第32話 リンの部屋①


 リンが住むマンションの一階エントランスで、二人プラス一機でエレベーターを待つ。

 人によっては「一人プラス二機」とか言ったりする案件だが、それを言うと絶対にリンが激おこだし公式的に人権問題になっちゃうので、僕はそんなことを言ったりしないし言うつもりもない。


 外観からも想像はしていたが、このマンションはエントランスの装飾もなかなかお高そうな雰囲気を醸し出していた。「古風」とは真逆で、未来的な、シルバーを基調としたサイバー感満載の質感。


 リンと僕、そしてピタッと同じ高さでホバリングするネリムさんは揃ってエレベーターに入る。

 リンが押した行先階ボタンは一〇階だった。


「リンの家も一〇階なんだね──……」


 口走ってからハッとする。

 リンに押し入られないようにしようと思って、僕はまだ自宅が何階かなんてリンには教えていなかったのに、つい口が滑ったせいで完全にバレてしまった。

 僕が口を押さえて黙ると、リンはふふ、と微笑む。


「夕真のそういうゆるゆるなとこ、可愛くて堪らなくなっちゃうんだよね」


 僕よりほんの少しだけ背が高いリンは、僕の顔の高さに自分の顔の高さを合わせるように頭を傾げて僕のことを見つめる。


 仕草自体はリンがよくやるやつだ。

 でも、なんだかいつもと少し雰囲気が違うような気がする。たぶん、その原因は視線が合い過ぎなことだ。


 僕が逸らさないと、いつまでも無言のまま視線が合い続けそうだった。

 だから僕は自分から視線を逸らすんだけど、再びリンに視線を戻すと彼女はまだ僕をじっと見ていたりして。


 こんな態度をとられたせいで僕がうろたえていると、ようやくリンはハッとしたような様子で何かを振り払うように目を逸らし、天井近くにある階表示に視線を固定した。

 こういう時間が流れている間、ネリムさんもずっと無言で浮かんでいた。


 エレベーターを出て、廊下を進む。


 どこかな、と思いながらリンの後をついていくと、「一〇〇五」と号室表示が掲げられた部屋の前でリンは立ち止まった。

 ピ、と音が鳴ってアンロックされる。


「さ、どうぞ」


 生体認証なのか、それともAIとして認証を受けたのかよくわからないけど、ともかく、解錠された玄関ドアを開けて先に中へと入ったリンは、続いて僕に中へ入るよう促した。

 センサーが取り付けられているのだろう、リンが中へ入ると同時に弱く柔らかい照明が自動で点灯する。


「ネリム。しばらく切って」

「……へー。やっぱ本気なんだ。了解」

「……?」


 僕の後ろでガチャン、とドアが閉まる。

 直後、「ニ──」と機械音がしてオートで施錠された。


 前にいたリンが振り向く。

 薄暗い部屋の中、くっきりと浮かび上がる水色の瞳。やっぱり何か雰囲気が違う。

 というか、なんだかさっきまでより、さらに── 


「ふふ。夕真、ゆるゆる過ぎるよ」

「え?」

「私に拉致監禁されたりしないかな、って疑ったりしなかったの?」

「…………!」


 リンはものすごく柔らかい声でとんでもないことを言った。


 僕は玄関ドアを開けようと手を伸ばす。が、ドアにはノブなんか見当たらない。

 引くことなんてできないから、押すしかない──もちろん、入ってきた時に開けた方向でいうと、押すと開くはずなんだけど……。


 ダメだ。ビクともしない!


 僕はリンのほうへ向き直り、玄関ドアに背もたれた──というか、後ずさって張り付く形になった。


「……リン」

「私が夕真と一緒にいる時、ずっとどんなふうに想ってたか、知ってる?」

「……えっと。僕の、ことを、落として、アンドロイドの、魅力を」

「そうだよね。でも、そうすることによって私が何を望んでるか、考えたことある?」

「え…………」


 リンは、ゆっくり前に出てくる。

 僕と視線を合わせたまま、両手で僕にそっと壁ドン──いや、ドアドン・・・・する。


「ようやく跡をつけたくなるくらいになったんだ、って。気づいた時はヤバかった。罠にハマってくれるかなぁ、なんて思ってテンション爆上がりだったんだよ? そしたら、こんなに簡単にハマってくれるからさ。もう、可愛すぎて我慢できなくなっちゃうよ」

「我慢……?」

「私にだって、性欲はあるんだよ。ずっと我慢してたのに……もう、頭がどうにかなりそうだよ」


 はあ、はあ、という吐息の合間に聞こえる唾液を飲み込む音。


 ひぃ──────っ。

 これはマジだ。リンさん、目が飛んでるよぉ!

 

 僕に対して無茶苦茶なことはしない、っていう考えは全くの見込み違いだった!

 拉致監禁・・・・って言ってたし。究極のパワープレーだぁ……

 

 リンは、玄関ドアに両手を突いたままこうべを垂れる。間近に見えるリンの頭頂部が、荒くなった呼吸で僅かに上下している。

 ヒヤッとした玄関ドアの冷たさを背中で感じながら、僕は動くことすらできずにじっとしていた。


 しばらくして、リンは、ふうーっ、と大きく息を吐く。

 顔を上げて、明るく笑った。


「くっ……あっはっは! びっくりした? びっくりしたでしょ? ほーんと、私が野獣だったらヤられてたよ。気をつけなきゃね」

「…………リン?」

「ん? さあ、そんなとこに突っ立ってないで、ほら、こっちにおいでよ」


 さっきまでとは打って変わって、平然とした様子で僕へ手招きするリンの様子に唖然とする。

 噴き出した汗を拭いつつ必死に頭を回しながら、僕は状況把握に努めた。


「えっ……と。さっきの、全部、演技……だったの?」

「そうだよ、当然でしょ! でも、アンドロイドだろうが女の子だろうが、性欲があるってのはホントだからさ。君みたいなコはもうちょっとガード固くしてくれる? じゃないと私、マジで危なくなっちゃうよ」


 ふふ、と僕に微笑みかけるリンはいつもの優しい笑顔に戻っていて、やはりさっきのは僕をおちょくるための演技だったのかと一瞬安心させられた。

 が、仮に演技だったとしても、合点のいかない言動があったことに気づく。


「マジで危なくなる」って、どういうこと?

 このセリフは、演技・・が終わった後に言った言葉だ。


 別に、嫌な気持ちになったわけじゃない。

 ただ、リンとの奇妙な関係の中でもずっと保たれていたはずの何かが、今まさに崩れようとしているような気がして、僕は自分でもよくわからない鼓動の高まりを持て余していた。


 まあこんな事態になったのも、僕がリンに尾行を看破されていたことが原因だ。

 ガードを固くしろって? 僕は僕なりに、かなり慎重にやったつもりだっただけに、ちょっとショック。

 しかしどうやってリンは僕の尾行に気が付いたんだろうか……。


 そうなのだ。怖い事実が判明してしまったのだ。彼女は、自分の目で視認できない位置にいたはずの僕の動向を、完全把握していたことになるのだから。僕が自宅の階をゲロったりしなくても、リンはとっくにわかっていたんじゃないだろうか。


 リンに続いて中へ入っていくと、玄関から続く廊下の先にはリビングダイニング。

 ファミリー仕様の僕の家よりちょっとだけ広い。それに、造りからしてこのマンション、間違いなく家賃は高い。

 

 部屋の中はメゾネットになっていて、開放型の階段を上がった先にある二階の部屋の窓が一階から眺められる。


 高めの天井にあるシーリングファンと、そこかしこに設置されるスポットダウンライトが良い雰囲気を醸し出していてオシャレだ。


 白とシルバーで構成された部屋は卵色の明かりで薄暗く照らされていて、これまで見てきたこの建物の雰囲気と同じくサイバーチックな印象。


 それとは対照的に、緑の植物がたくさん置かれていて、大きな水槽もあって、まるで生物と機械が融合している感じ。

 

 ネリムさんと同じように空中に浮かんだテーブルやソファー。現物はショッピングモールのちょっとお高い家具店で見かけたりする。

 テーブルには足がなくて、スマートで洒落た板が宙に浮かんでいる印象。僕の家にはそんな高級品は置いていないが、浮遊家具はお金持ちなんかがよく使っているようだ。


「わあ──……すごい良い部屋。リン、ここで一人暮らしをしてるの?」

「うん、そうだよ。あ、そこのソファーに座ってて。夕真はコーヒー好きだから、もちろんホットコーヒーだよね?」

「そうだね、ブラックでもらえると。それにしてもすごいね……女子高生が一人暮らしする部屋とは思えないよ」

「まあね。私たちは結構優遇されてるんだよ。『危険手当』って感じかな」


 確かに、リンの仕事を考えればそれくらいしてもらっていても不思議じゃないか──とか考えながら、僕は好奇心のままに部屋を見回した。


 女子高生の部屋にしては、そんなに女の子っぽくはない。

 偉そうなことを言って、僕は人間・アンドロイドの如何を問わず女の子の部屋なんて来たことはないからわかんないけどね。

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