも、もう、これ以上後悔したくないから」


 キョトンとしながらベンチで固まる僕を尻目に、葵は六号棟のほうへ歩いて行った。

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