第22話 許されざる恋②(結月視点)


 初めて出会ってから高校二年生になるまで、カイトとはずっと付き合ってる。


 付き合って三年目かな。そろそろ倦怠期が来てもおかしくないはずだけど、彼はすごく優しくて、私に嫌われる隙を作らない。あぁ、私って優しいヒトに弱いんだよね……。


 それに、寛容さと束縛をうまい具合に使い分けてきて、あれ、私、カイトの手のひらの上で転がされているのかな、なんて思ってしまう。


 きっと、これ以上の恋人なんて、今後出会うことはないだろう。

 心も体も、根こそぎ満足させてくれる。私は、すっかりカイトに溺れてしまった。


 私は、お父様とお母様にカイトのことを話した。そろそろ親に話してもいい頃だろうと思って。

 彼のことを説明する間、二人は微笑ましそうに聞いていた。


 よかった。一度、家に連れてこようかな。

 これからもずっと一緒にいるんだ。なら、いずれ紹介しなければならないし。 


 未来は薔薇色だ、と浮かれていたのに、ここで問題が生じた。


 話の途中、彼がアンドロイドであることを告げたところで二人の顔色が変わる。

 そこから先、二人の顔には一瞬たりとも笑顔は浮かばなかった。

 まず言われたことは、「付き合うのはやめなさい」。


 どうして? なんでそんなことを言うの?


 子供ができないことを理由に、二人は私を説得しようとした。

 必死だ。まるで自分のことのように、二人は血相を変えて話す。私はその顔を見て、何をそんなに青ざめているのだろう、と不思議でならなかった。


「あの。一度、会ってみてください。会えば、彼が素敵な人であることがわかると思います!」


 お父様は「わかった、連れてきなさい」と言ってくれたけど、表情は沈んだまま。

 このままだと、お父様とお母様は、カイトに直接別れを言い渡してしまうかもしれない。


 どうしよう。なんで? なんで、こうなったの?

 何も悪くなかったはず。どうしてお父様とお母様は、認めてくださらないの?


 二人に逆らうことなど、私にはできない。


 別に、怖いわけじゃない。大好きな二人だからこそ、ずっと信用してきた二人だからこそ、無下にすることはできそうにないんだ。

 今まで何度もアドバイスをもらったことがあったけど、一度として二人が不適切なことを言ったことはなかった。常に私のことを考え、私が後悔しないように促してくれたのだ。


 ……その二人が、「やめろ」と言う。


 私は、カイトにこのことを話した。

 

「……わかった。結月の彼氏として認めてもらえるように頑張るよ」


 私を安心させようと微笑む。でも、不安がありありと顔に現れていた。

 

 カイトを家へ招いた当日、お父様とお母様は、優しい顔をしていた。

 でも、二人とずっと一緒にいた私は、その裏にある決意をひしひしと感じていた。


「娘に相応しい男かどうか鑑定してやろう」というような目つきなら歓迎だった。カイトなら、気に入られるに決まってるから。

 でも、今の二人の顔は違う。どう足掻いても無駄なのに、というような、憐れむような感情の上に作られた笑顔。


 案の定、カイトがアンドロイドであることを説明したところから旗色は悪くなる。学生の間だけの付き合いなら百歩譲って許そう、と言われたのだ。

 子供ができないのに家族としての未来はないだろう、君の親御さんも孫の顔が見たいと思うはずだ、人間とアンドロイドが将来にどういうビジョンを持っているのか……と問い詰められる。

 

 ビジョン……?


 そんなもの持ってない。

 ただカイトのことが大好きで、ずっと一緒にいたいだけ。

 それじゃ、ダメなの?

 私が間違ってるの? お父様。お母様……。


 家を出て、二人でトボトボと公園のベンチに座る。

 カイトは、ずっと私の手を握っていてくれた。


「俺は、結月以外の女の子なんて考えられない。絶対に幸せにする。もし、どうしても許してもらえなかったら、二人で逃げよう」



 逃げる……。



 駆け落ち、ってこと?



 小さい頃から、そんな物語に憧れた。 

 私が困った状況に陥ったら、颯爽と現れて私のことを連れ去ってくれる王子様。

 でも、実際にそんな状況になってみると……。


 無理だ。


 お父様とお母様に、悲しい思いをさせられない。

 二人は、私のことが何より大事なんだ。仕事の具合でどうしても抜けられないことはあったけど、私に関する行事は必ずチェックして、最優先で予定を開けてくれた。

 たまたまかもしれないけど、卒業式や授業参観は、二人はほとんど全部来てくれた。

 旅行だって、たまにキャンセルはあったけど、何度も連れていってくれた。

 私が悩んでいたら、時間をとって親身になって話を聞いてくれる。自分の意見を押し付けることもなく、私の気持ちを優先してくれる。

 忙しく、名誉ある仕事をする二人が、私のために、一体どのくらい自分たちのことを犠牲にしてきたのだろうか。


 そんな二人が、「絶対に譲らない」って顔をしている。

 

 こんなことは初めてだ。だから、二人は絶対に譲らないのだと思う。

 私のために自分のことを後回しにしてきてくれた二人を裏切って、カイトの元へ行く?

 駆け落ちって、なんて身勝手な行為なのだろう。



 できない。私には、どうしても────。



 カイトへは、視線を合わさず何も答えなかった。

 カイトも、もう何も言わなかった。


 カイトが家路についてから、私は一人、ファミレスへ入った。

 ドリンクバーだけ注文して、メロンソーダをコップに入れて席に着く。テーブルに片肘をついて、何処を見るともなくボーっとした。


 よく二人で来たファミレスに、今は一人で座ってる。


 これから、どうなるんだろう。カイトと、別れることになるのだろうか。

 思えば、最初はビビッとくることなんてなかった普通の男の子だった。

 いつの間にか夢中になって。彼がいないと生きていけないのではないかとさえ思わされる。



 それなのに────…………



 コップを口につけたまま飲みもせずに固まっていると、目の前に誰かが座った。

 うちの高校の生徒。男の子だ。


「相席、いいかな」


 ……いいかなとか言って、もう座ってんじゃん。

 と喧嘩でも売りそうな表情をわざと作りながら相手の顔をキチンと見て、一気に目が覚めた。


 ビリビリっ、と電気が走ったような感覚。体中の皮膚という皮膚の毛穴が開いて、ブワッと汗が滲み出る。


 黒髪でツーブロックのマッシュ。分けた前髪から覗く顔は、信じられないほどカッコよかった。

 緩くかかったパーマと黒いピアスがちょっと悪そうな印象を持たせているけど、悪さと無邪気さが共存してそうなこの男の子の表情が、矢で射抜くどころか大砲でぶっ飛ばしたみたいな衝撃を私のハートに容赦無く与える。


 ふぇ……こんなカッコいい男の子、うちの高校にいたっけ……?


 無意識に姿勢を正していた。

 目の前の状況が飲み込めず、キョロキョロとあたりを見回す。

 周りの席に座っていた女子高生たちは、ヒソヒソしながら彼のことを見つめるついでに、私のこともチラチラする。「あれが彼女?」とか言ってそうだ。眉間のシワがそんな感じなのだ。


 しかし、見知らぬ女子にいきなり声を掛けるとか……ナンパか?


「中島結月さん、だよね?」


 私のことを知っている?

 ……はて。こんな美男子、知り合いにいただろうか。

 SS級のイケメンなんて、一度会ったら忘れるはずないけどな。


「あの。私が忘れてしまってたら申し訳ないんだけど、どちらさんですか?」

「あ。初めまして、ですね。俺、同じ高校の一年生です」


 ニコッと笑った無邪気な顔に、私は時を止められた。

 カッコ良すぎる。それに、人懐っこくて、なんだか隙だらけで、高嶺の花的な雰囲気を感じさせない。


 私、自分のことはある程度可愛いほうだと思ってるんだけど、こりゃ全然釣り合う雰囲気すらないレベルだ。

 年下か。初めましてというのなら、やっぱナンパか。


「そうなんだ。それで、私に何のご用?」

「あんまりにも元気がなさそうにしてるから、放っておけなくて。だから、つい声をかけちゃった」


 何処かで聞いたことのあるセリフだ。

 カイトも最初の頃、私に話しかけた時はこんな感じのことを言ってた。私、悩んでる時に男の子に声を掛けられやすいのかなぁ。

 でも、彼氏がいるのに、そうやすやすとナンパに引っかかってる場合じゃないな。


「そ。ご心配には及びませんよ。ちょっと気分転換してただけ」

「カイトくんと、喧嘩でもしたの?」

「……どうして私たちのこと知ってるの?」

「ずっと見てたから」

「…………はい?」


 彼は、テーブルに頬杖をつきながら、私のことをじっと見つめる。


「結月ちゃんのこと、可愛いヒトだな、ってずっと思ってた。俺が遠くから見てたの、気づかなかった?」


 頬がカアっと熱くなる。


 こんなイケメンが、私のことをずっと見てたって? もし本当だったら、恋愛センサービンビンのこの私がそんなの気づかないわけがないと思うんだけど。カイトバリアがそれを弾いてたのかな? それに、年下男子のくせに、年上の私のことを「可愛い人」って……。


 意思に反して浮かび上がりそうな心を繋ぎ止めるために、心にアンカーを打ち付ける作業に必死になる。


 浮かれんな、バカ! ただのナンパに。

 あんまり悠長にやるとまずいかもしれない。一刀両断しないと、なんかヤバい気がする。


「そうなの? 知らなかったなぁ、私にファンがいたなんて。そのファンクラブ会員ナンバー1番の方が、私を慰めに来てくれたんだ。でも、今日は私、一人で考え事をしたいの。だから、相席はお断り」

「じゃあ、明日なら、二人で会ってくれるってことだよね?」

「へ?」

「こうやって勇気を振り絞って声を掛けたんだしさ。一回くらいデートしてもらわなきゃ、俺だってそう簡単には引き下がれないしね。明日、どこ行こっか?」

「ちょ……なっ、何勝手なことをっ……」

「しょうがないなぁ。じゃあ、せめて落ち込んでる結月ちゃんを楽しませてあげたいから、とっておきを見せてあげる」


 急にサイフを取り出した彼。

 中から百円玉をいくつか取り出す。


「手を出して」

「……何をするの?」

「マジックだよ! 結月ちゃんに、元気になって欲しいな、って思って」

 

 いきなり手品を始めようとするイケメン。なんかちょっと変わってる人なのかも。

 しょうがないな。一回だけ付き合ってあげたら満足して帰ってくれるかな。

 私は、渋々、右手を出した。


「今から、結月ちゃんの手の上に百円玉を一枚ずつ順番に五枚置いていくから、五枚目が置かれた瞬間、すぐに手を握ってね。グーするみたいに」

「手を? それでどうなるの?」

「結月ちゃんが手を握った後、君の手の中の百円玉を一枚、俺が抜き取りまぁす!」

「へぇ! すごいじゃない!」


 ふふ。なぁんてね。私、この手品、知ってるのだよ。

 五枚目を置いたふりして、カチンって音だけ鳴らして自分で持っておくんでしょ? それで、後から抜き取った演技しながら私に見せる。

 びっくりさせて喜ばせようって腹だろうけど、残念でした!


「じゃあ、いくよ」



 …………っっ!!



 彼は、アホみたいに油断してテーブルの上に差し出した私の手に、優しく自分の手を触れた。


 生命線と財運線に沿って、両手の親指の指先をつつつ、と這わせる。感じ的に、百円玉を置くための平たいスペースを作りました、というような動きだ。手のひらの肉をそんなふうにしたところでスペース感など変わるはずもないのだけど……。

 彼は、まるで私の手をじっくり愛でるかのように触る。


「一つ目」


 彼が右手で百円玉をとりにいく間、左手はずっと、私の手を下から握っていた。

 百円玉を置いた瞬間、まるで握手をするかのように百円を置いた手で軽く握り込む。それがまた、触れるか触れないかのような感触で、私の右手は心地よくピリピリと痺れていた。

 

 この手品、どうなるかタネはわかっている。そんなもので騙されやしない。

 でも、触れられた手が、私の意識を正常値からどんどん外していく。五つ目が置かれるまでの間、ずっとこうやって手を触られ続ける……。


 それに、私の手に百円玉を置く時は、彼は私の目をじっと見つめた。


 吸い込まれそうな瞳。こんなことをやっても瞳の色が変わったりしないのは、この人が人間だからなのか、フィルターコンタクトをしているからなのか、それともこの程度では感情が昂ったりしないからなのか。


「五つ目」


 私の手のひらに置かれていた百円玉に、彼が置こうとした五枚目がカチンと音を立てて触れた。私はすぐさま手を握り込む。


「さあ! ここから、百円玉を抜き取るよ!」

「ちょっと待って」


 私は、握っていないほうの手で、さっき五枚目を置いた彼の手を指差した。


「置いたふりして、そっちの手で持ってるでしょ?」


 彼が真顔になる。

 へん! 私を騙そうだなんて、そうはいかないよ!


「へえ。じゃ、結月ちゃんが、今、自分の手を開けて確認して、五枚あったらどうするの?」

「その時は、デートでもなんでもしてあげる」


 したり顔で彼を見てやった。

 なのに、彼もまた、同じような顔を私に返してくる。


「じゃ、手のひらを開けてみなよ」


 自信たっぷりに言い放たれる。

 え? え? まさか……そんなはず、ないよね?


 恐る恐る手のひらを開けてみると、そこには百円玉がきちんと五枚、握られていた。


「……えっ。どっ、どうして!?」

「どうしても何も、握った後に抜き取るって言ったでしょ」


 …………そんなバカな。


 動揺し、呆然とする私が再び手を握り込んだ後、彼は私の手の上から、両手で優しく包み込むように握った。

 そうして、小首を傾げながら私の目の前に差し出した彼の手のひらには、百円玉が一枚あった。


 私は慌てて握っていた手を開ける。

 百円玉は、四枚になっていた。


「────っっ」

「へへ。やった! 結月ちゃんとのデート権、ゲットー!」


 心底嬉しそうな表情ではしゃぐ彼の様子に、不覚にも鼓動が飛び跳ねる。

 一年生らしい、無邪気な笑顔にしばらく目が釘付けになった。

 その間も、彼はずっと、私の手に触れていた。


「名前も名乗ってなかったね。俺、高木っていうんだ。高木伊織たかぎいおり。よろしくね、結月」


 小さい頃から憧れていた、体に電撃が走るようなイケメン王子様との出会い。

 そんな出会いが、まさに今、望んでもないタイミングで、私の身に降りかかっていた。

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