第36話 秘密


 今日はリンが登校してくる日だが、昨日のメールで「明日は一緒に登校できないかも」と告げられていた。 

 というか、


【もう一緒に登校しなくていいよ、家の方向が全然違うっていう嘘が判明したんだし。それに、いくらなんでも遠すぎるよ。大変でしょ】


 と思っていた僕はリンへこう返信した。すると、


【バレちゃった。てへぺろ☆】


 だと。


「おっはよっ!!」


 というわけで、こういうやりとりを経た上で一人で登校する僕が校門を通過した瞬間に、後ろからリンにおもくそ背中を叩かれる。


 めちゃくちゃ痛い。手加減しようという心遣いがまるで感じられない。校門付近にリンの姿など見当たらなかったのに、こいつ一体どれだけのダッシュ力を発揮したのだろうか。仕事で使う身体能力を学校で披露するのはやめてほしい。


「痛……。あのさ、テロリストを制圧できる力でぶっ叩くのやめてくれる?」

「し────っ! ここではそういうことを口走らないの! 周りにいっぱい生徒がいるからさ。ってか、そんな力、一ミリも出してないけどね」

「全く、とんでもないのが紛れてるよね。今までもそんな人が近くに居たかもしれないって思うとゾッとするよ」

「さあー。あんま居ないと思うけど。それよりさ。葵はどうだった?」

「どうって?」

「ほら、夕真に突っかかって来たりとか、妙なこと言ってきたりとか……」

「ああ、なんか珍しくお昼を一緒に食べよう、って言ってきて」

「はあああっっっ!?」

「うわっ」


 リンは僕の胸ぐらを右手で掴んで、すごい剣幕で詰め寄った。

 一瞬で瞳が水色になる。


「ちょっ、あの」

「それで!? ゆっ、夕真はどうしたの!?」

「えっ。いや、どうしたって、そりゃまあ……別にいいよ、って」

「…………へえぇぇ」

 

 何か言いたそうにしながら目を細められる。


「なんだよ? 僕を落とすっていう君のプライベートな趣味に、何か影響でもあるわけ?」

「めっちゃくちゃあんでしょ! ……どうしようかな。今後、葵と──いや、私以外の女の子と喋るの禁止しようかな……。なんかゲームでもやって、うまいこと言いくるめて賭けに勝ったら条件飲ませて──」


 顎に手を当てながら、まるで独り言のように呟かれた狂言。

 いちいち正面から相手にすると気が狂いそうになると思ったので僕はスルーした。ってか、リンが提案してくるゲームには今後絶対に乗らないようにしよう。


「……それで? その『お昼』はどんな様子だったの?」

「えーと……なんか結構普通に喋って終わったけど」


 誰のことをどう思うとかそんな話をしたってことは、あんまり言いたくなかった。

 余計なことを言ったりしたら、リンがもっと狂ってしまいそうだ。

 するとリンはブツブツと。


「それが一番嫌なんだよ……」

「え? 普通に喋っちゃダメなの?」

「あっ! いやごめん独り言。大丈夫だよ、夕真が辛くないなら喋っても。国交断絶が解消できてよかったね」

「うーん、どうなんだろうね。それよりさ、事件が無事に解決できてよかったね。やっぱ後処理とかが大変なんだ?」

「まあね。あれだけ大きい事件になっちゃうと、色々面倒くさいからさ」

「その割に一時間くらいで解決したじゃない。やっぱすごいよ」

「そう? ふふ。ありがと」


 途端に機嫌良くなってニコニコし始める。

 なんとか誤魔化せた。もしかすると、リンは褒め倒すのが一番効くのかもしれない。今度困ったらもう一度試してみよう。


 お昼になると、リンは、「今日は私と一緒に食べようね! 女狐じゃなくて」と言って、中庭にあるいつものベンチに座ると、持ってきたお弁当包みを取り出した。

 二人で歩くとき、リンはよく僕の左側になるが、ベンチに座る時まで左側になっている。道を歩くときは敢えてそうしていることもあるが、そうでなくても、確かに僕もそのほうが落ち着く。なんでなんだろうか。

 

 今日のお弁当はサンドイッチだった。二人でつまみながら、僕はこの前の事件のことを尋ねる。

 すると、「職務中に知り得たことは、部外者には教えられまっせぇ──ん!」と意地悪っぽく言われた。

 癪に触ってリンの脇腹をくすぐってやったら、一〇倍くらいにしてくすぐり返されたので、僕はもう少しで折れた肋骨がもう一度折れるところだった。


 こんなことをされてしまったので全然サンドイッチが食べられない。

 と、リンがサンドイッチを掴み取る。


「はい、あーん」


 そのまま僕の口へ。水色の瞳を特等席で眺めながら食べるサンドイッチも悪くない。

 冷静に考えれば、こんな小っ恥ずかしい行為を、しかも学校内で平然と行えるようになってしまっているのだ。


 以前の僕ではまるで考えられない異常事態。一般的には「イチャついている」と認定されて然るべき状況。

 僕らの行為を周囲の生徒たちがどのように取り扱っているのかは非常に気になるところだが、彼らの表情を見る限り馬鹿にも侮蔑もされていないと思う。


 どちらかというと羨望の眼差し。それもこれも、非凡な容姿をもつリンが臆面もなく繰り出している、という事実が影響していると思われる。


 この状況が喜ばしいことなのかどうかすら僕にはもはやわからない。


 お互い恋人っぽく振る舞ってはいるが、あくまでリンは僕を落とすためにやっていることであって、僕もそれを理解しながら付き合っているだけの状況だからだ。


 リンのやってることに僕が付き合わなければならない理由は、「私に何をされても落とされないという当初の条件と違う」と指摘を受ける羽目になってしまうから。

 だから、今もこうして大人しく鯉のように口を開け、僕はリンからされるがままになっている。

 

 この日の最後の授業が終わり、リンに「帰ろっか」と声をかけると、「私、先生に呼ばれてて。だから、ちょっとだけ待っててほしいんだ」と言われる。

 一日だけど無断欠席になっちゃったみたいだし、その辺りのことかなぁ、なんて考えつつ校舎を出たところで、


「うわっ!」


 突然、上空から黒っぽい球状の何かが降りてきた。

 よく見るとコマンド・ビットだ。どうやらリンは、ネリムさんを呼び寄せたらしい。

 

「油断も隙もない女狐がいるから、学校で私が夕真から離れるときは、ちょっと見張りを置くことにするよ。じゃあ行ってくるから、適当にブラついてて」


 そう言って、リンは職員室のほうへ歩いて行った。


 僕は、ネリムさんと二人っきりになった。

 何を喋ろうか? 人見知りな僕はこんなことで緊張してしまう。

 とりあえず、二度目の対面を祝して、挨拶。


「あ、こんちは」

「ハーイ、夕真。一昨日はリンちゃんに危うく犯されるところだったね! あたし、あんなリンちゃん初めて見たよ。あの子いつもクールな感じで男の子にも塩対応だからさ。元彼はろくでもない奴だったみたいだし、もう男の子になんて興味が無くなっちゃったのかなって思ってたんだ。だから、偶然だけどあんなシーンが見れてちょっと嬉しっ! ねえ、あたし良いタイミングだった? それとも残念だったかな!?」

「いやあ……」


 開口一番、津波のように言葉が溢れ出る。

 よく喋る人っぽい。聞いてもないことをペラペラと喋り出した。

 僕はあまり喋らない人種なので、もしかするとネリムさんは僕が少し苦手なタイプかもしれない。


 そういや、あのとき確かネリムさんはリンから「切って」と言われていたように記憶しているが。

 その後に起こった出来事から推察するに、あれはきっと「カメラやマイクをOFFにして」的なことだと思われるのだが、話を聞く限りこの人、一部始終を見ていた感じじゃない?

 それに、もうひとつ気になることがあった。

 


 元彼。



 会話の海に紛れていたはずのその単語が、前にリンから聞いた話と合わさって、胸の奥に疼く何かを一瞬爆発させそうになった。


 リンは、「自分が本当に好きな人には振り向いてもらえない」と言ってた。 

 もしリンがその人にフラれたのだとしたら……今でも忘れられずに想い続けているのだろうか。


 僕は頭を振って、どんどん深みにハマりそうな自分の思考を振り払う。

 際限なく胸に湧く意味不明な感情を、必死になって無理やり抑え込んだ。


「さっき上から降りてきましたけど、ネリムさんって、いつも空にいるんですか?」

「そうだよ! あたしの存在って一般人にはあまりバレないほうが望ましいから、基本的にはリンちゃんの上空で待機して、呼ばれたら地上に降りてくる感じかな」

「はあ……そうなんですか。でも、降りてきてからしか話せないのって不便ですね」

「リンちゃんがつけてる十字架ピアスだよ」


 あ、そっか。通信機器になってるって言ってたな、確か。

 こんな話をしていて、僕はあることに思い至った。


 どうしてリンが、尾行する僕を捕捉することができたのか? 

 それは、このネリムさんが原因じゃないのだろうか。上空からコマンド・ビットのカメラで付近一体を監視し、僕の動向を把握したネリムさんが、リンに通信して教えた。

 

 最初にリンがチンピラから僕らを助けてくれた時もきっとそうだ。

 それに、あのとき聞こえたネリムさんの声、僕はてっきりリンのピアスから出ていたものだとばかり思っていたけど、この感じだとコマンド・ビットから出ていたのだろう。よく考えれば、遠くまで聞こえるほどの音声があんなピアスから出たらうるさくて堪らない。


 きっと、リンはコマンド・ビットの存在を、できる限り僕には隠しておこうとしたのだと思う。せっかくのアドバンテージを消してしまうからな。


「君は、リンちゃんのことが好きなの?」


 唐突な質問。

 僕は、しどろもどろになった。


「え、い、いや……その」

「もし君がリンちゃんを好きでいてくれたら、あたし、すごく嬉しいな。あの子、こんな殺伐とした仕事をしてるからさ」

「そうですよね。すごいと思います」

「うんうん! リンちゃんのことを幸せにしてくれるひとが現れたらいいな、ってずっと思ってたんだ。一昨日だって、左腕を吹き飛ばされちゃったでしょ? どうなることかと思ったけど、無事に手術が成功して、元通りに復元できてよかったよ」



 ……左腕を、吹き飛ばされた?



「どういうことですか」

「ん?」

「リンが、左腕を、失った、ってことですか」

「あれ? もしかして、リンちゃんから聞いてない?」

「はい。何も」

「…………」


 あれだけお喋りだったネリムさんがピタッと黙る。


「教えてください。何があったんですか」

「あ……あたし、ちょっとマズったかな。お願い、リンちゃんには黙ってて? もしかして、ものすごく怒られちゃうかも……」

「話の中身次第ですね」

「……はぁ。あたし、いつもこれで失敗しちゃう。つい嬉しくなって喋っちゃうんだよね……」

 

 だろうね。明らかに口で破滅するタイプだ。

 宙に浮かぶ機械ボールからため息が漏れる。僕は、ネリムさんが話してくれるのを待った。 


「……テロリストがなかなかの実力者でね。レールガンを持ったそいつに逃げ場のない通路へ誘い込まれて……それでもリンちゃんの実力なら普通はうまく回避できるんだけど、信じられないほどのエイム力で放たれた弾丸がハヤブサみたいなリンちゃんの動きを捉えてアームズのプロテクトを貫通した。でも、ほんと幸運だったよ」


 ……幸運だって?


「怪我してるのに、そんな言い方ないんじゃないですか」


 ネリムさんの言い方に、瞬間的に怒りの焔が噴き上がる。

 僕は言葉を止められなかった。

 ネリムさんは、そんな僕をなだめるように優しく応じてくれた。


「ごめんね。君にそんな言い方をするのはよくなかったね。やっぱり君は……なら、リンちゃんがどんな仕事をしているかキチンと知ってもらうほうが良いと思うから言うよ。

 あいつ──敵はね、銃口の向きからして間違いなくリンちゃんの頭を撃ち抜くつもりだったんだ。たまたま他の場所で鳴った爆発音が射撃の瞬間に被ってくれなかったら、リンちゃんはヘッドショットを喰らって死んでいたかもしれなかった」


 死……?


「アンドロイドの体は知っての通り『生ける金属』で造られているから、これを使って復元手術をすることは可能なんだ。でも、生ける金属は普通の金属とは違う。いくら左手だけで済んだって言っても、部品交換してはい終わり、って訳にはいかないんだ。二、三日は入院して適合状態を経過観察するべきなんだよ。手術は当日中に行われたけど、だから本当は今日も病院に居なきゃダメなんだ。でも、どうしても学校へ行くって言って聞かなくて」


 ……そんな話は知らなかった。リンは、一言も言ってくれなかった。


 朝イチで僕の背中を叩いたのも、僕の胸ぐらを掴んだのも、僕をくすぐったのも、僕の口にサンドイッチを突っ込んだのも全部右手。


 そのとき左手は……


「アンドロイドって、怪我した場合の痛みってあるんですか?」

「もちろんだよ。痛覚レベルは人間と同等に設定されている。腕がちぎれたんだ、生命維持に関わる金属骨格が破壊された痛みはきっと気絶しそうなくらいだったはずだよ。でも、リンちゃんは切断された腕をものともせず、むしろ踏み込み速度を上げて右手のファルシオンで敵を両断した。リンちゃんが敵のエースを突破したおかげで、他の隊員が人質救出とテロリストの殲滅を迅速に完了できたんだ。リンちゃんのお手柄だよ」


 リンは、テロリストを制圧した直後、僕と電話をした。

 あのとき、リンは、腕を切断された状態だったってのか?


「……どうして? なんで、言ってくれなかったんだろう」

「ごめん。あたしが口を滑らせちゃったばっかりに。お願いだから、リンちゃんを疑わないで。黙ってたってことは、あの子はきっと、君に心配をかけたくなかったんだよ……」


 言い表しようのない不安が胸を締め付ける。

 いつの間にか……毎日一緒に居られるかのような錯覚に陥っていた。


「終わったよーっ! さっ、帰ろっかぁ!」


 リンが、鞄を持った右手を元気よく上げてこちらへ歩いてくる。

 彼女は走ることなく、左手はだらんと下げたままだ。


「夕真! 葵のクソッタレはここには来なかった?」

「……うん。大丈夫だったよ。言葉遣い、汚な」

「そっかぁ! よかった。ふふ。夕真、行こ。夕真の家の近所に、カフェとかあったっけ? 私、ついでに二人でカフェに──」

「リン」

「ん?」

「今日は、僕が君の家まで送って行くよ」

「へ? あ……ほんと? 嬉しいな。じゃあ、お願いしよっかな」


 リンの笑顔は、太陽のようだなぁ、と思う。

 誰もがそう思うのかはわからないけど、少なくとも今、僕にとってはそうだった。

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