第35話 葵とのお昼


「おはよ、ゆうちゃん。今日はリンはお休み?」

「うん、そうみたいだね」


 教室の自席に着いた僕へ、葵が話しかけてきた。それも、またリンの席に座ってだ。

 リンがいたら烈火の如く怒っただろうが、幸いにも、今日、リンはお休み。

 

「そうみたい、って、リンからは聞いてないの?」

「いや、まあ……聞いてるんだけど。どうも調子が悪いみたいだよ」

「ふーん……」


 アンドロイドは、金属骨格を構成する「生ける金属」が不具合を起こすこともあるし、その外側にある生体組織だってウイルスや菌に侵されることもある。

 だから、アンドロイドが調子を崩して学校を休む、なんてこともたまにある。今日のリンはそれとは全然違うけど。

 

「首相官邸人質事件の後処理で忙しいから」なんて本当のことをズバズバ言えるはずもない。

 本人が昨日「明後日は来れる」と言っていたのだから、つまりまあ明日には来れるのだろうし、尋ねられた場合に僕が説明するのは今日だけだ。だから僕はひとまず葵にこう返したのだけど。


 僕が説明をしても、葵はまだ何か言いたそうな様子でこちらを見てくる。

 リンのことはこれ以上尋ねられるとボロが出るかもしれないから、できれば今日は放っておいてほしいなぁ……。


 だけど、葵はなかなか喋らない。

 何なんだろうなぁと思いつつ、仕方がないから僕から尋ねてあげた。


「まだ何か用?」

「え? い、いや、なんでも」


 葵は立ち上がり、何やら焦った様子で自席に戻って行った。

 

 授業を受けつつ、窓の外を眺めてボケっとする。

 ここにきて、案外一日って長いんだな、と感じた。


 リンがいないまま、もうすぐお昼になろうとしている。

 

 あの騒がしい女の子が一人いないだけで、僕の生活にぽっかり穴が空いたようだ。

 お昼だって一人で食べなきゃ……


「ゆうちゃん、お昼一緒に食べない?」


 葵が僕に声をかけてきた。

 初めてのお誘いに、僕は少しびっくりした。


「どうしたの? 僕とお昼を食べようとするなんて」

「ゆうちゃんと二人っきりなんて久しぶりだよね。懐かしいな」

「あ……うん。でも、晴翔は? 最近はあいつと食べてるんじゃないの?」


 晴翔は僕の一つ年下なので、この高校の一年生だ。

 葵が晴翔と待ち合わせてお昼に行くのを僕はチラッと見かけた。だから、きっといつもそうしてるんだろうな、と思ってたのだ。


「うん。まあ、そうなんだけどね。たまにはいいんじゃない」

「葵がいいなら、いいよ。どこにする?」

「中庭に行こっか」


 僕と葵が一緒に教室を出るのを、他のクラスメイトたちにジロジロ観察された。

 さらには、廊下側の自席に座っている菱山と川口も、揃って僕らを眺めている。この二人、前と違って僕とリンを見る目が変わっちゃったから、今、一体どういう感情で僕らを見ているのか僕にはよくわからない。

 

「夕真のお弁当は私が作ります!」とリンが勝手に僕の母さんへ宣言しちゃったので、このようにイレギュラーでお弁当を作れなくなった場合には僕の弁当は無くなった。

 なので、今日は食堂でパンを買うことになる。僕は葵を待たせておいて、ワイワイと賑わう食堂のパンの列に並んだ。


 ふと、列に並びながら離れたところにいる葵のほうを向くと、葵は晴翔と話していた。葵のことを見つけた晴翔が、話し掛けてきたのだろうか。


 ……うーん。厄介なことにならないといいけど。


 僕は、学校に来てまでいちいちあいつと話をしたくなかったから、正直、お昼はもう一人でもいいのにな、と思い始めていた。

 なんだか面倒くさくなってくる。このまま話しかけずに去っても良かったけど、葵に無断で去るのもさすがにどうかと思って、パンを買ってから、僕は一応声をかけた。


「お待たせ。葵、晴翔と食べるなら、僕は別に一人で食べるけど」

「ううん、大丈夫だよ。行こっか」


 葵にこう言われた晴翔は無言。

 

 何これ? 今、どういう流れ?

 苦虫を噛み潰したような晴翔の顔。こいつ、どういう心境なんだ? 


 さっぱりわからない。

 それに、葵の行動もさっぱりわからない。


 いつまでも僕らを睨む晴翔の視線を背に、僕と葵は食堂を出てベンチに座った。

 葵はグーっと背伸びをして、気持ちよさそうに空を見上げる。

 リンほどではないけど葵も胸は結構あって、例の如く垂れたブレザーの合間からシャツを押し上げる様子に僕は顔を逸らす。


「あー、今日は天気が気持ちいいなぁ。ねえ、昔はこんな天気のいい日にゆうちゃんと外でよく遊んだよね」

「うん。マンションの周りでかくれんぼしたり、秘密基地ごっこしたり、おままごとしたりね」


 その都度、馬乗りになられて、くすぐられて。

 楽しかった記憶を、一つ一つ思い出しながら口にする。

 葵は、僕が思い出を口にすると嬉しそうな顔をした。その可愛さに、僕はつい見惚れてしまった。


 特に笑顔はヤバい。ワンパンで悩殺だ。見ているだけで幸せになれる笑顔。僕は、この笑顔がずっと前から大好きだった。

 こっちも自然と笑顔になれる、魅力いっぱいの笑顔。だから、僕はその気持ちを素直に言った。


「やっぱり葵は可愛いなぁ。僕は、葵の笑顔を誰よりも可愛いと思ってた。すごく可愛くて……だから、僕は君のことがずっと大好きだったんだ。大きくなったけど、君の笑顔はあの頃からずっと変わってない」


 そういや、こんなセリフ、前の僕なら言えなかっただろうな。

 リンと接するようになって、僕も少し変わったのだろうか。


 と、葵は目を見張って僕をじっと見ていた。

 突然の反応に僕が少し驚いていると、葵は僕から目線を逸らし、今度は正面を向いて固まる。


「どうしたの?」

「…………なんでも」


 しばらくの無言。

 夏が過ぎ、ブレザーを着る季節になっても頬を撫でる風はまだ生ぬるかった。

 リンの瞳の色に近い水色をした空には雲ひとつなく、気持ちよく晴れ渡っていた。


 しかし、いくらなんでも無言が長いな。

 葵はうつむいて、じっとしている。


 どうしたんだろうか。さすがに普通じゃない気がする。

 何かまずいことでも言ったか? 褒めたつもりだったんだけど……。


 やっぱり、女の子になんてモテない僕は、「女心」ってやつがろくにわかっていないのかもしれない。

 彼女が欲しいとか思うんなら、ちょっとは女心を研究しないといけないんだろう。

 よし、今日の帰りにそういう雑誌でも買って──


 と、放課後の行動予定について思案する僕へ、葵が何か言った。


「……ゆうちゃん………、今、……が好きなの?」

「えっ、何? もう一回言って」


 考え事をしていて若干聞き逃す。

 今がどうしたって?


「ううん。いいや。ふふ」


 そして謎の笑顔で誤魔化される。

 なんなんだ? 何が言いたいのか全然わかんない。


「ゆうちゃんさ、なんか変わったよね」

「そう? やっぱそうかな。まあ、思ってることはきちんと言うようになったかもしれないけどね」


 瞬きを増やした葵は、また急に黙ってしまった。

 ふうっ、と息を吐いて深呼吸する。

 心なしか、頬が赤くなったように見えた。


「…………はぁ。ようやく目覚めたと思ったら、そういうことを素で言っちゃう天然のスケコマシ君になっちゃったわけ?」

「ええ? どういうことだよ」


 なんだよスケコマシって。いったい僕のどこがスケコマシなんだ!?

 そういやこのセリフ、リンにも言われたな……。


「それってリンのせいなのかな。リンはやたら積極的にアピールしてると思うけど、ゆうちゃん自身は、リンのことをどう思ってるの?」


 ──どう思っているか……か。


 改めて真正面から問いかけられると説明するのは案外難しい。

 どういう関係だと言うのが適切なのだろう? リンが僕を落として、アンドロイドが人間に劣ってなどいないことを証明するだけの関係……長っ。



 う〜ん……



 僕は、パンをかじりながら答えた。


「疑似恋愛の相手、かな」

「擬似? よくわかんないけど……。恋愛してる自覚、あるんだ」

「まあ……一応はそうだね」

「一応、ね……。じゃあさ、あたしは?」

「ええ? どういうこと?」

「あたしは、ゆうちゃんにとって、何?」


 急に笑みを消して、真剣な声で言う。

 さっきから反応がいちいち難しい。やっぱ恋愛力がないと解読不可能だ。


「いや、そりゃあ……僕の幼馴染で、晴翔の彼女、だよね?」

「ふふ。…………だよね」


 妙なことを言ったかと思うと、葵は空を仰いでさみしそうに微笑む。

 事実を回答したはずなのに。これはどういう感情がこもった反応?

 一体何が言いたいんだ、とモヤモヤしながら僕は頭を掻く。

 

 やっぱり女心はさっぱりわかんないな。雑誌で研究すれば、これもわかるようになるのだろうか。

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