第23話 許されざる恋③(結月視点)


 翌日。学校が終わってから、仕方なく私は高木くんとのデートに付き合う。

 そう、仕方なく。仕方なくだ。これは彼を追っ払うためにやった賭けの結果なんだから。つまり、浮気でもなんでもない。


 浮気でもなんでもないが、カイトに知られたら心配してしまうだろう。

 だから、今日は用事があると言っておいた。親と一緒に親戚のところへ行くことにしておいた。だから、デートは学校の近くやカイトの家の近くはもちろんNGだ。


 カイトの家は、アンドロイドたちが多く住む地区にある。だから私は、アンドロイド反対派が多い地区の繁華街へ行くことにした。

 話を聞くと高木くんはどうやら人間らしいので、特に問題はないはずだ。


「いいよ! だって、結月はまだ・・カイトくんと付き合ってるんだからね。ごちゃごちゃしちゃうと結月が困っちゃうもんね」


 呼び捨てされることに嫌悪感を感じない。

 それがまた危険だと、私の直感が知らせる。今だって、こうやってさりげなく手を繋がされているのだ。「デートなんだから、いいでしょ」と言って、強引に。

 仕方がない。デートなのだ。私がデートしてあげると言ったのだから。これは仕方がない。


 それに。さっきだって、まだ・・とか言った。

 それって、私をカイトから奪おうとしてるってこと?

 高木くんは、私と付き合いたいってこと……?


 ふと、カイトのことが思い浮かぶ。

 カイトとも、こうやって手を繋いで毎日のように歩いた。

 彼の温かい手の感触が好きで、彼が手を離そうとすると、私がギュッと掴みに行った。

 


 ……なんで私は、知らない男の子と手を繋いでるんだ。



 カイトとの思い出が、甘い誘惑から私の目を醒まさせた。


 ダメだ。何をやってるんだ。私が大好きなのはカイト。

 誰よりも好きで、心の底からずっと一緒にいたいと思った愛する人。

 だから、アズハからも奪い取った。彼女に胸を切り裂かれるような思いをさせてまで、私はカイトを手に入れたんだ!


 私は、高木くんの手を振り払う。


「どうしたの?」

「……ごめん」


 デートは約束したけど、やっぱここまでのことは無理。

 裏切りたくない。大切にしたい。カイトのこと……。


「大丈夫。こっちこそごめんな、いきなり手を繋いでほしいなんて言って。でも、少しでも繋いでくれて嬉しかった。……なんか俺、気づいたら結月のことヤバいくらい好きになっちゃってるかも。できたらさ、俺のこと『伊織』って呼んでほしいな。それくらいはいいでしょ?」


 頭を掻きながら、可愛い笑顔でこんなことを言う。

 思い浮かべていたはずのカイトの笑顔が、強制的に高木くんの笑顔で上書きされていく。

 目の前の男の子に心拍を高鳴らせたまま、私は家での出来事を思い出していた。


 私はカイトのことが好きだ。

 でも、お父様とお母様は、カイトとの将来は認められない、と断言した。

 カイトとは「この先」は無い。いくら好きでも、私はもう、カイトとは結ばれない。


 でも……高木くんは。伊織は、人間だ。

 この人なら、お父様とお母様もきっと認めてくれるだろう。

 現実に、結ばれることができる人……。

 

 私は、そっと伊織の手を握った。


「え?」

「いいよ。デートしてあげるって言ったもんね」


 私が言ったのだ。それを今さら拒否するのもどうかと思う。


 伊織は、私の手を優しく握り返した。

 指と指を絡めて弄り合うようにする。

 自然と体と体がくっつき、二人の距離はなくなった。


 距離がなくなると、無性に彼のほうを向きたくなった。


 こんな距離感で向いちゃったら危険なのはもちろんわかっている。

 でも、もうどうしようもない。私よりも高い位置にある彼の顔を──間近で見ると頭を真っ白にさせられてしまうほど整った彼の顔を、少し見上げるようにする。 


 視線が合った瞬間に、こうするしかないと思わされた。

 私は、一切逆らうことなく──むしろ積極的に応じた。

  

 粘膜と唾液の心地よい感触。彼の味が、私の体を染めていく。

 現実に手に入る愛に、私は堕ちた。



◾️ ◾️ ◾️



 何度もキスをし、その数だけ彼は私のことを好きだと言って抱きしめてくれた。


 伊織は、私を自分の家に誘った。

 危ない。もしかしたら、体が目的だったのかも。 


 でも……こんなふうに私のことを一生懸命好きだと言ってくれる彼が、私のことをボロ雑巾のように捨てるわけがない。

 それに、私はもう、戻れないんだ……。


 私たちは、その日のうちに交わった。

 

 伊織は避妊をしなかった。

 彼は人間だ。もしかしたら妊娠するかもしれない。あっ、と思ったけど、私は止めることはしなかった。


 びっくりしたけど、でも、もう戻れないことに変わりはないのだ。

 このまま、突き進むしかない。カイトを裏切っておいて、今さら戻ることなどあり得ない。


 ただでさえやってることはクズなのに、ここで戻ろうなんてしたら、私は最底辺のクズになってしまう。

 一時の欲情に流され、愛する人を裏切ったクズ。自分のことをそんなふうに自覚しながら生きていくのは辛すぎる。

 伊織を愛するからこそ、カイトを捨てたんだ。愛する人に一途なら、仕方がないこともある。


 そう自分に思い込ませながら、行為を終えたベッドの上で寝転び、天井を見上げた。



 …………カイト。



 何度も見てきた屈託のない笑顔が、ここで脳裏に浮かんでくる。


 なんで今? 伊織にキスされる前には、消えてなくなったのに? 

 こんな時に現れるなら、あの時に消えないで!


 溢れる涙が止められない。目尻から流れ出た涙は頬を伝って落ち続ける。


 考えるな。もう戻れない。進むしかない。


 私は、ベッドの縁に座る伊織に視線を向ける。

 彼は、優しく微笑んでくれた。

 


◾️ ◾️ ◾️



 翌日、私は別れを告げるために、カイトを校舎裏へ呼び出した。

 伊織がいると喧嘩になってしまうかもしれない。だから、私だけで話をすることにした。

 

 私は、何もかもを話した。


 キスをしたことも、体の関係に至ったことも、伊織と付き合うことにしたことも、カイトとの将来がないと考えたことも。

 いくら最低のクズだとしても、それがせめてもの責務に感じたからだ。


「……それが、結月の意思、なの?」

「うん。……ごめん。私のこと、殴ってもいいよ」


 何をされても文句は言えない。

 いっそボロボロにしてくれたら、そのほうが罪悪感が濯がれるかもしれないな。


 ……とか思いながらうつむいていると。

 

「俺は、結月に戻ってきてほしいと思ってる。でも俺は、結月が幸せならいいんだ。その男が、本当に結月のことを考えてくれているかどうかだけが心配だよ」


 カイトはこんなことを言って微笑む。

 私は、反射的に叫んでいた。


「なんでそんなことを言うの!? 浮気したんだよ! 乗り換えたんだ!! 私は、あなたを裏切った! なのにどうして……。信じられない。なんでそんなことが言えんの?」


 カイトも、少しの間だけうつむいた。

 それから、悲しそうに微笑んで言う。


「君と出会ったあの日から、君を幸せにすることだけを考えてきた。だから、君が幸せなら、いいんだよ」


 ……くそ。

 なんでだよ。なんでそんなに優しく……

 全く、涙ってやつは自分の意思に反して出るから厄介だ。


「あなたが、人間だったら。いえ、私がアンドロイドに生まれていたら、よかった」


 カイトが下唇を噛むのが見えた。

 私は、カイトに背を向けて、振り返らずに伊織の元へ向かった。


 メールをすると、伊織はゲームセンターにいると返信が返ってきた。

 カイトと別れたことを、報告しないといけない。

 私は、そのゲームセンターへと向かった。


 彼は、友達数人とクレーンゲームをやっていた。確か、クレーンゲームが好きだって言ってたな。


「伊織。ちょっとだけいい?」

「うん? ああ、ここで言ってよ。今いいところなんだ」

「……カイトと、別れてきた。あなたと付き合うから、って」


 クレーンゲームに向き合っていた伊織は、ようやく体をこちらへ向けてくれた。

 ゲーム機に背もたれて、友達と顔を見合わせ、ニヤニヤする。


「そうなんだ。まあ別れるのは勝手だけどさ、でも俺、結月と付き合うって一言も言ってないよ?」

「……付き合わないっていうの?」

「ん──……ってか、そんな可愛くもないくせに俺と付き合ってもらえるって、どうして思ったかな」

「そう…………」


 私は、それ以上言葉を発することなく、彼に背を向けて歩き出す。

 背後で伊織と友達が声をあげて笑っているのが聞こえる。


 なぜか、そんなにショックではなかった。さっきあいつが見せた表情が、ものすごくしっくりきたからかもしれない。


 そう、思い返せばあいつは最初からそんな感じだったな。自分の家にもすぐに誘ってきたし。それが心の底ではわかっていたから、そんなにショックでもないんだろうな。

 だから、大丈夫。既定路線だよ。心のどこかでは、きっとこうなるって思ってたんだ。


 それに、カイトを裏切っておいて自分だけ幸せになろうなんてのが虫が良すぎたんだよね。こうやって不幸のどん底に叩き落とされてマジでよかったわ。


 悪い人は良い人の皮を被ってる、ってお父様とお母様によく言われたけど。

 やっぱり二人の言ってたことは正しかったな。

 

 公園のベンチに座って、そろそろ暗くなり始めた空を見上げる。

 ぽつ、ぽつ、と雨が降ってきた。そのうち雨足は強くなり、ザアア、と音を立てて地面に雨粒を叩きつける。

 

 今日は雨だったか。天気予報なんて、見る余裕なかったからなぁ。

 しばらく経ったら妊娠検査薬を使わないと。

 


 あ────…………死にた。



 しばらく雨に打たれていると、薄暗かった空が、さらに暗い影でスッと覆われた。

 よく見ると、それは傘。

 そこには、カイト。


「……なんの用?」

「風邪をひいちゃうよ」

「余計なお世話よ。私は高木のとこに──」

「高木なら会ってきたよ。ついさっき」


 カイトは、顔に傷や青タンができていた。

 もしかして、高木たちと殴り合ったのだろうか。


「顔。どうしたの」

「何でもないさ。それより着替えないと」

「放っといて! 笑ったらいいじゃない。クズ女にはお似合いの結末でしょ? 余計に惨めだよ。あっちへ行けって。たとえ私がこの世からいなくなっても、あんたはもう悲しむ必要もないだろ」


 ギュッ、と抱きしめられた。


「ちょっ……カイトまで濡れちゃうよ」

「結月のことが大好きだ」

「は、はあ? どうして? 最低のクズだよ。好かれる資格なんてない」

「資格なんていらないよ。好きな気持ちをどうにかすることなんてできない」

「わたしたちは、避妊しなかった。あいつの子供ができちゃうかもしれないんだよ」

「どうなったとしても、俺は君のことを離さない」

「そんな簡単に言わないで! もし私が産むって言ったら、どうするの? あなたにそんなことまで背負わせられない!」

「結月と出会ったあの日から、もう俺は、君以外の女の子を愛することができなくなった。こりゃあ一種の病気みたいなもんだな。だから、俺が君を愛するのはこうしないと生きていけないからであって、結月が責任云々を考える必要、ないよね」


 病気、ね……。

 この後に及んで私に罪悪感を持たせないようにしようっての?

 ったく、この人はいつもいつも……。


 そうだ。カイトはいつも、そうだった。


「……そんなことない。私が一方的に悪いことに違いはないから」

「君に駆け落ちの話をした時、きっと君はすごく苦しんだんだよね。結月はお父さんとお母さんを愛してる。その君に家族を捨てろって迫ることがどれだけ君を苦しめるか、俺はわかっていなかった。苦しむ君に気づいた時には、俺も、もうどうしていいかわからなくて……。それだけが、後悔だよ」


 お父様とお母様を愛してる。

 そうだ。私は、やっぱり家族のことは捨てられない。

 でも、今回のことで、一つだけわかったこともある。


 二人はいつも正しかったけど、カイトのことだけは間違ったことを言った。

 こんなに素敵な男の子を、諦めろって言ったんだ。

 そして私も間違っていた。親二人が、常に正しいと思い込んでいたから。


 私が、自分自身で決めないといけないことがある。

 たとえ親に反対されても……


「俺は、駆け落ちなんて考えるのはやめた。君のお父さんとお母さんに認めてもらうまで、絶対に諦めない。何度でも家へ行って、ああ、こいつめちゃくちゃしつこいしもういいか、ってなるまで押して押して押しまくってやる!」


 あはは、と笑いが出る。

 笑いが出たのに、視界が滲んで揺れていた。


 ああ、やっぱり、この人といると幸せだ。

 もう一度、一緒に歩んでもいいのだろうか。

 

「俺さ、結月の親に交際を反対されたことをね、夕真に相談したんだ。どうしていいかわからなくて、でも、なんとかしなきゃ、って思って。だから、このことは、彼にはきちんと報告したいんだ。いいかい?」


 私は頷いた。


 その場には、私も一緒にいる必要がある。だから、夕真側にも、リンに同席してもらうことにした。



◾️ ◾️ ◾️



 カイトを呼び出して別れを告げた、そして、初めて四人でお弁当を食べた校舎裏。

 私たちは夕真くんとリンをここへ呼び、話をすることにした。


 終始手を繋ぎながら話をする私とカイトへ、二人は黙って耳を傾けてくれた。夕真くんは、君たちが今幸せなら、と言ってくれた。

 リンもまた、同じようなことを言ったが……。


「二人の絆が強まったのなら、それ自体はよかったけど。でも、もし妊娠していたら、どうするの?」

「わからない。まだ、考えが整理できてないの。きっと高木は知らんぷりすると思うし。……ああ、仮に彼が何かしたいと言ってきても、もうそれに応じるつもりもないんだけどね。それに、行為自体は……同意のうえだったし」


 こんなことを言うのはつらい。でも、聞かされるカイトのほうが数倍つらいだろう。


 私は拳を握りしめて、下唇を噛んだ。

 血の味を感じながら、涙で見えにくくなった地面を睨み、二度と繰り返すまいと心に誓った。

 

「ねえ、もう一度確認なんだけど。結月を弄んだ男、一年生の高木伊織で間違いないよね?」

「え? うん、そうだけど……」


 涙で霞んだ私の視界でもわかるほどに、リンの瞳が鮮やかな水色に変わっていく。

 寒気がするような気配を漂わせて、リンは優しく微笑んだ。

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