第39話 これだけは譲れない①(晴翔視点)


 別に、最初から仲が悪かった訳じゃない。小学校の頃は仲良く遊んでいた。

 まあ、大体のことは俺のほうがよくできたから、そんな俺のことを、兄ちゃんは次第に歪んだ目で見るようになっていったけど。


 でも、その関係をどうにかしたいとは思わなかった。


 じゃあ俺が手を抜かないといけないのか、って話。

 学校の勉強も、スポーツも、友達付き合いも、父さんと母さんに気に入られることも。

 絶対に、絶対に兄ちゃんにだけは負けたくなかったんだ。


 その理由は二つある。


 一つ目は、俺は兄ちゃんと違って、習い事なんかほとんどやらせてもらえなかったから。


 兄ちゃんは、小さい頃からいろんな習い事をさせられていた。

 でも、どれもこれも途中で投げ出したり、伸びなかったり。

「がんばる」という概念が心の中に存在しないとしか思えない。あの人と一緒にいるとわかるんだけど、兄ちゃんは、最初ちょっとでもうまくいかないとすぐに諦めるタイプなんだ。

 

 そして兄ちゃんにモチベーションなんてものはない。

 サッカーだって父さんがやらせたものだし、算数も英語もピアノも習字も水泳もバトミントンも体操も、どれもこれも親がやらせたものだった。一つとして、兄ちゃんが自分からやりたいと言ったものはない。


 兄ちゃんは、ただ毎日外で遊んで、ネットを見て、ゲームをしていられれば幸せ、って人だ。

 

 今のうちに頑張らないと後で後悔するだとか、

 いい大学に入っていい会社に就職しないといけないとか、

 自分で考えることができる頭を持たないといけないとか、


 長男ってことで、様々なことを言われてたみたいだ。子供の頃からそんなことばっか言われるなんて同情したくもなるけど、それとは無関係に、兄ちゃんはそもそも頑張ることができない人だ。

 しばらく継続してやってみるということができない。だから、どれもこれも面白さを理解する前にやめてしまって全く芽が出なかった。


 その割に、親の言うことに口ごたえすることだけは一丁前。自分が間違っていても屁理屈ばかり言っていた。兄ちゃんに対して、徐々に父さんと母さんはぶっきらぼうな態度になっていった。


 そんな長男のことを教訓としたのか、親二人は俺に何一つ習い事をさせなかった。

 子供に習い事をさせるなんてどうせ金の無駄遣いだと達観したのだろう。俺は色々やりたいことがあったのに。全部、兄ちゃんのせいだ。


 サッカーのワールドカップを見てから、俺はどうしてもサッカーがやりたくなった。だから、父さんと母さんに、俺は諦めずにひたすら頼み込んだ。

 

 二人は困った顔をしていたけど、どうしてもやりたいなら、と言って許可してくれた。俺は、住んでる街から一番近いクラブチームに入って練習させてもらうことができるようになった。


 一生懸命やった。たった一つ、親からやらせてもらえた習い事なんだ。だから、時間があればひたすら練習した。

 

 そんな俺の様子を見てか、兄ちゃんは、サッカーだけは頑張り始めた。

 それでも中学校に入る前にはやめてしまった。俺と兄ちゃんの実力差があまりにも決定的になった頃だったから、きっと心が折れたんだろう。


 中学に入ってからは、どんどん伸びた。その甲斐もあってか、全中でも上位に入ることができた。


 サッカーに打ち込んだから勉強ができない、って言われるのが嫌で、勉強も頑張った。

 こっちのほうも模試の成績は悪くない。勉強ばっか打ち込んでる奴には敵わないが、サッカーとは関係なく学力だけでそこそこ良い高校にいけるくらいには点を取れていた。


 この頃だったと思う。兄ちゃんが、明らかに俺のことを憎しみを込めた目で見るようになってきたのは。

 だが、むしろ俺は、もっと兄ちゃんをどん底に突き落としてやりたかった。


 ただ勝つだけじゃなく、不幸のどん底に突き落としてやりたい。

 俺がそこまで思う全ての原因は、二つ目の理由にある。



 俺は、葵ちゃんが大好きだった。



 初めて見た時から心を奪われていた。こんな可愛い女の子がこの世にいるなんて、しかも俺のすぐそばにいるなんて、本当に幸せな気持ちだった。


 彼女は俺の女神様だ。俺は、葵ちゃんに会いにいくのが、何よりも楽しみだった。

 だが、その気持ちはすぐにズタズタに引き裂かれる。


「あたし、大っきくなったらゆうちゃんと結婚するんだ!」


 無邪気に、幸せそうな顔をして放たれたその一言は、俺の胸を簡単に貫いた。

 

 結婚?

 それって、兄ちゃんのことが好きってこと……?

 

 すごくショックを受けたけど、それでも葵ちゃんの顔を見たい一心で、兄ちゃんと葵ちゃんが遊ぶ時には、俺は何とかして一緒についていった。


 しかしそれが間違いだったのかもしれない。


 二人が先に遊びにいったことを知った俺は、急いで後を追いかけたんだけど。

 公園に着いた時、二人が抱き合っているように見えて、俺は理由もわからず茂みに隠れて様子を窺った。

 その頃の俺には、二人が何をしているのかすぐには理解できなかったが、じっと眺め続けるうちに、次第に現状を理解し始める。


 葵ちゃんと兄ちゃんは、キスをしていたのだ。


 実際にキスというものを見たのは初めてだった。

 唇と唇を触れさせてる。

 葵ちゃんが、兄ちゃんの唇をぺろぺろ舐めてる。

 あれ、きっと舌を入れてる…………。

 

 ギンギンに固くなる股間を両手で押さえながら、俺はただじっと隠れて、ひとときも目を離さず二人を見続けた。

 

 それは、ちょっとの間だけ隠れていれば観察できるレベルではなかった。


 下手をすれば一日中やってるんじゃないかと思うくらい、二人は盛った猿のようにひたすら唇を求め合う。

 終わったかと思えば、また別の場所でおっ始める。「誰かが見ているかもしれない」なんて、カケラも発想にない様子だ。それがまた、俺の胸を締め付ける。


 夢中なんだ。あまりにも夢中すぎて、他のことが頭から飛んでいる。

 

 一番俺を苦しめたのは、その行為を我慢できなくなったのが兄ちゃんじゃなく、葵ちゃんのほうだったということだ。

 それからも、葵ちゃんはしきりに兄ちゃんに馬乗りになってくすぐったり、馬乗りとキスの複合技を披露したりしていた。欲望のままに、兄ちゃんのことを貪るように求める俺の大好きな女神様は、もはや誰がどう見ても兄ちゃんに夢中だった。


 どうして、あんな奴に?


 この世の女神と言っても過言じゃない、俺の天使。

 その天使は、俺じゃなく、いつも父さんと母さんに怒られ見放されているあの出来損ないの兄ちゃんが手に入れたんだ。

 

 だからこそ、俺は何もかもを頑張った。


 どれ一つとして兄ちゃんに負けるものはない、そんなレベルの男になるために。

 そうなった時、きっと葵ちゃんは俺のことを気にしてくれるはず。俺のほうを振り向いてくれるはず。そう信じて頑張ることにした。


 中学生になると、葵ちゃんと兄ちゃんはあまり遊ばなくなった。

 ほとんど喋ってもないようだ。もしかして、葵ちゃんが兄ちゃんに愛想を尽かしたか?

 ざまみろ。そりゃそうだろあんな奴。これで俺にもチャンスが回ってくる!

 

 ……とか浮かれていると、中学になった時、葵ちゃんは、兄ちゃんじゃない別の男と付き合ってしまった。

 

 ハンマーで頭を殴られたかと思うほどの衝撃。俺は居ても立ってもいられなくなって、その男がどんな奴なのか調べることにした。

 そのとき俺は小学校六年生だったから大したことはできなかったけど、彼氏と歩く葵ちゃんにさりげなく近寄って、彼氏のほうとも仲良くなる作戦をとったんだ。


 そんなことをしていると、その彼氏と葵ちゃんと俺の三人が一緒にいるとき、たまたま兄ちゃんが通りかかった。


 葵ちゃんは兄ちゃんに気づくと、すぐに彼氏と手を繋いだ。そして、明らかに兄ちゃんを意識しながらベタベタといちゃつく。

 俺は、この様子を見て一つの疑問を持った。


 まさか、葵ちゃんは、兄ちゃんに当てつけるために、この彼氏と付き合っている……?


 そのためだけに、全然どうでもいい男と?

 そんなバカな。考えすぎだ……。


 自分で自分にそう思い込ませて、兄ちゃんは葵ちゃんにフラれたんだと結論づけることにした。

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