第40話 これだけは譲れない②(晴翔視点)


 ずっと打ち込んできたサッカーの進路については、クラブチームで上を目指すこともできたけど、俺は中学のクラブ活動を選んだ。葵ちゃんと兄ちゃんが通う中学は、サッカーもまあまあ強かったからだ。


 サッカー面で考えたら最善の選択とは言えなかったが、俺はこの選択に満足していた。

 俺の目標はあくまで葵ちゃんを手に入れることであり、サッカーはその次なのだ。サッカーでの俺の活躍も、彼女のすぐそばで実現する必要がある。


 中学校に上がった時に親からスマホを持たせてもらったが、最初に連絡先を聞いたのは葵ちゃん。これだけは、絶対に手に入れておく必要があった。


 兄ちゃんは、中学生になった時にはすでに葵ちゃんとは全く喋っていない状態だったから、葵ちゃんの連絡先すら知らないみたいだ。この点について、俺は兄ちゃんよりアドバンテージをとった。

 というか、もうすでに兄ちゃんは葵ちゃんの眼中にもないように見える。最大のライバルが消えて、俺は心底安心した。

 

 新一年生として、中学二年生になった葵ちゃんを、同じ学校に通いながら眺める。


 小学生の頃よりも格段に可愛くなった彼女はもはやこの学校どころか他校からすら噂されるレベルの美少女。

 そんな葵ちゃんのそばにいられるなんて、やはりこの進路は間違ってなかった、と俺は幸せを噛み締める。


 だが、それほどの美少女を、恋愛アッパークラスの強者どもが放っておくわけがない。

 葵ちゃんは、次々と彼氏を乗り換えた。

 

 俺は勉強やサッカーを頑張りつつも、それらの男たちを必死に調べた。

 いったいどんな奴らが葵ちゃんを手に入れているのか? それをどうしても確認したかったからだ。

 俺は完全に面が割れているので、葵ちゃんに見つかれば即バレしてしまう。慎重に事を進めた。


 相手を特定し、さりげなく近づいて外見を確認した。

 その男のクラスメイトの人たちと知り合いになって、話を聞き出したりした。

 時には以前と同じ手法で、偶然を装って葵ちゃんと彼氏が一緒にいるときに話しかけてその男と知り合いになったりした。

 そいつらの元カノが判明すれば、近づいて話をすることもあった。まあこれについては俺がその子たちから言い寄られるリスクが高すぎて途中からやめてしまったが。


 その結果、俺が出した結論は「全員クズ男」だ。


 確かに見た目はカッコ良いやつばかりだ。女心の隙をつくことにも長けている。だけど、それだけだ。奴らは女の子を愛しているのではなく、愛しているように見える技術を身につけているだけだ。


 確かに、心に空洞を抱えた女の子は、体を蝕むぽっかりと空いた無を満たすために形だけの愛を選ぶこともあると思う。その実、愛されていないことなど百も承知の上でだ。

 それは、肉体で言うなら医療行為と同じもので、満たされない心が決定的に破綻してしまわないようにするための応急処置なのだ。もちろん、そこにはただの男好きもいくらか混じってはいるが。

 

 だが、葵ちゃんは違うはずだ。彼女なら、単なる外見や目に見える愛に妥協せずとも自分のことを真に愛してくれる男を選ぶことだって当然できるはず。この俺のようにだ。 


 俺だって、この頃には葵ちゃんと釣り合う男になるためにいろんな女の子と付き合うようにしていたから、単なる自信過剰ではない。

 見た目で言えば学校でも五本の指に入ると言われている女子や、高校生とか大学生の大人女子なんかと付き合ったりして、常に男を磨いてきた。同じ中学生レベルの年代では、経験値でそうそう負ける奴はいないと思う。

 だからこそ、余計に疑問は深くなった。


 どうして葵ちゃんは、あんな奴らと付き合うのか?


 葵ちゃんが虜になるとはどうしても思えなかったのだ。あんな男どもで葵ちゃんを落とせるなら、俺がとっくに落としている。


 もしかして、単なるイケメンウォーカーか? イケメンを渡り歩いているだけか? 葵ちゃんは男好きなのか? 本能のままに、男を漁っているだけなのか?


 兄ちゃんにキスをしていたところを見る限り、その可能性は完全には否定できない。

 だけど、それなら俺だってターゲットに入るはず。合理的に考えて、そうではないと思う。


 ならば、葵ちゃんは、男たちの目的に気づいていないのだろうか……? 


 愛されてなどいないのだ。アクセサリーと同じだ。奴らの目的は、基本ベースとして葵ちゃんのカラダと「落とした」という勲章だけだ。もしそうだとしたら、俺が救い出してあげなければいけない。

 俺は、そう決意しかけていたところだったのだが……。


 俺の疑問は、すぐに晴れることになる。


 例の如く、葵ちゃんと彼氏が一緒にいる時に合流していた俺。

 そこへ兄ちゃんが通りかかる。驚いたことに、葵ちゃんは、兄ちゃんが来たことに気づいた瞬間、彼氏に抱きついたのだ。そしてイチャイチャしながらも横目で兄ちゃんをこっそり窺っていた。


 この葵ちゃんの態度を目の当たりにした時、俺は鳥肌が立った。ずっと前にゴミ箱にぶち込んだはずの一つの仮説がまるでゾンビのように蘇り、最有力候補に浮かび上がってきたからだ。



 葵ちゃんは、兄ちゃんに当てつけるために、ずっといろんな男たちと付き合い続けている……!


 

 それはつまり、今もまだ、葵ちゃんは兄ちゃんのことを、誰よりも好きだということ。

 その仮説を裏付けるため、以後も同じようにして観察した。その結果、高校になっても、この傾向は全く変化しなかった。


 自分で集めた全ての証拠が示す結論から、俺は自分のやるべきことを、完璧に理解する。


 やはり、俺の敵は最初からずっと兄ちゃん一人だったのだ。

 最初から、何も変わっちゃいなかった。敵だけじゃなく、女神の男の趣味でさえ。



◾️ ◾️ ◾️



 俺が高校一年生になったある日の早朝、葵ちゃんから一通のメールが来た。


【今から、会えない?】

【うん、大丈夫だよ。どこがいい?】

【五号棟の横にある、いつも遊んでた公園のベンチがいいな】


 こんなふうに返したが、本当はサッカーの試合日の朝だったのだ。

 一年生からバリバリのレギュラーだった俺だけど、遅刻するかもしれない旨を監督とチームメイトに伝えて、葵ちゃんに会いに行った。


 待ち合わせ場所に来た葵ちゃんは、まるでこれからデートにでも行くような、お洒落をしてます、と言わんばかりの格好をしていた。

 だが、服も、髪も、化粧も、どこか崩れている印象があって、どちらかというと「今帰ってきた」という感じだった。しかし今は午前八時なのだ。

 それに、なんとなく妖艶な雰囲気がある。葵ちゃんを見た瞬間、彼女のことをめちゃくちゃにしたくなったくらいだ。

 

 ベンチに座ろう、と言われて二人で並んで座る。葵ちゃんは、俺に体をくっつけて座った。

 この時点で、これから先の展開が読めた。俺だって、葵ちゃんを落とせる男になるために、それなりに良い女と付き合ってきたのだから。


 聞くと、彼氏に酷い目に遭わされたと言う。実は浮気していたのだと。

 涙目になる葵ちゃんを、俺は抱きしめた。

 俺は、ずっと恋焦がれてきた女神様を抱きしめながら、とうとうやってきたこのチャンスを絶対にモノにしてやる、と誓った。

 

 それからすぐ、俺は、葵ちゃんと付き合うことになった。

 正直、浮かれていなかったかと問われたなら、完全に浮かれていたと答えるしかないだろう。それほどまでに、俺は遠い昔から葵ちゃんのことが大好きだったのだから。


 朝の食卓で、兄ちゃんに問いかける。


 兄ちゃんが葵ちゃんにまだ未練があることは、歴代の彼氏とのイチャつき具合を見せつけられている時の兄ちゃんの表情でわかっていた。

 だから、とうとう念願の葵ちゃんを手に入れた俺は、兄ちゃんを不幸のどん底へ叩き落としたくてウズウズしてしまい、つい挑発したのだ。


 葵ちゃんとは、この後、エントランスを出たところで待ち合わせをして、一緒に登校することになっている。

 待ち合わせの時間的には兄ちゃんの登校時間より早めだから、先に下に降りてスタンバッておいて、葵ちゃんとキスしているところを見せつけてやろうと思った。


 葵ちゃんと会った瞬間、込み上がってくる圧倒的な情欲に溺れそうになる。

 ダメだ。兄ちゃんが来るまで、待て……!


 兄ちゃんが来た瞬間、決壊した感情に抗うこともできず流される。

 俺は、すぐさま葵ちゃんに抱きついて貪るようにキスをした。


 俺は、葵ちゃん越しに、キスをしながら兄ちゃんを見てやった。

 

 わかったか。俺があの日、どんな思いで葵ちゃんと兄ちゃんのキスを見続けていたか。

 永遠に続くかのような、剥き出しの愛を見せつけられるかのような二人のキスを、何度も何度も見続けたんだ。

 

 俺は、ようやく溜飲が下がった気分だった。


 ああ。やっとだ。とうとう葵ちゃんを手に入れ、そして兄ちゃんを不幸の底へと叩き落としてやった。俺は兄ちゃんに勝ったんだ。


 しかし、この位置関係。兄ちゃんから見ると、葵ちゃんは後ろ姿しかわからないよな。

 ちゃんと葵ちゃんだと気づいているか? ……よし。


 俺は、トドメと言わんばかりに、葵ちゃんを振り向かせるためにキスをやめて声をかける。


「葵。兄ちゃんが見てる」


 これだけの仲になったのだから、そろそろ呼び捨てでもいいだろうと思って彼女のことをこう呼んだ。 

 葵ちゃんは振り返り、兄ちゃんを直視する。



 それから、奇妙なことが起こった。



 葵ちゃんは固まったまま、兄ちゃんのことを見続けていた。

 俺はなんとなく、この場から去ったほうがいいと感じた。「もう行こう」と声をかけて、葵ちゃんの手を握って学校への道を歩き始める。


 葵ちゃんは、ずっと無言だった。

 時折、苦しそうに胸を鷲掴むようにするから、俺は心配になって声をかけた。


「大丈夫? 気分でも悪いの?」

「……大丈夫。ちょっとだけ、トイレに行ってくるね。それより、ゆうちゃんの顔、見た?」

「兄ちゃんの……? ああ……かなりショックを受けてそうだったね」


 葵ちゃんは、息が切れたようにしながら微笑んでいた。その微笑みは、今まで見たこともないような異常な表情。

 なんかこう……我慢できない何かが内から溢れ出たかのような、恍惚に満ちた顔……言ってしまえばそんな感じだったのだ。

 それに……葵ちゃんは後ろを振り向くことはしなかったけど、しきりに後ろを気にしているように見えて……。


 その様子とさっき俺に言ったセリフが混ざり合い、一つの結論を導き出す。

 瞬間、つま先から頭のてっぺんまで鳥肌がザアッと流れて俺の憎悪を呼び戻した。


 葵は、兄ちゃんを気にしている。まだ、兄ちゃんのことを。

 なら、葵は今も、兄ちゃんのことが大好きで……つまり。



 兄ちゃんに当てつけるための彼氏役・・・に、今、俺が選ばれたんだ──。



 俺は後ろを振り向き、兄ちゃんがいるはずの方向を睨みつける。


 なに不幸のどん底にいるような顔してんだよ。

 欲しくもないものだけを俺に譲って、結局、一番欲しいものは自分でガッチリ掴んでやがる。

 許せない。葵の心をいつまでも牢獄に閉じ込めておいて、自分は悲劇の王子様気取りか。


 まだ、立ちはだかる。

 まだ、邪魔をする。

 どれだけ自分を磨いても、あいつがいる限り俺は葵を手に入れられない。

 

 ……逆に言えば。


 あいつさえ、いなくなれば、俺は、葵を手に入れられるんだ。

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